80. バトン
桜が揚羽と戦った日の午後、巫月は帝霧館の医務室にいた。
前日に戦った聡を、医務室のベッドに寝かせていたからである。
「こいつ、確かこれ好きだったよな」
買ってきたサイダーをビニール袋から出し、手に取って呟く。
巫月はベッド横の椅子に腰掛けると、サイダーを眺めながら何かを思い出し、悪戯っぽく笑った。
――ピタッ――
何を思ったのか、突然サイダーの缶を聡の頬にくっつける。
「……ん……んん。なん……冷たっ!!」
冷えた缶をくっつけられた聡は、驚くように目を覚ました。
「ははははっ。高校生の時と反応が同じだな、聡」
聡が、目を丸くして上半身を起こす。
「巫月!? 何で? ここは?」
「ここはMISTの本部、帝霧館の医務室だよ」
巫月が答えると、聡は医務室を少し見渡してから、再度巫月に目を向けた。
「……そういうことか。それにしても、相変わらずイタズラするのが好きだなあ、巫月は」
巫月が持つサイダーに目を向けて、聡が呆れた顔をする。
「聡にだけさ。聡の反応は、いつも素直で面白いからねえ」
巫月は笑みを見せて、サイダーを聡に手渡した。
サイダーを受け取ると、聡は少しだけ笑みを見せたが、すぐに表情が曇る。敵対組織に属しているという現実が、やはり聡の笑顔を続かせなかった。
「……巫月、よかったのか、こんな所に俺を連れてきて? 俺は創世会の人間だぞ」
聡が、サイダーの缶を見つめながら訊く。
その言葉を聞いた巫月は、首を横に振って答えた。
「僕は、創世会の人間をここに連れてきたわけじゃない。倒れていた友達を連れてきただけさ」
「……いや、でもっ」
言いかけて、聡が言葉に詰まる。
そんな聡に対し、巫月は穏やかに話し始めた。
「聡、君なら分かってると思うけど、僕には秘密主義的なところがあってさ。だから、親友のお前にも話してないことがあったんだ。僕の両親のことなんだけどね。それを話したいから、少し聞いてくれるかな?」
突然の話に、聡が戸惑いながらも「え、あ、ああ」と答える。
「……僕の今の両親はね、本当の親ではないんだ。僕は小さい頃に、養子として今の両親に引き取られたから」
巫月のいきなりの告白に、聡は「えっ」と身を乗り出した。
「そんなこと、お前一度も……。じゃあ、本当の両親は?」
「本当の両親は、もう亡くなってるよ。父のほうは違法召喚者と刺し違えて、母のほうはそれに巻き込まれてね」
「刺し違えてって、じゃあ、お前のお父さんも……」
「ああ。父もMISTの隊員だったんだ。この仕事は危険が伴うから、結婚しない人が多いし、結婚した場合はたいてい辞職するんだけど、父はずっと続けていたんだよね。優秀な霊能者だったらしいから、家族を守れる自信があったんじゃないかな。だけど、そんなにこの世界は甘くなかったってことさ」
巫月の話を聞くと、聡は「そうだったのか」と俯いた。
巫月が、冷静の中に少し切なさが入り混じったような表情で話を続ける。
「父は亡くなってからも、一人残した僕のことが心配だったらしく、彼の守護霊だった霊体を僕に遣わしてくれてさ。それが今の僕の守護霊なんだ。要するに、僕は父の守護霊を受け継いだんだよ」
「……確か、魂帯を切られぬまま宿主が死んだ場合、その守護霊はまた他の人間の守護霊になれる、だったよな?」
「うん、そうだね。それからずっと、爺……僕の守護霊は僕を守ってくれてる」
「……そういえば巫月って、高校の頃から独り言が多かったけど、今考えると、あれは守護霊と話をしてたんだな」
「自分ではあまり憶えてないけど、きっとそうだね。小さな頃からずっと一緒にいてくれたから、爺は僕の祖父みたいなもので、一番の相談相手だったから」
聡は、「そっか」と微笑んだ後、「そういう相手がいたことは、よかったな」と言った。
「僕はね、聡。爺が来てくれた時、父の守護霊だけじゃなく、その意志も受け継ごうと決めたんだ。だからMISTにも入ったんだよ。そして、そうやって生きているうちに、あることに気づいた」
巫月が、少し間を置いてから続きを話す。
「人ってさ、誰かの意思を受け継いだら、それを未来に引き継がなければならないんだよ。バトンみたいに。そのためには、前を向いていなければならないんだ」
「……巫月」
「振り向いて、バトンをくれた人に会いたくなるときもあるけど、そんなことをしていたら、前にいる次の走者にバトンを渡せないじゃないか。世界が、前に進まなくなってしまう」
聡は、ここで巫月が言いたいことを察した。
「だからさ、聡」
「……ああ」
「前に進む世界を、未来に進む世界を、変えようなんて思わないでくれ」
「……」
巫月の言葉の後、二人のあいだに沈黙が流れる。
聡は、黙ったまま俯いてしまった。
巫月が、聡の返事を待たずに口を開く。
「僕が親友に伝えたかったのは、それだけだ。今すぐに決めてくれとは言わないから、京都に帰ってゆっくり考えてみてくれ」
その言葉を最後に、巫月は椅子から立ち上がった。
――ポンッ――
聡の肩を軽く叩き、医務室を立ち去ろうとする。
その時、聡が口を開いた。
「……巫月、話してくれて、ありがとうな。今の話を聞いて、どうして巫月が何も言わずに俺たちのもとを去ったのか、分かった気がしたよ」
巫月が、振り向いて聡を見つめる。
「でも、できたらいつか、お前の口からちゃんと俺と茜に説明してくれるか?」
「……聡」
「俺たち二人で、お前を待ってるからさ……」
聡の言葉を聞くと、巫月は視線を戻し、聡に背を向けたまま俯いた。
「今は上手く言葉にできないけど、しっかり言葉にできるようになったら、必ず会いに行くよ」
巫月が、少しだけ口角を上げて、静かに、しかし力強く約束する。
それから巫月は、「だから待っててな」と一言だけ言って、医務室を出ていった。
「……ああ」
巫月が出ていった後、聡も少しだけ口角を上げ、呟くように返事をする。
それから少しのあいだ、聡は巫月がくれたサイダーを見つめていた。
「俺が好きなやつ、まだ憶えててくれたんだな」
聡が、思い立ったようにサイダーの缶を開ける。
――プシュッ――
すると、噴き出した炭酸と共に、巫月と笑い合っていた頃の懐かしい香りが聡を包んだ。




