72. 竜巻
巫月と与一は、結界の底に向かって沈んでいった。
しかし、二人に意識がないわけではない。
(……大丈夫ですか、坊ちゃん?)
(ああ、こっぴどくやられたけどね)
手ひどいダメージを受けながらも、水中で冷静に念話を行っていた。
(それで、どう反撃しますかな?)
(……まず、この水を短時間だけでも吹き飛ばせるかな? そうして聡への道筋さえできれば、爺なら一発で決められるでしょ)
(……そうですな。承知しました。では蛇風を呼びますので、道筋を作るのは任せましたぞ。知ってのとおり、かなりの魂力を消耗しますのでご覚悟を)
(分かった。息を止めておくのもそろそろ限界だから、早めに頼むね)
念話を終えると、与一が咒文を唱え始める。
そのあいだに、巫月は仰向けのまま水底に達した。
(では発しますぞ、坊ちゃんっ)
(ああ!)
(走れ言霊、風蛇創成!)
――シューーーーーッ!――
与一が咒文を発すると、遥か上の水面において、つむじ風が発生する。
「なっ、何だ!?」
聡が驚いていると、そのつむじ風はすぐに巨大化し始めた。
――ゴォーーーーーッ!――
あっという間に、つむじ風が小規模の竜巻に変わる。
竜巻は人間を数人呑み込めるほどの大きさで、蛇のようにうねっていた。
「巫月の仕業か!?」
聡が声を上げるのと同時に、竜巻が水中に潜り始める。
――ザザザザザァーーーーーッ!――
竜巻は、まるで掘削ドリルが地中を掘り進むかのように、水中を進んだ。水を吹き飛ばしながら、結界底部の巫月に向かっていく。
――ザバァーーーーーンッ!――
竜巻が結界の底面に達すると、巫月を中心とする空気の柱が出来上がった。
その柱は、結界底面から天井まで延び、内部に蓄えている空気を存分に巫月に与える。
「ぷはっ、よしっ!」
巫月は空気を大きく吸い込むと、空気の柱となった竜巻の中心で立ち上がった。そして、両腕を真上に突き出す。
「いくぞ、反撃だっ」
そう叫ぶと、巫月はそのまま精神を集中し、腕をゆっくり動かし始めた。
「はあぁぁぁぁーーーー!」
巫月の腕の動きに合わせ、垂直に伸びた竜巻が斜めに傾いていく。
その先には、水面に浮かぶ聡がいた。
「な……何を?」
倒れ込むように向かってくる竜巻を見ながら、聡は呆然としている。
『逃げるんだ、聡!』
廣之進が叫ぶと、聡は我に返り、結界の端に向かって泳ぎ始めた。しかし、竜巻が倒れ込んでくるスピードのほうが速い。
「うわあっ!」
――ドバアッッ!!――
竜巻は一気に聡たちを呑み込んだ。
――フワッ――
竜巻の回転に巻き込まれながら、その内部に入ると、聡の体が一瞬浮かぶ。その瞬間だった。
「巫月!」
聡の目に、結界の底面に立つ巫月が映る。
二人を繋ぐ道となった竜巻の先端で、巫月は弓を射る構えを取っていた。
「道筋は見えたよ。ごめんな、聡」
――ビュッッッッ!!!!――
巫月が呟くと、背後で同じ構えを取っていた与一の弓から、力強く矢が放たれる。
――シュバアッッッッ!!!!――
その矢は、聡と廣之進のあいだにある魂帯を、一瞬で切り裂いた。
「ぐあぁぁぁぁ!!!!」
『ぐおぉぉぉぉ!!』
結界内に、聡と廣之進の苦痛の声が響き渡る。
――ドボォーーーーンッ!――
命中と同時に、与一が竜巻の咒文を解いたため、聡と廣之進はそのまま水面に落下した。
「聡っ!」
『今はダメです、坊ちゃんっ』
沈んでいく聡を巫月が助けに行こうとするが、与一が止める。巫月は「なぜ……」と言いかけたが、すぐに理由が分かって、助けに行くのをやめた。
廣之進が、苦痛を我慢しながら、意識がなくなった聡に手を伸ばしていたのである。
『ぐうぅっ、聡っ……』
廣之進が懸命に手を伸ばすが、霊体が人間に触れることはできない。
――……パアァァァァッッッッ――
そのまま廣之進は、光の粒子となって散失した。
それを見た与一が、教え諭すように呟く。
『想いだけは大事にしてやらねば』
巫月は、何も言わずに頷いた。
――フウゥゥゥゥッ――
廣之進が消え去ると、水を蓄えた結界も消えていく。
それにより浮力が消え、聡の体が落下し始めた。
「聡っ」
――ドサッ――
聡が地面に直撃しそうになると、すんでのところで巫月が受け止める。
「ふうっ」
安堵の表情を見せると、そっと聡を地面に寝転ばせた。
――ポタッ、ポタッ――
巫月が、自身の髪からこぼれ落ちる水を、額の汗と共に腕で拭う。
それから、意識のない聡の顔をじっと見つめた。
『それで、彼らをどうするおつもりですかな、坊ちゃん?』
巫月が聡の顔を見ていると、背後の与一が、聡や他の構成員の処分について訊いてくる。
それに対し、巫月は即答せずに少し考えた。それから、少し複雑そうな表情で答える。
「聡は、帝霧館に一旦連れていくよ。他の人たちは……やっぱり警察に引き渡さなきゃなんないかな。彼らは、純粋にあの世との繋がりを求めていただけだけど、それでも、してはいけないことをしてしまったから」
『……承知しました。坊ちゃんが思ったとおりに致しましょう』
与一は、特に否定することなく、巫月の考えに同意した。その後、巫月の横に移動し、「これは、年寄りの戯言とでも思って聞いていただければいいのですが」と言って話を続ける。
『茜さんのことについては、坊ちゃんが本当に気持ちを話したくなったときに話せば宜しいかと思います。感情というものはとても複雑なもので、自分でも言葉にできないことが多い。無理に話そうとしたら、伝わるものも伝わらなくなってしまいますからな』
「……爺」
『しかし、坊ちゃんの父君や母君のことについては、話すべきだと私は思います。それは感情でなく事実ですから。親友であれば、互いの事実は共有してもいいではありませんか。互いに家族を失ったことがある。それを知るだけで、聞く耳を持つこともあるかもしれません』
「……そうか」
与一の話を聞いて、巫月は考え込むように俯いた。
「感情と事実か……。親友なら……か」
しんみり呟いた後、視線をまた聡に向ける。
与一は、そんな巫月を見て優しく微笑んだ。




