33. 百万光年
――パァンッッ!!!!――
万次が桜の顔に狙いを定めたちょうどその時、雪山に銃声が響いた。
『パォォォォッッ!!!!』
その瞬間、マンモスの霊体が咆哮を上げる。それと同時に、万次も「ぐぬぅっ」と苦悶の表情を見せた。
桜と万次が、同時に銃声の出どころに目を向ける。
「はあっ、はあっ。桜……大丈……夫?」
そこにいたのは、先ほどまで気絶していた坂楽であった。
背後に立つ源内は、両手で少し変わった形のライフルを構えている。
「……坂楽。お前……そんな状態で立ったらダメだっ」
桜は、自身が声を出せるような状態でなかったにもかかわらず、ふらふらの坂楽を見て、堪らず声を上げた。
「はあっ、はあっ。大丈夫さ……源内さんのこの霊銃なら……いくらマンモスでも数分は痺れて動けなくなるはず。だから……桜は今のうちに逃げて……」
背中を強打した人間というのは、その後、息苦しさや吐き気を感じることがある。その場合、神経が損傷している可能性があり、この時の坂楽もまさにその状態であった。
「くっ。やってくれたな、この野郎。てめえ、まだ動けたのか」
マンモスと感覚を共有している万次も、少なからず体の自由が利かなくなっている。しかし、ここで万次は坂楽に向かってゆっくり歩き始めた。
「んぐぅ、こんなもんで俺が、マンモスが止まるわけねえだろぉ」
足に重りを付けているかのような動きだが、その動きは段々早くなる。
「そんな……こんなに早く痺れが止まるはずが……ないのに。源内さん……もう一発だっ」
――パァンッッ!!!!――
『パォォッッ!!!!』
二発目の弾で、またもマンモスの霊体が咆哮を上げる。しかし、それでも万次は止まろうとしない。「ぐっ!!」と呻きながらも坂楽に向かっていった。
坂楽の目の前まで来ると、怯んでいる坂楽を睨みつける。
「まずい!」
――ドガァァァァンッッ!!――
桜が言葉を発したとき、万次の拳が坂楽の顔の形を歪ませた。
「あがぁっ!!!!」
坂楽が吹っ飛び、辺りの雪に坂楽の血が飛ぶ。
「坂楽!!」
桜は叫ぶが、体が動かない。
万次は、またも坂楽のもとに寄っていく。
「変な飛び道具使いやがって。てめえも先に潰しちまえばよかったなあっ!」
――ドゴォンッッ!!――
言葉と同時に、万次は横たわっている坂楽の腹に豪快な蹴りを入れた。
「ぐふぁっ!」
坂楽が吹っ飛び、今度は木に体を強打する。
『ぬあぁぁっ!!』
坂楽の守護霊である源内も、痛みで蹲った。
「坂楽!!!! 源内さん!! おい万次、てめえ、こっちを狙えよバカ野郎っ」
桜が万次を挑発するが、万次はそれに乗ってこない。
「てめえは、最後に一番苦しませてやるから待ってな。そこで仲間が潰されんのを見て、泣き喚いてりゃいいさ」
そう言うと、万次はまた坂楽に向かって歩く。
(くそっ、くそっ、くそっ)
「ぐはぁっ!!」
桜が見ている前で、またも坂楽の血が飛び散った。
(どうすればいい!? どうすればっ!?)
「かはぁっ!!」
桜の中に打開策が浮かばないまま、積もり始めた雪が坂楽の血で染まっていく。
「ごほぉっ!!」
桜の瞳に、飛び散った血が容赦なく映り込む。
(やめろ、本当に坂楽が死んじゃうだろ。やめてく――――――――)
坂楽が再度蹴り上げられた時、桜の世界から音が消えた。
「――――死んでも守んなきゃな。ヒーローなんだから」
桜の頭の中に、若い青年の言葉が響く。
その言葉が響くと、動きが止まっていた桜の瞳が揺れた。
(……そうだ。そうだった)
ここで、この白い雪と赤い血が交わる冷たく残酷な世界に、音が戻る。
そして、桜の心の中で何かが決した。
「……道山、あれをやるよ」
魂が繋がっている道山には、“あれ”だけで何を意味しているかが分かる。
『……本気なのか、桜』
「ええ、本気。こうなったらもう他に手はないわよね」
険しい表情を見せる道山に、桜は吹っ切れたような表情で答えた。
『しかし、あれをやったら今のお前だと死ぬかもしれないのだぞ。それが分かって……』
「もうアタシのために誰かが死ぬのは嫌なんだよっ!!」
桜の必死の叫びで、道山は口をつぐむ。
そして、少しのあいだ桜を見つめた後、ゆっくり答えた。
『……そうか、ではもう何も言うまい。私は、お前を誇りに思う』
「ありがと、道山」
道山が静かに咒文を唱え始めると、桜はふらふらと立ち上がった。
「おい、万次!」
桜が大声で名前を呼ぶと、万次の動きが止まる。
「あぁ? 何だよ、さっきから人の名前呼び捨てにしやがって。おめえの相手は後でするって言っただろっ」
「こっからアタシが本気出すから、よく見てな」
「あぁ?」
「惚れるぜっ!!!!」
桜は、力を振り絞って叫んだ。
『よく言ったあ、桜!!』
その横で、道山も迫力ある声で叫ぶ。そのまま、力強く咒文を結んだ。
『走れ言霊、命魂激燃!!!!』
――ブアァァァァッッッッ!!!!!!――
その瞬間、桜が纏う魂力の光が数倍に膨れ上がる。
「何だあっ!?」
あまりの輝きに、万次は目を細めた。
「うおぉぉぉぉっっっっ!!!!!!!!」
道山の姿が消えていく中、桜が雄叫びを上げる。
「何だ!? 何をしやがったんだ!?」
跳ね上がった桜の魂力を感じて、万次は困惑した。
そんな万次を、一転して押し黙った桜が見据える。
「なっ、何だよ、お嬢ちゃん……」
数メートル先で怯む万次に対して、桜は無言で跳躍の体勢を取った。
「こいつ……まだやる気……」
――シュッッッッ!!!!――
その瞬間、拳を振り上げた桜が万次の眼前に現れる。
「はっ、はや……」
――ゴォォォォンッッッッ!!!!――
万次が言葉を発する間もなく、桜の拳が万次の顔に入った。
「ぐはぁっ!!」
万次が、血を吐きながら吹っ飛ぶ。
そこから、桜の拳のラッシュが始まった。
「おらおらおらおらぁっ!!!!」
桜の容赦ない攻撃が万次を襲う。
――ゴゴォォンッッ!! ドゴォォンッッ!! ドゴォォンッッ!!――
強烈な打撃音が辺りに何度も響いた。
(い、一撃一撃が重いっ。何だこいつ、別人のようだっ!)
万次がこう思うのも無理はない。道山が唱えた“命魂激燃”は、守護霊の全魂力を一気に宿主に流し込み、一時的に宿主の力、スピード、反射神経を爆発的に高める咒文だからである。
しかし、これは宿主への魂力の負荷を一切無視したものであり、そのため宿主が魂力を全て消耗する頃には、体が致死の損傷を受けていることもある。また、魂力を全て宿主に与えた守護霊は、顕現が解け、戦闘が不可能となる。
つまり、この咒文は、守護霊と宿主の全てを懸けた最後の切り札なのである。
(くっ、くそ。いっ、意識が飛びそうだ)
並の霊能者ならすでに意識を失っているだろうが、マンモスの強靭性を得ている万次は、ぎりぎりで桜の連打に耐えていた。
(だが、こんなとこで俺はやられねえぞ。絶対に、やられねえっ)
まだ、かろうじて反撃する意思を持っている。
「ここだっ、おらあっ!」
桜の攻撃の合間を縫って、何とか桜を羽交い絞めにした。
「捕まえたぞ、こうすりゃ攻撃できねえだろっ。もう離さねえからな、このまま窒息死させてやるっ」
しかし、桜は顔色一つ変えない。
「ぬるいんだよっ!!!!」
――ゴォォォォンッッッッ!!――
桜は万次に、鉄槌のような頭突きを食らわせた。
「うがっっ!!」
万次の羽交い絞めが解ける。
「くたばれ、万次っ!!!!」
桜は、そのまま前方宙返りをして、かかと落としを万次の頭に食らわせた。
――ドガァァッッン!!!!――
その威力で、万次が地面に頭を打ちつける。地面から雪と土が同時に飛び散った。
――スタッ――
着地すると、桜は足を開いて仁王立ちする。
「はあっ、はあっ」
肩で息をしながら、倒れ込んだ万次を見下ろした。
「やった……か? ぐっ、ぐあぁぁぁぁ!!!!」
ここで、攻撃をしていた桜のほうが激痛に襲われる。
(くそっ、やっぱ体がもたない……。もう立ってくるなっ)
痛みに耐えながらの願いだったが、残念ながら、この願いは届かなかった。
万次がふらふらとまた立ってくる。
――ダッ!!――
桜は、後方に大きく跳び、万次と距離を取った。
「ち、ちきしょおっ。俺は負けねえぞっ。俺は、アニマの頭目の息子、万次だっ。うぉぉぉぉ!!!!」
万次が叫んで、桜のほうに走ってくる。
「しつこいっ!! 決着をつけてやる!!!!」
言葉と同時に、桜も万次に向かって走りだした。
――ダッ! クルッ!――
万次が拳を振り上げた瞬間、万次より高く跳ね、そのまま前方宙返りで万次の背後にまわる。
「これはアガちゃんの分!!」
桜は、着地した瞬間、そう言って万次の背中に膝蹴りを入れた。
「がぁぁっっ!!!!」
万次が、膝をついて倒れ込む。
「そして!!」
続けて桜は、背後から万次の腰を両腕で抱えた。
――ダッ!――
そのまま、万次もろとも上方へ高く跳ぶ。
「これは!!」
空中で後方へ反りかえると、万次と共に頭から急降下した。
「坂楽の分だぁぁぁぁ!!!!!!」
――ドゴォォォォォォォォンッッッッッッッッ!!!!!!!!――
雪降る山に、この日最も大きい衝撃音が響き渡る。
衝突の直前で桜は万次から離れたが、万次はそのまま頭から地面に衝突した。その衝撃は凄まじく、血の混ざった雪が四方八方に飛び散った。
「がはぁっ!!!!」
逆さ十字のようになった万次は、血を吐いた途端、白目を剥き出しにする。その後、どさっと地面に倒れると、仰向けのまま動かなくなった。
「はあっ、はあっ、はあっ」
辺りがあっという間に静まり返る。雪風が一瞬吹きつけたが、すぐにやんだ。
静寂の中、もはや桜の荒い息遣いしか聞こえてこない。桜たった一人の息遣いしか聞こえてこない。
最後にこの場で立っていたのは、他の誰でもない、桜だった。
桜が、この怒涛の連戦を制したのである。
「……やった……か」
見事な変則バックドロップで勝利した桜だったが、喜ぶ余裕などなく、足がふらついている。体中に激痛が走っており、目が虚ろになってきていた。
「くっ」
それでも桜は、ゆっくり万次に近づいていく。
「はあっ、はあっ」
息も絶え絶えに万次のそばまで行くと、倒れる万次を見下ろした。
「見たか……」
よろめきながら、何とか言葉を発する。
そして痛みで震える拳を、万次に向けて突き出した。
「アタシに……か……勝とうなんて……百万光年……早いん……だ……よ…………」
降り注ぐ雪が更に強くなっていく。
桜は、この言葉を言いきった後、白い世界の中で倒れ伏した。




