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57. またひとつ

『野口、お前の研究に対する情熱も、未知のものへの探求心も素晴らしいと思う。しかしな……』


 ここまで言うと、義経は魂力の光の放出をやめた。これ以上、力の差を(けん)()する必要はないからである。

 呆然とする女に、ただ落ち着いて話を続けた。


『お前の今の研究は、無駄以外の何物でもない。先ほどの話では、お前は今、人間の体に複数の霊体が入ったらどうなるか、それを研究しているんだったよな?』


 女が、か細い声で『ああ、そうだ』と答える。


『私は、その答えを知っている。お前が研究を始めるずっと前に、六体の霊体が一人の人間に入ったのを見たんだ』


『ずっ、ずっと前だと……?』


『ああ、何百年も前だ。私が追っていた悪霊たちが、一人の男の中に逃げ込んだんだよ。結果は、ひどいものだった』


『ひどい結果とは……いったいどんな結果だったんだっ? もっと詳しく教えてくれっ!』


 女は、好奇心を抑えられない様子で義経に訊いた。


『悪霊全てが一つの体を動かそうとした結果、男の動きがちぐはぐになり、腕や足がおかしな方向に曲がった。視点も合わなくなり、舌を噛み、最後には見れるはずのない背後に顔を向けようとして首の骨が折れた』


『そ、そんな……』


『あれが悪霊でなく、もう少し協調性がある霊体たちの集まりだったら、少しは結果が違ったかもしれない。しかし、それでも入られた人間は、まともではなくなるよ』


 女が、口を開かなくなる。


『学者というのは、人を幸せにするものだろう? だったら、もうそんな人を不幸にするだけの研究はやめるべきじゃないのか、野口?』


 義経が問うと、ひとときの無言の後、野口は女の体から出てきた。


『……』


 野口はただ俯いている。頭の中で何かを考えている様子だった。


『違うか、野口?』


 義経が再度問うと、野口は反省した様子でやっと話し始める。


『きっと……そうかもしれないな。面白い研究テーマを見つけたと思ったんだが、そんな結果になることが分かっているなら、もう研究する価値はない』


 学者にとって、研究テーマが一つ失われるということは、日々の喜びが一つ減るということなのだろう。野口は、肩を落として話を続けた。


『君たちには迷惑をかけたな。すまなかった。私はまた霊界に戻って、静かに研究を続け……』


 ここで、野口が落胆した様子で話していると、義経が話に割り込んでくる。


『だがな、野口。世の中には、霊体を何体取り込んでも平気な人間というのがいるんだぞ』


 野口は、その話に「えっ!?」と強く反応した。


(ちまた)では、それを“王の器”という。そして何を隠そう、このイズミがその王の器だ』


 義経は、イズミに重ねていた体を少しずらし、右手でイズミのほうを指した。


――チラッ――


 そこで義経は、イズミに目配せを行う。

 イズミは義経の目を見て、すぐに義経の意図を察した。


『ほっ、本当なのか!?』


 野口が興奮した様子でイズミを見つめる。

 イズミは落ち着いた様子で頷き、「本当だ」と言った。そのまま「出てきてくれ」と静かに呟く。


――フォォォーン、フォフォォォーン、フォフォォォーン、フォォォーン――


 その瞬間、イズミの背後に狼、宍戸、雷電、蝶、八重、瀧という従霊たちが現れ出た。


『なんと!!』


 並び立つ守護霊たちに野口が驚く。


「これ以外にも従霊はいるが……」


 イズミがそう言いかけたところで、興奮した野口がイズミの体に触れ始めた。


『どうなっているんだ、君の体は? 彼らはどこに入っていたんだ?』


「いや、それは……」


 イズミが返答に困っていると、義経が話に入ってくる。


『驚いただろう? 学者魂がくすぐられるかい?』


『ああ、驚いたなんてもんじゃない。こんな人間がいるなんて』


 野口は、イズミの体を見回しながら義経に答えた。

 ここで、イズミが従霊たちを体内に戻す。「ありがとう。すまなかった」と言うイズミに対し、従霊たちは笑みを向けて消えていった。


『面白い。実に興味深い。いったいどうなっているんだ』


 従霊たちが消えても、野口はイズミの体から目が離せない。

 そんな野口を見て、ここぞとばかりに義経が提案した。


『そこでだ、野口。お前もイズミの従たる守護霊にならないか? こんなに面白い研究対象はいないと思うが。従霊になれば、いつもイズミと一緒にいて、体の中からイズミの研究ができるぞ』


「研究対象って、お前。実験動物じゃないんだか……」


『ぜひ、ならせてくれっ!!』


 イズミが話している途中で、野口が即決する。

 野口は、「すぐにでも頼む」と義経を急かした。


『分かった分かった。でもその前に……』


 この後、義経はイズミの中の牢獄的空間についての説明を始める。しかし、待ちきれない野口の要望で、すぐに野口を取り込むことにした。


――シュバンッ!――


 寝転ばせた女と野口のあいだにある魂帯を、義経が素早く切り裂く。


「きゃあぁぁぁっっ!!!!」


『ぬおぉぉぉぉ』


 それにより女は叫び声を上げたが、野口のほうは、痛みに耐えて叫び声を抑えている様子だった。


――フオンッ――


 イズミが、すぐに野口を吸収する。

 女は、イズミがビジョンを見始めたタイミングで意識を失った。

 女の叫び声が聞こえなくなるのと同時に、イズミの意識がビジョンに入っていく。


(……これは研究室か。研究室で顕微鏡を覗いている記憶だな)


 ビジョンには、顕微鏡で拡大された細菌が映し出されていた。

 野口が顔を引くと、顕微鏡と野口の両手が見える。


(この左手は……。そうか……野口はこんなハンディキャップがありながらも研究を続けてたのか)


 野口の左手には、火傷により大きな障害があった。左手が自由に動かない状態で、それでも研究に没頭している記憶は、イズミの心を打つ。


(こういう人間がいたおかげで、人類が様々な病気を克服できてきたんだな……)


 イズミが考えていると、ビジョンはここで消えた。


『終わったかい?』


 義経が、いつものように訊いてくる。

 イズミは、野口の印象が変わったので、素直にそのことを話した。


「……そういうわけで、彼は俺が思っていたよりずっと立派な学者なようだ。少なくとも悪い奴じゃない。人々のために自分を犠牲にしてきたような人間だ」


 話の最後にそう言うと、義経が「そうか」と微笑む。その笑顔は、まるで「初めから分かっていたよ」とでも言っているかのようだった。

 イズミが時折思うことだが、義経には、善い霊と悪い霊を瞬時に見極められるようなところがある。きっとそれは、長く霊体たちと戦ってきたことで培われたものであろう。


「お前、やっぱり初めから……」


 イズミは、そこまで口にして、訊くのをやめた。きっと無意識に成していることだろう、そう思ったからである。

 この後、従霊として野口を再度呼び出し、芥川に緩和剤を注射させると、仁は数分で回復した。


「いや~、参った参った。すっかり助けられちゃったねえ。おかげで完全回復したよ~」


 仁が後頭部に片手を当てて笑う。


『申し訳ありませんでした、大英霊さま。こいつは女性と関わると、すぐに油断するようなところがありまして……』


 仁が悪びれる様子もなく笑っていると、すぐに芥川が出てきて謝罪を始めた。


『問題ないさ。それだけ優しいってことじゃないか。それより仁、この憑依されていた女性はどうする? イズミはバイクで来ているので、意識がない女性は送っていけないが』


 義経が訊くと、仁は「……そうですねえ」と少し考えた後、何かを思いついたかのように手をぽんっと叩いた。


「あー、なんと、こんな所にベッドがー。いやー奇遇だなあ。じゃあ、ここで少し休ませてから俺がタクシーで送りますよ。俺もまだ体調が悪いんで、添い寝をしてあげながら回復を待てば、一石二鳥なんじゃないかなあー」


『……お前、さっき完全回復したって言ってただろ?』


 義経が呆れた顔でツッコミを入れると、仁は「あれ~、そうでしたっけ?」ととぼけた顔をする。

 結局、女は寝かせたまま、仁がすぐにタクシーで送っていくことになった。


――ブォンッ、ドッドッドッドッドッドッドッ――


 タクシーが来るのを待たずに、イズミがバイクのエンジンをかける。


「じゃあ、仁、彼女のことは頼んだ。また、研修の本番で会おう」


『彼女に悪さをするなよ』


 イズミと義経が声をかけると、女を背負った仁が「了解っ」と軽い口調で答えた。

 軽く手を振る仁を見て、イズミが微笑む。

 その後、イズミは義経をバイクの後ろに乗せて、ホテルの敷地から出ていった。


――ブォーーーーーーーーンッ……――


 イズミたちが遠ざかるとともに、バイクの排気音が小さくなっていく。


「バイクの後ろに守護霊を乗せるとは、そんな宿主は初めて見たなあ。色々な意味で、すごい二人だ」


 仁は、イズミたちを見送りながら、爽やかな笑顔で言った。


「……さてさて、タクシーが来るまで、こちらは気絶したレディーと湖でも鑑賞しますか」


 イズミたちが見えなくなると、仁が湖に目を向ける。


「女性には、優しく、優しくね」


 そう呟いた仁の顔は、湖に反射した太陽の光で、(きら)びやかに照らされていた。

 研修に先立ったイズミと仁の共闘は、こうして眩しい光とともに終わる。


「義経、少し遠回りして帰ろうか」


『いいね』


 二人を乗せたバイクが、高速道路を颯爽(さっそう)と駆けていった。


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