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46. 四月

 高尾山に春が来た。

 イズミは、今まで住んでいたマンションを引き払い、この四月から帝霧館の一室に住み始めている。緊急時に備え多くの隊員がそうしていることから、イズミもそれに(なら)ったのである。


「春だな。いい天気だ」


 窓から見える景色が、都会の人工物から自然の木々に変わり、四季の変化を心地良く感じさせる。任務のためにと移ったのだったが、イズミはこの二階の角部屋をとても気に入っていた。


――コンコンッ――


 そんな心地よい春の昼下がり、まだ残っていた引っ越し荷物をほどいていると、部屋のドアをノックする音がした。

 イズミが「はいっ」と返事をすると、ドアがゆっくり開く。


「お久しぶりですっ。イズミさん!」


 そこに立っていたのは、笑顔を見せる若い女性であった。黒服を着ていることからMISTの構成員だというのは分かったが、名前を呼ばれているにもかかわらず、イズミは彼女のことが思い出せない。

 すると、彼女もそれを察したのか、自己紹介を始めた。


(あさ)(くら)(ゆめ)()です。その節は、命を助けてくださり本当にありがとうございましたっ」


「……えっと。ごめん、俺が君の命を?」


「はい。イズミさんのマンションの屋上でっ」


「……ああ! 君は、ビルの上で飛び降りそうになってた女の子っ」


 「マンションの屋上」という言葉で、イズミは彼女のことを思い出した。あの時と違い化粧をしているが、何となくあの女の子の面影が残っている。


「はいっ。その女の子ですっ。よかった、思い出してくれてっ」


「そうか、驚いたな。ああ、よかったら部屋にどうぞ」


「はいっ。ありがとうございますっ」


 夢乃が興奮した様子で、ドアを開けたままイズミの部屋に入ってくる。


「椿木さんにあの時のことを話したら、それは多分イズミさんだろうって教えてくれて。だから、ずっと会うのを楽しみにしてたんですっ」


「なるほど、椿木さんが。それで、黒服を着てるってことは、君もやっぱり……」


「はいっ。三月に高校を卒業して、この四月からMISTで働くことになりました!」


「そっかあ。ってことは君も霊能力があったんだな。だからあのとき憑依されてしまったのか。霊体って、どちらかというと、霊能力がある人のほうに憑依しやすいみたいだから」


「そうみたいですね。私も後から知って驚きましたっ。それにしても、ずっとお礼をしたいと思ってたから、本当に会えてよかった~。ここにスカウトしてくれた人に感謝です!」


 MISTという組織は、霊能者の情報が入ると、その人物を調べ、有望であれば勧誘することがある。彼女もそういう経緯で入ったのであろう。

 それから夢乃は、イズミに助けてもらった後のことを早口で話した。

 もう一度礼を言いたくて何度かイズミを訪ねたこと、部屋が分からずにマンションの前で待ち続けたこと、そして結局会えずに落ち込んでいたことなど、次々と話が飛び出す。

 思いもよらなかった話に、イズミは何度か驚きの表情を見せた。


「何だか悪いことをしたな。ちょうどあの後から、色々忙しくなってしまって」


 イズミが少し申し訳なさそうな表情を見せる。


「大丈夫ですよ。今日こうして話せたから、全部がいい思い出になりました。命の恩人に再会できて、本当に嬉しいです!」


 そう言うと、夢乃は元気な笑顔を見せた。


「俺も、君が元気そうで安心し……」


「夢乃さーん、ちょっとこっち手伝ってー」


 二人が話していると、ドアの向こうから夢乃を呼ぶ声が聞こえる。


「はーい。すぐ行きまーす」


 元気な声で答えると、夢乃は「じゃあ、もう行きますね。今日は勤務日なんで」とイズミに伝えた。


「ああ。頑張ってな」


 声をかけるイズミに、夢乃が「はいっ」とガッツポーズを見せてドアに向かう。

 その背中を見ながら、イズミは感慨深そうに微笑んだ。


――クルッ――


 ドアを一歩出たところで、夢乃がイズミのほうに振り返る。


「一緒にお仕事ができる日を、すっごく楽しみにしてますからねっ」


 そう言うと、夢乃は手を振って、ドアを閉めた。


――タッタッタッタッ――


 廊下から夢乃の走り去る音が聞こえる。


「……驚いたな」


 イズミは、少しだけそこに立ち尽くした。


(何だか、とても幸せな気分になった。あの子が元気でいたことがとても嬉しい)


 そう感じているイズミの背後に、ニンマリと笑った義経がゆっくりゆっくり出現する。


『おや~。おやおや~。おやおやおやおや~~~~』


「なっ、何だよっ」


『心なしか顔が少し赤くなってないか、イズミ~~。どうしちゃったのかな~~?』


「な、なってないっ。なってたとしても、それはあの子が元気でいてくれて嬉しいからだっ」


 イズミは、顔を隠すように、義経がいない方向を向いた。


『ふ~~~~ん。いやいや、いいんだよイズミ。君ももう何年も恋人がいないからねえ。そろそろ恋人も欲しくなってくる頃かなあ~~~~』


「おまっ、何でそんなこと知ってるんだ!?」


 イズミが義経のほうに顔を向ける。


『私は、ずっと君のことを見てきたからねえ。君より君に詳しいといっても過言じゃないな~』


「そっ、そうだった。でも、じゃあ、今の俺に恋人を作る余裕なんてないのも、よく知ってるだろっ」


『はははっ、そうだねえー」


「じゃあ、揶揄うな!」


『ごめん、ごめん。つい楽しくてさー。ははははっ』


 義経は、イズミのふくれっ面を見ると更に笑った。イズミを揶揄う義経は、実に楽しそうである。

 笑いがおさまると、義経は「でもね、イズミ」と言って、少し真面目な表情をした。


『人は皆、生まれつき片翼しか持っていないんだ。愛する人に出会って、初めて両翼で飛べるようになるんだよ。私は、君が早くそういう人にめぐり逢えたらいいなと思う』


 そう言った義経の優しい目を見て、イズミも表情が変わる。


「……お前にも、そういう人がいたのか? 前に、母さんがお前の好きな人に似てたって言ってたけど…」


 イズミは、普段、義経にあまり過去のことは訊かない。しかし、この時は違った。ふと、そんな質問が口から出た。


『……さあ、どうだろうね』


 義経が、微笑みながらも、どこか寂しそうな表情をして答える。

 その表情を見て、イズミは訊いてはいけないことを訊いてしまったような気がした。


「いや、べつに言いたくなければ全然……」


 イズミが義経のことを慮ってそう言いかける。

 すると途中で、はぐらかすように義経が軽口を叩き始めた。


『ただ余は、それはそれはモテましたゆえ、言い寄る姫君は数知れず〜』


 そんな義経を見て、イズミが腰に手を当てて呆れ顔をする。


「……まったく。何だよ、それ。お前がそういう喋り方をするときは大体……ん? そういえば……」


 義経がふざけている横で、突然イズミは何かを考えだした。


『どうしたんだい、イズミ?』


「義経、今ふと思ったんだけどな。どうしてお前は喋り方が平安時代の喋り方ではないんだ? 現代の言葉で喋ってるじゃないか」


 義経が目を丸くする。


『……君は、今それに気づいたのかい? 君らしいといえば君らしいが』


「お前があまりにも普通に現代の言葉を喋ってるから、疑問に思ったことがなかった」


『では逆に訊くが、君はどうして平安時代の人と喋り方が違うんだい?』


「それは時代と共に言葉も変わってきたからだ」


『それと同じさ。霊界でも時代と共に言葉が変わるんだよ。現代人が亡くなれば亡くなるほど、霊界には現代の言葉を話す霊体が増える。そういう者が多くなれば、自然とそれが標準の言葉になるんだよ』


「……そういうことか」


『中には、変化の波に乗らず、ずっと自分が生きた時代の言葉を喋る者もいるけど、それは稀かな。やはり周りの人間の言葉に染まってしまうものさ』


 イズミは納得した様子で頷いた。


『ただね、イズミ。霊体の言葉と人間の言葉には、絶対的な違いがあるから、この機会に教えておいてあげるよ』


「違い?」


『ああ。霊体は、口を使って話しているわけではないんだ。霊体には肉体がないからね。だから、口を動かしているようにも見えても、口から言葉を発しているようにも見えても、実は違う。実際は、相手の魂に直接思いを伝えているんだよ』


 イズミが「念話みたいなものか?」と腕を組む。


『それに近いかな。だから、霊体の言葉に国境などはない。私が日本語を話していても、その思いはどんな国の人にも伝わるんだ。思いを理解できる程度の知性があれば、だけどね』


「なるほどなあ」


『どうだい? けっこう勉強になったろ?』


 イズミは、「ああ、勉強になった」と頷いた。


『さて、では知識の習得はこれぐらいにして、そろそろ体の訓練に行こうじゃないか』


 義経が肩を回し始める。


「いや、今日は残りの荷物をほどきたいんだが……」


『そんなのは夜でもできるだろ。ほらほら、もっと訓練しないと夢乃ちゃんにがっかりされてしまうぞ』


 イズミは、「その話はもう勘弁してくれ」と言いながら、渋々着替え始めた。

 義経が、そんなイズミを見て微笑む。

 外では、春の訪れを祝うかのようにウグイスが鳴いていた。


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