76. パロ
巫月と赤星が創世会の者たちと戦った次の日、千葉にある海岸の浜辺で、桜は愛犬の早朝散歩をしていた。
「パロ~、楽しいねえ。お姉ちゃんとの久しぶりの散歩、楽しいでちゅね~」
このパロと呼ばれた犬は、パグという犬種の小型犬で、舌をいつも出している。
実家の母親が保護犬だったパロを貰い受けたのが、ちょうど三年前。桜はそれから、実家に帰るたびにパロの散歩に行くようになっていた。
桜に抱き上げられると、パロはクリクリの目で桜を見つめる。
「もお~なんて可愛いらしいの、あなたは。ずっと抱っこして散歩しちゃおうかしら」
桜は、デレデレの顔をパロの顔に擦りつけた。
「え? それじゃあ散歩にならないって? そうねえ、それじゃあ困るわよねえ。じゃあ、降りよかっか? 降りちゃう?」
何も言わないパロと会話しながら、桜はパロを砂浜に降ろした。
リードを持つと、パロと一緒に人気のない浜辺を走りだす。
「おー、速い速い。パロ、速いねー」
短い足を一生懸命前後に動かすパロを見て、桜は弾けそうな笑顔を見せた。
――カチャッ――
そうして走り回っていると、突然リードがパロの首輪から外れてしまう。
「あっ。あれ? ああ、そういえばリードの接続部分が壊れかけてるって、お母さんが言ってたっけっ」
桜がリードを確認していると、自由になったパロは単独で走っていってしまった。
「あー、パロ―、ちょっと待ってーっ」
桜が追いかけていると、こちらに向かって歩いてくる女性の前で、パロが立ち止まる。
女性は学生ではないようであったが、おかっぱ頭をしていることで若く見えた。
パロは息を切らしながら、その女性の冷たげな顔を凝視する。
「すいませーん、リードが壊れちゃってー」
桜は走りながら、手を振って女性に声をかけた。
その瞬間、目を疑うような光景が桜の目に入る。
「キャイキャインッ!!」
突然、その女性がパロを蹴り飛ばしたのである。
軽く蹴り飛ばした様子であったが、小さいパロが吹っ飛ぶには充分の威力であった。
「パロっ!!!!」
パロのもとに桜が駆けつける。
「パロっ、大丈夫っ?」
パロはすぐに起き上がったが、後ろの左足を痛そうに浮かせている。
桜はすぐに足に触れ、骨折の有無を確認した。
(骨は折れていない、よかった……)
桜がほっとした表情を見せる。
桜は、パロを抱き抱えると、少し離れた場所にある木の木陰までパロを連れていった。
そして、リードの一方側を首輪に巻きつけ、他方側を木に巻きつける。
「ちょっと待っててね、パロ。あとで一応病院に行こうね」
そう声をかけると、桜はパロを撫で、すっと立ち上がった。それから振り向いて、パロを蹴った女性を睨みつける。
「ちょっとっ、ウチのパロ君に何してくれちゃってんのっ?」
大声で言いながら、桜は女性のもとに向かって歩き始めた。
(……ん? 白いスーツ。こいつ、創世会かっ!!)
女性のスーツを見て、桜が女性の正体に気づく。
桜が女性の近くまで来ると、女性は囁くような声で桜の問いに答えた。
「べつに。邪魔だったからどかしただけ」
「……てめえ、創世会の信者かよ? 椿木さんの言うとおり、やっぱり一人でいるとこを狙ってきたわね」
「私は創世会の揚羽。あなたの守護霊を除霊する」
「相手してやるから、その前にウチのパロに謝れ。さすがにあれはやりすぎだろ? それともなにか? 創世会の人間は、か弱い犬を蹴り飛ばしても心が痛まないほど病んでんのか?」
「犬を蹴ると心が痛まなきゃいけないの? 私には感情がないから分からな……」
――バチーーンッ!! バチーーンッッ!!――
話の途中にもかかわらず、桜はいきなり揚羽と名乗った女性に向かっていき、強めの往復ビンタをくれた。
「ぐっ!! いっ、いきなり何を!?」
揚羽が、頬を抑えながら困惑の表情を見せる。
「あら、ごめんね~~~~。アタシ、そういうアニヲタが好きそうな無感情キャラに興味なくてえ」
桜は挑発的な言葉を発しながら笑みを見せるが、その目は笑っていない。
「こっ、こいつ」
――タラッ――
揚羽が眉間に皺を寄せて何か言おうとすると、鼻血が垂れてきた。
「ぷっ。おいおい、鼻血出ちゃってんじゃん。何だよ、ギャップ萌えでも狙ってんのか?」
「くっ。噂どおりムカつく奴だな、MISTの桜」
桜の馬鹿にした笑いと嫌味な言葉が、どんどん揚羽を苛立たせる。
揚羽は、すぐに鼻血を手で拭った。
「しかも噂どおり容姿端麗だろ? ってゆうかお前、いいのか? もう地が出てんぞ」
桜の言葉に揚羽がはっとする。
揚羽は、また落ち着いて囁くように話し始めた。
「わ、私は感情がないから、痛みも感じな……」
――バチーーンッ!! バチーーンッッ!!――
またも、話の途中で桜が揚羽に往復ビンタをくれる。
「痛ったいっ!! こいつっ」
「その設定もういらないから。無感情な人間なんているわけないでしょ。バカなの?」
桜は、見下すような目で揚羽に問いかけた。
「お前、もう許さないからなっ。後悔させてやるっ」
揚羽の声量が、囁くとは言えないほどに大きくなっている。話し方も、初めとは全く違っていた。
「そうそう、それそれ。キモい設定なんていいから、その調子でかかってきな!」
桜が声を上げると、揚羽は「言われなくてもっ」と言って守護霊を呼ぶ。
「出てきて、喜之助!」
すると、揚羽の背後に工房職人風の男性守護霊が現れた。
――ブオォォォォンッッ――
喜之助と呼ばれた守護霊は、現れ出るなり、いきなり大型の結界を張る。
結界はパロがぎりぎり入らない程度の大きさで、これが周辺の者から知覚されないための結界だと、桜はすぐに分かった。
「クゥーン、クゥーン」
桜のことが知覚できなくなり、パロが不安な鳴き声を発する。
(ふぅん、目立たない所で思いっきりやろうってこと?)
桜は、喜之助が張った結界を見渡すと、「上等!」と声を上げて構えた。
――フオォォォォン――
桜に呼応して、背後に腕を組んだ道山が現れ出る。
道山を背後に感じると、桜はいきなり告げた。
「道山、まずはパロが受けた痛みを倍にして返すわよ。思いっきり蹴り飛ばしてやる!」
その言葉を受け、道山が両眉を上げる。
『おいおい、いきなり初手を明かす奴がどこにいる』
道山は口角を上げ、桜と同じ構えを取った。




