わだかまり
彼女が聖堂に帰ってきた。
そして、彼女は微笑んで、「あら、まだいたのね」とあいさつをした。
そこからは、たわいもない会話をした。
ハンスがギターの演奏をすると、彼女はほめてくれた。
だけど、ハンスの心の中は・・・何か冷たい風が通り抜けていくようだった。
その日は、聖堂で泊めてもらった。
聖堂に帰ってきたハレルは快く何度もこの身寄りのない旅人ハンスを受け入れてくれた。
好物の「赤ビール」を飲みながら、大いに考えていることを語り合った。
サトルの新婚生活についてだとか、そういった話になったときのことだった。
「そういえば、サトルの奥さんは・・・あの子にそっくりでした、そして、生き別れた妹がいるそうですが。」
ハレルは目を丸くした。
「それは偶然だねえ。お姉さんのほうはまだこの教会に来たことがないのだが、いつか再会するときもきっと来るだろう・・・。」
「・・・と、ところで、あの子はなぜこの教会に来たのでしょう?」
そのことが気がかりでならなかった。
「ああ、あの子はね、君と同じで西の国からやってきたんだよ。幼いときにね。
いや・・・その前に、東の国でも西の国でもないどこかにいたと話していたな・・・。」
「ああ・・・それはお姉さんも同じです。」
「彼女は、ここに来てからも、やっぱり居場所がなかったね。来たときはずっとずっと泣いていた。
笑顔を見せなかった。そして、なにか自分自身を責めていたみたいだった。」
自分自身を責めていた・・・?
ハンスの脳裏に、忘れていた記憶がふっと浮かんでくるようだが思い出せない。
「だけど、私が彼女と出会って、じっと何年も付き合っているうちに彼女はあんな風に明るくなったんだよ。
友人も見つけた。心を開ける人も見つけた。」
「ああ、そうか、そうなんですね。それはよかった。
・・・昔、はるか少年だったころ、彼女とは何か・・・何かがあったような気がするんです。だけど、だけど・・・
あ!そうだ、パウロ神官のことは知っていますか?
両親を亡くした僕を温かく育ててくれた方です。」
「ああ!彼とはとても仲が良かったよ。」
「パウロが・・・どうなったか知っていますか?」
「西の国の話だからね・・・ちらりと噂は耳にした。『とんでもない犯罪』を犯して牢獄に入れられたと聞いたが、そんな奴には思えない。きっと冤罪か何かだよ。」
「そうです!そうなのです!!
彼は・・・彼は・・・僕のせいで、僕にやさしくしてくれたことが、西の国では罪になって・・・」
僕は涙が止まらなくなり、それ以上何も言えなくなった。
ハレルはやさしく肩を撫でてくれた。
「そんな国なんだね・・・西の国は。・・・似たようなものだよ、私たちの国も・・・。
科学文明はますます行き詰まりを迎えている。皆、科学に酔いしれ心というものを忘れてしまった。
便利さと引き換えに、恐ろしい相互監視社会が私たちの人生を縛りつけているのだ。」
「・・・何かがおかしい、何かがおかしいと分かっていても、言えないのです。止められないのです・・・。
そして、僕は・・・僕は生きていくことができないのです・・・。」
「・・・思い煩うな。思い煩うな。何とかなるよ。だいじょうぶだよ。
宇宙は良くなる。そして、神はあなたをどれだけ愛して、どれだけ多くの恵みを与えようとしてくれているか・・・。
必ず、神は、君のこともパウロのことも救う。必ずだ。」
その言葉には、言葉を超えた安心があった。
ハンスは、胸のわだかまりが解消されてとても落ち着いた気分になった。
だけど・・・あのハレルだけにも決して言えないことがあった。
それは、あの子のこと・・・
彼女と、ハンスの間の中には、なにか特別な何かがあったように思われた。
それを明かさない限り、彼の人生はこの先回っていかないに違いない。
・・・あきらめきれない。
どうしたらいい?どうしたらいい?
・・・そもそも、ハンスは、彼女の名前すら知らない。
ベッドの中で眠れずに、様々な想いが胸の中を去来する。
「・・・よし、明日、彼女にもう一度会おう、そして名前と、過去に何があったかを聞こう。」
朝が来た。
ハンスは街角でずっと彼女を待ち続けていた。
あの時通っていた道を思い出しながら、彼女が歩いてきそうな交差点の自動販売機の前で、コーヒーを飲みながら彼女を待った。
胸が高鳴る。恐怖と、期待に。
彼女は、いったい何と答えるだろうか。
やかましそうな不良三人組が交差点を通りかかる。
「おまえらじゃない・・・」とおもいながら、その後ろに彼女の姿が見えた。
彼女は何か読書に夢中になりながらうつむきながら歩いていた。
「お・・・おおい!」
不良たちが勘違いしてこっちを向いたが、視線が別なのを見て、そのまま笑いながら去っていくがそんなことは視界に入らない。
彼女は目を丸くしながらこっちを向いていた。
彼女は恭しく敬語を使った。
「ああ、また、あなたですか・・・。」
しかし、信号が点滅したのを見て、本をたたみ、横断歩道をかけ出していった。
「元気かい!?」
と大声できくと、
手だけ挙げて大急ぎで横断歩道を渡っていってすぐに角を曲がっていって姿が見えなくなった。
ハンスはその様子を呆気にとられながら見つめる以外になかった。
「つい先日まで・・・仲良く話しあっていたじゃないか。」
どうしたんだ。いったい何があったんだ・・・。
「もう来ないで」
「迷惑だから」
などと言われたら、どうしようかとおもったが、彼女の態度は、それと幾分も変わりないのではないか。




