私は私である
こういったやり取りを経験しながら、ハンスは身近なことから、人間にとっての「大きな」問題に関しても思いを巡らしていた。
「・・・そうではない、そうではないのだ。
人間とはそんなものではない。
人間とは道具でしかないのか?
人間の作り出したものに人間が支配されるということは何かおかしいことではないだろうか。
道具がなければ、物がなければ、お金がなければ人は生きてはいけない、確かに。
しかし、ただそれだけのために生きなければならないとすると、生きているとは一体どういうことなのだ。
なぜ、誰もそもそもそのことについて考えようとしない?」
「人間と人間の関係が破たんするのはいつだって、自分の型を相手についはめようとしてしまうことと、
相手が自分に求める型にはまらねばならぬという気持ちとはまりたくないという気持ちの相克するところにある。」
そうハンスは考えた。
あまりにも、西の国でも東の国でも人と人は自由を求めながら、ますます不自由になっているような気がする。
ハンスは、自分がどうやったら本当の意味で自由になれるかを考えた。
自由・・・それは、あの今は亡きユタカが求め続けていたテーマであった。
しがらみから解き放たれて、そして、愛や夢を実現できること。
そして、そのことは今からでもすぐに可能なのではないか。
だとしたら、本当は僕は自由だと、彼は思った。
愛も自由も心の奥から想像されていくものだとしたら、そしてこの世界は人々の心が作り出しているということが真実であるならば・・・また、この世界や他人は決して自由になることはない。
すべては、自分自身から始まる。
愛も自由も。
「私は私である。」
「I am that I am.」
「εγω ειμι」
様々な言葉で、ハンスは「私は私である」ということを、自分自身に対して宣言した。
この言葉は、まさに宇宙的であり、宇宙とつながっている言葉だ。
私が私でなくして、だれが私を私であらしめてくれるだろうか。
私が私であることの中に、自由はある。
自分を選び取る勇気を持ち続けなければならない。
ハンスは、通りかかった公園のベンチで一休みすることにした。
公園で太陽の光を浴びながら、賢者の書簡に触れながら、ハンスはしばらく物思いにふけった。
自分自身と、深いところで対話をして、精霊の声を聴く。
こうした自分が自分であることのできる時間が、様々な外であった出来事から自分を切り離し、ハンスを力づけてくれるひとつの大きな力であり、この旅にとって欠かせないものになるであろうことをハンス自身感じ取っていた。
このことから、世界は始まっていく。
ハンスは書をカバンにしまい、ギターを取り出し、西の国でいつもしていたように引き語りを始めた。
そこには東の国出身のミュージシャン・ユタカの歌も含まれた。
その音を聞くや否や、子どもたちが駆け寄ってきた。
そして、円を描くようにそばに座り込み、その歌声にじっと聞き入っている。
彼は子供たちが知っている歌を分かち合いながら、共に声を合わせて歌った。
彼には歌いながらその様子がほほえましく、あたたかかった。
ふと涙をこぼしたハンスを見て、子どもたちは不思議に思い、冷やかす者もいた。ハンスの顔をのぞき込み頭をなで、なぐさめる子供もいた。
そのすべてがハンスには幸せに感じられた。
さあ、新しい一日が始まる。
旅はまだ始まったばかりだ。
精霊が導くままに、僕は旅を進めよう。
悪いことがあればいいこともある。僕の旅の物語はそうやってつづられていくものなのだ。
そして、すべては完成する。
ああ、大空よ、太陽よ、雲よ、僕を祝福してくれ。
そう祈ってからハンスはリュックとホウキとギターを背負い次の目的地に向かった。
この旅はどうもハンスにとって、サトルとの再会だけでなく、人々に希望の光を示し、歴史を変え、この世界を救う賢者と勇者と出会うことのようだ。
精霊がハンスにそう告げた。