妄想
彼女は、「あ、会わなきゃいけない人がいるから」と席を立った。
数時間が経った。
ハンスは、一人取り残され、聖堂の塔の上から空と街を交互に見わたしながら、彼女の行く道をちらちらとみる。
彼女は、同じ年代の男や女たちと仲良さそうに歩いていた。
周りには、たくさんの人がいる。
彼女は輪の中心にいて笑顔だった。
なにが、「非社交的であることは芸術家の宿命だ」などと思ってしまったのだろうか・・・。
心を分かち合えて、何でも話し合える友人ができたのだろうか。
ああ、いいなあ、いいなあ・・・君は幸せそうで。
そのグループは解散して、彼女はとあるハンサムそうな男と一メートル以内の距離を取りながら楽しそうに話している。おまけに、男は優しそうで明るいときている。
その集まりの中に自分はいない。
<違うだろ・・・違うだろ・・・>
ハンスの中に、黒い感情が一瞬芽生えた。
<お前は・・・そんな奴か。>
それを打ち消して、空を見上げて微笑んだ。
<君は・・・すっかり僕のことなど忘れて、大切なものをみつけたんだね・・・。
僕は・・・君のことをずっとずっと探し求めていたのに・・・。
・・・それでもいい・・・それでも。
あははっ。そりゃそうだよね。長い長い時間がも経っているのだもの。ただ、夢の中に繰り返し現れるだけのひとだもの。そりゃあ、仲のいい人でもできるさ。
いや、おれは何を考えているんだ。なにを・・・非常識で恐ろしいことを考えているのだ。
当たり前だろう。当たり前のことだろう。それも自然の摂理だ・・・。>
ハンスは大きな笑顔を作った。
大きくなってしまった彼女を祝福し、喜んだ。
「よかった・・・よかったね。」
しかし、そのあとまるで全身から力が抜けたようになって、足から崩れ落ちて、窓に寄りかかって何もできなくなった。
笑いながら、心の奥底では哭いていた。
自分の中で、すべてが抜け落ちて真っ白になって、そしてその抜け落ちたものはもはや二度と手に戻らないという絶望的な感覚。
この世界に・・・女性は・・・何億人と居る・・・そう、この星の数ほど。だけど、あいつは・・・あいつは・・・この宇宙のどこを探しても同じあいつなんていないんだ。替わりは、いないんだ、ひとりも。
そう、かけがえのない存在、かけがえのない存在なんだ。たったひとりの存在なんだ。
銀河には、ああ、何千何億もの星が輝いている。しかし、僕だけの星が存在する。
男なんてものは、太陽の周りをグルグル回っている惑星みたいなものだ。
そして、その惑星の中心には、あいつという太陽しかいないのだ。
その星が、今・・・見えなくなった!!
星が見えない。
太陽も見えない。
すべての天体には手が届かないのだ!




