外伝 - NOT BLUE 後編 (下)
悪霊を消滅させてから数日後、弾田がMISTの上層部に頼み込み、上層部が警察に手を回すことで、芹那は釈放となった。だが、この頃にはもう芹那が目を覚ますことはほとんどなくなっており、そのまま入院となった。
仁は、高校にまた通うようになったが、学校帰りには必ず病院に寄っている。
「何だよ、姉ちゃん。本当に眠り姫になっちゃったのかよ」
病室で、寝ている芹那を見ながら、仁が寂しそうに呟く。
そうしていると、看護師の女性が病室に入ってきた。
「あら仁くん、またお見舞い? 姉想いなのね」
「ええ、まあ、たった一人の姉弟ですからねー」
「いいわねえ。ああ、そういえば……」
仁が愛想笑いをして答えていると、仁の顔を見て何かを思い出したらしく、看護師がいそいそとポケットから封筒を取り出す。
「この前、仁くんが帰った後、芹那ちゃんが少しだけ目を覚ましてね。これ、きっとその時に書いたものだと思うの。気がついたら枕元にあって、仁くん宛だったから、私が預かっていたのよ」
そう言うと、看護師はその封筒を仁に手渡した。
「……ああ、ありがとうございます」
「芹那ちゃん、起きている時間になかなか仁くんに会えないから、きっと意識があるあいだに頑張って書いたのね」
それから看護師は点滴を変え、病室から出ていく。
仁が封筒を開けてみると、そこには一通の手紙が入っていた。
『大好きな仁へ
仁、お父さんとお母さんから話を聞いたよ。私のために、すごく頑張ってくれたんだってね。
姉想いの弟を持って、私はとても幸せです。ありがとう。
本当なら、頑張ってくれた弟にハグぐらいしてあげたいんだけどね。でも、どうやらそれはできそうもないや。
きっとね、私が起きられるのは、これが最後になると思う。こういうのって、何となく自分で分かるの。
こんなこと突然言ったら、仁、驚いちゃうかな? でも、心配しないで。眠るだけなんだから。
それよりも私が心配しているのは、私が寝ているあいだに、仁がまた女の子を泣かせちゃうことかな。
これからは、本当に女の子には優しくしてあげてね。傷つけちゃダメだぞ。
そして今度こそ、心から好きになった子と付き合うこと。
それで、もし私がもう一度目を覚ますことができたら、そのときには、ぜひその素敵な彼女を紹介してください。そしたら、私も本当に安心できるんだから。
あーあ、もしあのとき私たちが姉弟になってなかったら、私が恋人でも奥さんにでもなって、ずっと仁を守ってあげたんだけどなー。
それはまた、次に生まれ変わったら、だね。
生まれ変わっても、また私の人生に来てね。約束だよ。
ああ、本当はまだまだいっぱい話したいことあるのに、何だか、また眠くなってきちゃった。
眠りたくないな。眠りたくないよ、仁。でも、もう目を開けていられないや。
ごめんね。たくさん、たくさん、ありがとう』
仁は、手紙を読み終わった後も、手紙を見つめていた。
手紙には、涙で滲んだのであろう文字が所々にある。
「何だよ……これ……」
仁が手紙を見つめたまま呟く。
「姉ちゃん……何でこんな手紙書くんだよ?」
仁は、寝ている芹那に、か細い声で話しかけた。
「大体……なに自分だけ言いたいこと言ってんだよ? 俺のほうはまだ、何にも伝えられてないじゃないか……」
一人で喋り続ける仁の目に、涙が浮かび始める。
「俺の気持ちはどうなるんだよ……」
仁が俯くと、今度は仁の涙で手紙の文字が滲み始めた。
「恋人作って目を覚ましてくれるんなら、すげー素敵な恋人見つけて紹介するからさあ、だから起きてくれよ……」
顔を上げて、懇願するように言葉を発するが、その切なる願いは届かない。芹那はただ静かに目を閉じている。
「頼むよ……姉ちゃん。目を覚ましてくれよ……いつもみたいに叱ってくれよ……」
返答がないことが、ますます仁の胸を締めつけた。
「こんなん嫌だよ……もう姉ちゃんと話せないなんて絶対に嫌だよっ」
想いが溢れた仁が、芹那の小さな手に自分の手を重ねる。
「頼むから……サヨナラみたいなこと……言わないでくれ……」
仁はまた俯いて、そのまま芹那の手を強く握りしめた。
病室は、点滴のしずくの音が聞こえてきそうなほど静かで、ひとりぼっちになったような感覚を仁に抱かせる。
孤独を感じれば感じるほど、仁は芹那の手を強く握った。
しかし、どれだけ強く握っても、芹那の手が握り返すことはなく、絶望だけが仁を襲う。
――フワッ――
その時、ふと仁の手に芹那の手の暖かさが伝わってきた。
それは、生きとし生けるもの全てが持つ暖かさ。
(…………暖かい)
その暖かさは、まるで芹那が「サヨナラじゃないよ」と伝えているようだった。
(姉ちゃんの手……小さい頃……いつも手を繋いでくれてたあの頃と変わらず……暖かい)
仁が、俯いていた顔を上げる。
暗くなっていた心に、一筋の光が差し込んだ瞬間だった。
(……そうだ……そうだよな。姉ちゃんはまだ生きてるんだよな)
芹那の暖かい手が、仁の手だけでなく心まで暖かくしていく。
(姉ちゃんは、今ここで間違いなく生きてるんだ。生きてる限り、起きられる可能性はあるじゃないか)
人が生きていく上で一番必要なもの、希望。それが仁の中で芽生え始めた。
(俺は何バカみたいに落ち込んでたんだ。俺が傷ついた魂を癒す方法を探せばいい。それだけのことだろう)
希望の後には、必ず決意が生まれてくる。
(何年かかってもいい。何十年かかってもいい。必ずやるんだ)
仁は、芹那の手を握ったまま立ち上がった。
(そうだ、今度こそ俺の手で姉ちゃんを救うんだ。俺が姉ちゃんを助けるんだ)
芹那を見つめる仁の瞳には、もう先ほどまでの弱々しさはない。むしろ勇ましく輝いている。
(絶対に、助けるぞ)
仁が心に強く誓うと、心なしか芹那が微笑んだような気がした。
「待っててな、姉ちゃん」
これから七年後、仁はRAINの霊能者として、イズミと出会うこととなる。




