22. 不敵
人質交換を行う夜、緊迫した空気の中、埼玉の球場にイズミと老婆が入っていった。
入口からグラウンドに至るまで、経路にはインカムをつけたアニマの構成員が何人も立っている。その足元には、犬や猫など様々な動物の霊体が、守護霊として座していた。
そこをイズミが、老婆の手を引きながらゆっくり歩いていく。
グラウンドに出ると、ちょうど真ん中付近に拉致された男女が倒れていた。腕や足を縛られ、身動きが取れなくなっている。その背後には、彼らを見下ろすようにガラの悪い男たちが五人立っていた。
グラウンドには照明が点灯していたが、彼らの表情が見えるほどは明るくない。かろうじてインカムをつけているのが分かる程度である。
「おいっ、俺はアニマの萩原だっ。禅尚には一人で来いと言ったはずだぞ! こいつらがどうなってもいいのか!」
五人のうち中心に立っている男が、ドスをきかせた声でイズミに叫んだ。
「待ってくれ! 禅尚さんは年齢的にもうまともに歩けないんだっ。歩行介助だけでもさせてくれっ。俺は霊能者でも何でもないから問題ないだろ!」
イズミがグラウンドの隅から叫ぶと、萩原はポケットに手を突っ込んで、周りの男たちと話し始める。
「おい、禅尚って、あんなに耄碌した婆さんなのかよ」
「確か九十を越えてるっつってたから、あんなもんじゃないっすかね」
「……ちっ、じゃあ、しょーがねーか。逆に楽でいいかもな」
納得すると、萩原はイズミに向かってまた大声で叫んだ。
「おいっ、一緒に来るのを許してやるから、早くその婆さんをこっちに連れてこい!」
「分かった! すまない!」
イズミが、禅尚の手を引いてゆっくり歩き始める。
向かい風が吹く中、目を細めて周りを見渡すと、観客席にもアニマの構成員たちが立っていた。
(観客席に配置されているのは十数人ってとこだな。拉致された二人はかろうじて意識がある感じか。あの様子だと、かなり痛めつけられているな)
イズミと禅尚が歩いていると、五人の男のうち左端にいる男が、インカムのマイクに向かって話し始める。
「おい、こいつら以外にMISTのもんはいねーな? 風が強いが他の奴の匂いを逃すんじゃねーぞ」
すると、観客席の男たちが順番に答えた。
「分かってます。今んとこ他の奴の匂いは全くしません」
「こっちもです。ババアの匂いぐらいしか匂ってきません」
続いて男は、上方を見上げて話し始める。
(……なるほど、上空にも構成員か。義経が言ったとおりだな)
男が上方を向いて話していることで、イズミは上空の構成員の存在にも気づいた。
イズミが男たちの近くまで来ると、右端の男が「そこで止まれ」と指示を出した。
イズミは、言われたとおりに立ち止まると、男たちに懇願を始める。
「約束どおり連れてきたぞっ。でも、見てのとおり禅尚さんは老い先短い老人だっ。だから頼むっ、どうか命まで取るようなことはしないでくれっ」
すると、萩原が禅尚の顔を覗き込んだ。
「こいつが本当に禅尚って奴なのかあ? 湿布だらけじゃねーか。なんか臭えーしよお」
禅尚は俯いたまま、何も反応をしない。
「まあ、いいか。俺たちも、こんな棺桶に足を突っ込んでるような婆さんをわざわざ殺しゃしねーよ。こっちとしちゃ、この婆さんの能力さえなくなってくれればいいんだからよお」
「本当か!? ありがたい。俺は、禅尚さんにはとても世話になっていてな。もう少し長生きさせてやりたいんだ」
「分かった分かった。じゃあ婆さん、もうちょっと長生きさせてやるから、あんたの守護霊出しな」
禅尚は、それでも何も反応しなかった。イズミが、口を禅尚の耳元に近づけて言う。
「禅尚さん、聞こえるか? すまない。二人を助けるために守護霊を出してくれ」
イズミは、「耳も聞こえねーのかよ、面倒くせーなあ」と悪態をつく萩原に、「すまない」とだけ返した。
「禅尚さん、守護霊を出ーしーてーくーれ」
もう一度、分かりやすく禅尚に伝える。
禅尚は、ここでやっと反応し、小さく頷いた。
――フオォォォォンッ!――
すぐに、禅尚の背中から若い女性の霊体が現れる。
「……なっ、なに!?」
禅尚の守護霊を見た萩原は一瞬たじろいだ。禅尚の守護霊が眩しいほどの光を放っており、それだけで魂力の大きさが窺い知れたからである。
「こ……これが禅尚の守護霊か。へ、へえ、婆さんの割にはすげーじゃねーの。さすがだな」
禅尚の見た目からは想像がつかないほどの守護霊の迫力に、萩原は動きが止まっている。
「さあ、言われたとおりに禅尚さんが守護霊を出したんだ。一思いにやってくれ。ただ、魂だけは傷つけないでくれよ。守護霊の魂が破壊されたら、そのショックで禅尚さんの心臓も止まってしまうかもしれない」
イズミが促すと、萩原は「お、おう」と言って禅尚に近づいた。
萩原の背後から、アニマでは珍しい人型の守護霊が現れる。
萩原の守護霊は、スーツを着て両手にナイフを持っていた。
「悪いな、婆さん。これも仕事だからよ」
そう言うと、萩原は片手を振り上げた。
イズミが唾を飲む。
――シャッ――
萩原が手を振り下ろすと、萩原の守護霊が、禅尚とその女性守護霊とを繋ぐ魂帯を切り裂いた。
「ぐあぁぁー!!!!」
『きゃあぁぁぁぁー!!!!』
辺りに禅尚と守護霊の悲鳴が響き渡り、禅尚が拉致された二人の上に重なるように倒れ込む。
禅尚の守護霊は浮上していき、やがて青白い霧となり散失した。
「禅尚さん、大丈夫ですかっ? 禅尚さんっ!」
イズミは片膝をつくと、手を禅尚の背中に置き、何度も禅尚の名前を叫んだ。
萩原は、叫ぶイズミを尻目にタバコに火をつける。
「思ったより楽な仕事だったな。おい引き揚げるぞ」
萩原が声をかけると、他のアニマの構成員たちも退散を始める。
「じゃあな、兄ちゃん。またいつか、あの世にでも行ったら会おうや」
萩原は、イズミにそう言うと、振り向いて歩き始めた。
球場内に吹いていた風は、すでに止んでいる。
「それは無理だな。お前たちは地獄に行くんだろうから」
「あぁ!?」
イズミの言葉に萩原が振り返ると、禅尚と拉致された二人が立ち上がっており、イズミのほうは、先ほどまでの情けない表情が嘘だったかのように、挑戦的な表情をしていた。
萩原が「何だぁ!?」と声を上げるのと同時に、萩原のインカムに他の構成員たちの叫び声が聞こえてくる。
「ぎゃあぁー!!」
「てめーら今までいったいどこに!!」
「兄貴危ね……ぐあっ!」
萩原が焦って周りを見渡すと、喪服の霊能者たちが球場に飛び込んできていた。
禅尚と助けられた二人が、それぞれ守護霊を出し、一気に球場外に向かって走りだす。
「あとは任せるね、イズミ君っ。あ~、我ながら体が湿布くさーい」
禅尚が老人とは思えない若い声で言うと、イズミは「ああ」と頷いた。
「MISTの連中か!? それにあの婆さん、何でまだ守護霊がいるんだ!? てめーダマしやがったな!」
萩原と周りの男たち四人がイズミを睨みつける中、イズミの背中から笑みを浮かべた義経が浮上する。
『ちなみにイズミ、地獄とか天国なんてものは存在しないぞ』
「そうか、それは悪かった」
敵に目を向けたまま話す義経に対し、イズミもまた敵から目を逸らすことなく話し、笑みを浮かべる。
『では、さっさと片付けよう』
「ああ」
義経の鞘から霊刀“白夜”が抜かれた。




