50. 怪盗
深夜、銀座のとあるビルの屋上に赤星はいた。
赤星は、道路向かいにある宝石店を見下ろしながら、インカムで巫月と話をしている。
「念のため結界を張っておけよ。いくら深夜っつっても、こんだけ人通りがあると、追いかけっこになったときに目立ってしょうがねえからな」
赤星がそう話すと、インカムの向こうから、口をとがらせたような口調で巫月が返答した。
「見くびらないでください。結界ならすでに張ってありますよ。とりあえず一般の人にはもう感知されません。透明人間の状態です」
結界にも色々あるが、ここで二人が話している結界とは、霊能者以外に自身を感知させなくできる結界である。これは体の周囲にだけ張る簡易的な結界であるため、魂力の消耗も少なく、それでいて利便性が高いので、霊能者にはよく用いられている。特にMISTの霊能者たちは、その存在が表に出てはいけないことから、結界を学ぶ際にはまずこの結界を学ぶ。
「あいかわず可愛くないねえ、お前は。その優等生ぶりがなんかムカつくわ」
「赤星さんに可愛いなんて思われたら気持ち悪いですよ。それより、今日こそ現れますかね、あの怪盗さんは?」
「どうだろうなあ。でも俺の直感は、今日あたり現れるって言ってるぜ。そして俺の直感は、俺の活躍により今夜その怪盗が捕まるとも言っているっ」
赤星と巫月は、ここ数日、この怪盗と呼ばれている人物を追って銀座で張り込みをしていた。銀座では、宝石店を狙った窃盗事件がここ数か月で三件起きており、その全てがこの怪盗の仕業だと判断されたからである。
通常では、MISTがこの手の事件に介入することはない。しかし、この一連の事件では、人間業とは思えない不可思議な犯行が行われていため、霊能者の関与が疑われた。そのためMISTに要請が来たのだ。
警察からの報告によれば、窃盗に遭った各宝石店で、店内の宝石全てが一夜にして石ころとすり替えられている。防犯カメラには何も映っておらず、人が侵入した形跡もなかった。すなわち、科学的に犯人を特定できるものが何も存在しなかったのである。
犯人は、このような不可能犯罪をやってのけたことから、怪盗と呼ばれ始めた。
「赤星さんの直感は当てになんないからな~。じゃあ、今日もハズレかな」
インカムの向こうで、巫月がため息をつく。
「んだと、このやろう。俺の直感ほど当てになるものは……ん?」
「どうしました?」
「……それらしき人物が現れた。少し黙るぞ。すぐ動けるようにスタンばっててくれ」
「了解」
犯人らしき男が現れると、二人の口調が一気に変わった。
「さてさて、当たりであってくれよ。こっちはもう張り込みに飽き飽きしてんだ」
そう言った赤星の視線の先には、白髪交じりの男が立っている。男は口髭に触りながら、太縁の眼鏡を通して宝石店を見据えていた。
灰色のコートを着て、大きなビジネスバッグを持っていることから、一見すると男は仕事帰りのサラリーマンのようにも見える。しかし、その体から出ている魂力の光を、赤星は見逃さなかった。
――ブォッ!――
赤星が見張っていると、男が纏う光が一瞬だけ大きく増加する。その一瞬のうちに、男のバッグの膨らみがなくなり、すぐにまた元の状態に戻った。
その後、男はバッグの中身を確認し、その場から立ち去ろうとする。
「なるほど、物を入れ替える能力か。便利な特殊能力持ってんじゃねーの、お前の守護霊。その能力を使って、店の中の宝石とバッグに入っていた石ころを入れ替えたわけか」
男が振り向くと、そこには屋上から飛び降りてきた赤星がいた。
――ダッ!――
赤星を見るなり、男が走りだす。
「ちょっ、待てこのやろう」
赤星もすぐに男を追った。
「巫月、奴はお前のビルがある方向に逃げていってるっ。手前に一方通行の道路があんだろ? そこで挟み撃ちにするぞっ」
赤星が、走りながら巫月に指示を出す。
巫月は、「了解」と答えると、すぐにビルの屋上から飛び降りた。
「待ちやがれ、てめえっ」
赤星が大声を上げながら銀座の街を駆け抜けているが、結界を張っているおかげで、通り過ぎる人々に全く気づかれない。
気づかれないのは逃げている男も同様で、そこから、男が少なくとも結界を張れる程度の霊能者だということが推測できた。
「しっかし、いくら魂力で強化されてるっていってもよお、あのジジイ、年の割にえれー足が速いなっ」
『馬鹿者。見た目に惑わされず、動きをよく見てから判断しろ。あの者の筋肉の動きは老人のものではない』
男を老人だと思い込んでいた赤星を、体内にいる半蔵が諭す。
赤星は走りながら、「マジっ?」と驚いた。
そうこうしているうちに、先ほど巫月に指示した道に男が入る。
「何とっ」
男の視界に、行く手を塞ぐ巫月の姿が入った。
「はいっ、そこで止まって!」
巫月が叫ぶと、男は足を止める。
その後ろから、赤星もやってきた。
「追い詰めたぞ、怪盗野郎。これ以上逃げると痛い目を見るぜ」
振り向いた男を、赤星が威圧する。
「……参りましたねえ」
そう呟くと、男はバッグを足元に置いて口元を緩めた。
「それにしても“怪盗”とは。だが、いいですねえ、その響き。では、年寄りの新人怪盗として、怪盗オールドルーキー、頭文字を取って怪盗ORとでも呼んでもらいましょうか? ちょっとダサいですが」
男は、追い詰められているにもかかわらず、余裕の口調である。
それを聞いた赤星も、男のように口元を緩めた。
「おいおい、そんなに自分を年寄りだと思わせたいのか? お前、動きからしてもっとずっと若いよな? だからただのルーキーだろ。怪盗Rだ」
赤星の言葉に、Rと呼ばれた男の口元が更に緩む。
「声色まで変えていたのに、そこまで分かってしまうとは。さすがMISTの霊能者だ」
「……MISTのことを知っているのか? 何者だ、お前?」
MISTのことを知っていたという事実から、赤星が警戒心を高める。
「ただの怪盗Rですよ。秘密情報を盗み取るのも、怪盗の仕事でしょう?」
そう言うと、Rは付け髭を顔から取った。




