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62. 暴力

 “冬彦”という名で呼ばれた秋広は、一瞬驚いた表情を見せる。

 蛍の言葉には、凛も「えっ」と声を出して驚いた。そのまま「そうなのっ!?」と秋広を凝視する。

 二人から目を向けられると、秋広は目を逸らした。


「僕は……秋広です。冬彦は……死んだ兄です。勘違いしないでください」


 笑顔の蛍をちらちら見ながら、秋広が強調するように言う。


「ここにお母さんはいないから、本当のことを話していいんだよ。それに私たちは霊の専門家だから、君が霊でも驚かないので心配ご無用」


 蛍が人差し指を上げて話すと、秋広は目を丸くした。「それじゃ……」と何か言いかけたが、思いとどまって、すぐにまた俯く。


「ねえ、この霊、本当に亡くなったお兄さんなの?」


 凛が訊くと、蛍は凛を横目で見ながら頷いた。


「まず、あれだけの質問にしっかり答えるのは、偶然憑依しただけの霊なら絶対に無理だよね? それでいて本人じゃないとすると、本人のことをよく知る家族の霊としか考えられないんだよ」


「……確かに、そうね。そこで消去法を使うと、両親は生きているわけだから、お兄さんしか残らないってわけか。でも、じゃあ何でお兄さんが弟に憑依なんてしたのよ?」


 凛が、秋広を見据えながら蛍に訊く。


「冬彦くんは、秋広くんをお母さんの暴力から守ろうとしてたんだよね? お母さんが秋広くんに暴力を振るおうとするから、自分が秋広くんの代わりに戦っていた。違うかな?」


 蛍が訊いても、秋広は俯いたまま何も答えない。代わりに凛がまた口を開いた。


「じゃあ、この子の体の青アザは、あの母親がつけたものだってことっ?」


「そう。秋広くんの体にできている青アザを見た時、おかしいと思ったの。このアザは、自傷行為でできるようなものじゃない。大人に殴られてできるようなアザだよ。そうだよね、冬彦くん?」


 ここで蛍は、問いかけるのをやめ、秋広が口を開くのをじっと待つ。


「……母さんは」


 しばらくすると、秋広は俯いたまま話し始めた。


「普段は大人しいけど、怒りだすと自分をコントロールできなくなって、すぐに暴力を振るうんだ」


 話しながら、ゆっくり顔を上げる。


「僕なんか、秋広よりもずっと勉強ができなかったから、小さい頃から本当によく殴られたり、蹴られたりしたよ。父さんはそれでも僕を庇おうしてくれたけど、怒った母さんは止まらなくて。ひどいときは、食事を貰えなかったり、ベランダで寝かされたりすることもあった……」


「……ひどい」


 話を聞きながら、凛は眉をひそめた。


「やっぱり、君は冬彦くんだったんだね」


 蛍が確認すると、秋広の中にいる冬彦が、秋広の体を使って頷く。


「本当なら、僕がもっと母さんに反抗して、あの人の意識を変えられればよかったんだけど、あの頃の僕はもうおかしくなってて。もう、自分がダメな人間だとしか考えられなくなってた」


「……だから、自殺したのね?」


「!!」


 蛍が沈痛な面持ちで訊くと、凛は驚き、冬彦はゆっくり頷いた。


「みんなは事故だと思ってるけど、あれは事故じゃありません。僕は自ら走っている車にぶつかったんです」


「……なんて馬鹿なことをっ」


 凛が堪らず感情を言葉にする。


「でも、死んでも、やっぱりあの母のところに残してきた弟のことは心配で。戻ってみたら、優しい父さんは家を出ることになっちゃってたし。だから、こうして弟に憑依して守ってきました……」


 冬彦の話に、蛍も凛も言葉を詰まらせる。

 憑依した霊は除霊しなければいけないが、純粋に弟を思って憑依していた彼に対して、二人はなかなか行動を起こせないでいた。

 そんな中、蛍が口を開く。


「冬彦くん、君の気持ちはよく分かったよ。でもね、死んでしまった君は、もうこの世にいてはいけないの」


「じゃ、じゃあ、弟はどうすればいいんですかっ? 僕は、弟を僕と同じような目に遭わせたくないっ」


「それでも、ダメなの。どれだけ心配でも、悔いがあっても、心残りがあっても、君はもう秋広くんを守ることはできないのよっ」


 相手のためにあえて厳しくすることを、人は“心を鬼にして”と表現するが、この時の蛍は正にそうであった。

 それが分かっているから、凛も口を出さない。


「……そんな、ここまで守ってきたのに。せめて、あいつが高校生になるまで、いや中学生になるまででもっ」


「ダメなものは、ダメなのっ!」


 蛍は、心が締めつけられるような思いをしながら、冬彦に伝えた。


「じゃあ、どうすれば、どうすればいいんですか……」


 冬彦の目が涙で滲み始める。

 同じように、蛍の目も涙で滲み始めた。


「殴られたり、蹴られたりすると、痛いんですよ。すごい痛いんだ。それを何年も何年も……」


 冬彦の一生懸命訴える姿を見て、凛も堪らず目に涙を浮かべる。

 これ以上見ていられなかったのか、それとも自分の涙を見せたくなかったのか、凛は蛍と冬彦に背を向けた。


「生まれた時から一番信頼してるのって、母親ですよねっ? その母親に痛めつけられるのは、すごくつらいんですっ」


 凛が背中を向けても、背中越しに冬彦の想いが伝わってくる。助けを乞うように見る彼の視線も、強く伝わってきた。


「秋広には、あんな痛い思いはさせたくないっ!!」


 冬彦の懇願するような叫び声が、静かな神社に響き渡る。


「……っ」


 凛は、思わず唇を噛んだ。何もしてあげられないことが、悔しくて堪らなかったのである。

 その時だった。


――フワッ――


 蛍が、冬彦を優しく抱きしめた。


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