61. 研修
この日、蛍は任務で茨城県にいた。ある集合住宅の一室の前に立っている。
蛍の隣には、研修の一環として同行してきた凛がいた。
「ここみたいだよ、凛ちゃん」
「そだね。いくら任務とはいえ遠かったわぁ」
二人の任務とは、子供に憑依した霊の除霊である。
その子供は、ある日急に別人のような性格になり、本人が知らないようなことも話すようになった。また、子供とは思えないような力を持ち始め、母親に暴力を振るい始めた。
これらのことから、憑依の疑いが持たれ、MISTに調査要請が届いたのである。
――ピンポーン――
蛍が、“竹井”という表札を確認してから、玄関ドアのチャイムを鳴らす。
すると、やつれた表情の中年女性がドアを開けた。
「MIST……の方たちですよね。警察から聞いてます。どうぞ」
女性は顔に青アザがあり、愛想笑いもできないほど滅入っている様子である。
彼女がくだんの子供の母親であることは、すぐに分かった。
蛍たちが「お邪魔します」と言って靴を脱ぐ。
「息子は今、ちょうど寝ています。診ていただくなら、おとなしくしている今がいいかもしれません……」
そう言うと、母親はすぐに蛍たちを子供部屋に案内した。
「失礼します」
蛍が、子供が寝ているベッドの脇に行き、片膝をついて座る。
子供は小学校低学年ぐらいの年齢で、寝顔だけ見ると、憑依されているような様子はない。しかし蛍と凛は、すぐにこの男の子が憑依されていることを感じ取った。
「間違いなく憑依されてるね」
蛍の背後に立って、覗き込むように顔を出した凛が呟く。
「そうだね……ん?」
ここで蛍は、何かに気づいて動きを止めた。
男の子はTシャツ姿で寝ているのだが、首元や腕などの露出している部分に、青アザが見えたのである。
それを見た蛍は、すぐに振り向き、「竹井さんっ、身体チェックもしたいので、お子さんの上の服だけでも脱がせて宜しいですかっ?」と母親に尋ねた。
母親の了承を得て、男の子の服を脱がすと、いくつもの青アザが蛍の目に入る。
「……憑依霊の仕業ね。かわいそうに。自虐行為をさせるとか、許せない」
「……」
凛は怒りを露わにしたが、蛍のほうは言葉を発せず、何かを考えている様子だった。
その後、子供に服を着せると、蛍は一旦部屋から出る。居間で母親の話を聞くことにしたのである。
凛も、すぐにでも除霊したい気持ちを抑えながら、蛍の後をついて部屋を出た。
居間では、蛍の質問に対し、母親がか細い声で答えていく。
「息子さんの名は秋広くんで宜しいんですよね? 秋広くんが変わったのは、いつ頃からですか?」
「去年、冬彦……あの子の兄が交通事故で亡くなってから、徐々にです」
「お兄さんが亡くなったのですかっ?」
蛍は、その情報を知らなかったため、少し驚いた様子で聞き返した。
「ええ。冬彦はまだ中学生で、秋広とはとても仲の良い兄弟でした」
「……それはお気の毒に」
「その事故を境に私と夫がギクシャクし始め、結局は離婚になったんですけど、それぐらいから特におかしくなり始めました。最初は、兄の死や離婚などの精神的影響かと思ったのですが、あまりに様子がおかしくて……」
母親が少し涙ぐむ。
「おかしいとは、どのように?」
「あの子が知るはずのないようなことを口走ったり、私を憎むような目で見るようになって。暴れたりすることも多くなりました。止めようと思っても、驚くほどの力があって止められなくて。私……もうどうしたらいいか……」
そう言うと、母親は声を抑えて泣き始めた。
「あの子にまで何かあったらどうしようっ。もう生きていけないっ。お願いしますっ、あの子を助けてくださいっ。何でもしますからっ!!」
取り乱す母親の腕に手を当て、凛が「大丈夫だから、落ち着いて」と優しく声をかける。
「竹井さん、では、息子さんが起きたら、いくつか本人に確認したいことがあるのですが、宜しいですか? 除霊はその後に行いますので」
冷静に訊く蛍に対し、母親は泣きながら頷いた。
「憑依されてるのは分かってるんだから、すぐに除霊しちゃえばいいじゃない。人を傷つけるような霊は、私が魂まで消滅させてやるわ」
凛はそう主張したが、蛍は首を横に振って「ちょっと気になることがあるから」と言った。
それから三人は、子供部屋に戻って秋広が目覚めるのを待つ。
程なくして、秋広は目を覚ました。
起きるとすぐに、ベッド脇にいる蛍と凛に目を向ける。
「……どなたですか?」
秋広は、いきなり小学生らしからぬ口調で訊いてきた。
「私は蛍。こっちのお姉さんは凛ちゃんね。私たちは、秋広くんの体調や心の調子を診るために来たんだよ」
「……お医者さん……なんですか?」
「ん~、そうだねえ、魂のお医者さんかな。絶対に痛いことや嫌なことはしないから、いくつかの質問に答えてくれる?」
蛍が明るく優しい口調で答えると、秋広は少し間を置いてから「分かりました」と答える。
(んっ?)
この答えに、凛は少し違和感を覚えた。
(……やけに素直な憑依霊ね。それとも秋広くんのふりをしてるのかしら? いずれにしても、蛍ちゃんは何を確かめようとしてるの?)
凛が見据える中、蛍が質問を始める。
「じゃあ、まず、秋広くんはいくつ?」
「……七歳」
「好きな食べ物は?」
「……カツカレー」
「いつも遊ぶ場所はどこ?」
「……近くの神社」
「仲の良い友達の名前は?」
「……ミツヤ」
「じゃあねえ……」
蛍は、こんな調子でこの後もいくつかの質問をした。
質問を全て終えると、振り返って母親に確認をする。
「竹井さん、今のは全て正しいですか?」
母親は、蛍がなぜこのような質問を秋広にしたかは分からなかったが、正直に「はい、全部合っています」と答えた。
この答えを受けて、蛍が凛に目配せをする。
(あっ、そういうことね)
ここで凛は、蛍の質問の意図を理解した。
(要するに蛍ちゃんは、本人確認をしていたわけだ。憑依霊ならあれだけの個人的な質問に答えられるわけないものね。ん……待って。ってことは、本人ってこと? いやいや、確かに霊は取り憑いてるよね。いったいどういうこと?)
凛が悩んでいるのをよそに、蛍は次の行動に移る。
「では竹井さん、秋広くんを少しだけ外に連れ出す許可を貰いたいんですが、宜しいですか?」
「えっ? いや、あの、どうして?」
戸惑っている母親に対し、蛍は「理由は後でお話しますので」と答えた。
凛は、怪訝そうな顔をして腕を組む。
「……分かりました。それでこの子が治るなら」
母親は、少し考えた後、不安げな表情を見せながらも了承した。
「ありがとうございます、私たちを信じてくださって」
それから蛍は、秋広を外に連れ出し、秋広がよく遊んでいるという近所の神社に向かう。
「結構大きい神社だねー」
蛍の言うとおり、その神社には立派な鳥居があり、境内も子供が飛び回って遊べるほどに大きかった。
蛍は、神社に着くと、秋広の前に立って言う。
「はじめまして、冬彦くん」




