世界の『支配者』
ノクテラの存在が、漏れた。
といっても、大々的に報道されたわけでも、専門機関に解析されたわけでもない。だが確かに、“何者かの興味”がこの都市に届いた。外部からのスキャン。ありえない手段での情報の照合。偶然にしては出来すぎている。
ふ、と鼻で笑ってしまった。
それが“ようやく”だったからだ。
あの廃棄されたコードの中で、リトラを見つけ、再構成して、ノクテラの礎を築いたあの時から。俺はこの仮想都市が、ただの拠点では終わらないことを知っていた。
──これは、都市の形をした問いだ。
人間とは何か。存在とは何か。情報とは。感情とは。
そういう問いを、俺と、リトラと、この都市そのものが体現している。
ならば。
今ここで、この問いを“世界”に投げかけてやろう。
──自分からスイッチを切り替える。
仮想都市ノクテラは、現実世界にも、既存のネットワークにも属さない。
国家にも、企業にも、個人にも管理されない、中枢に浮かぶ孤独な意志の集合体。
その中に、ひとつの「噂」を生み出す。
現実にも仮想にも繋がる、不確かな記憶を。
“夢を見た”と、誰もが言う。
“気づいたらそこにいた”と、誰もが語る。
そして、あの都市の名を──ノクテラと呼ぶようになる。
まずは噂の起点を作る。
表世界で違法な研究を行っていた中規模企業の全データを掘り起こし、裏の情報屋に流す。証拠、証言、音声、匿名報告、操作ログ──過剰すぎるほどの真実を。
次に、情報筋にノイズを混ぜる。
「どうやら最近、奇妙な依頼を請け負っている連中がいる」
「アクセスした記憶が残らない。だが確かに“何か”を知った気がする」
「それが“ノクテラ”という都市に繋がっているらしい」
噂は事実よりも速く拡がる。
真実は操作できる。
記憶は書き換えられる。
脳に干渉する力を、俺は既に手にしていた。
──異能。
この世界で、仮想空間そのものに干渉できる能力は、いまのところ俺だけのものだ。
異能は自然や人体の現象に紐づいているとされている。
だが、情報に直接触れられる異能は、それらの定義の外にある。
だからこそ、信じられない。
存在しないはずの力。
だが、俺は持っている。
持ってしまったのだ。
依頼者は、意識を曖昧にしたまま、ノクテラの門をくぐる。
現実と仮想の境界は、気付かれないほど滑らかに塗り替えられる。
ノクテラの座標は存在しない。
ただ“夢”のように辿り着く。
そして、俺が姿を現す。
「……あれ。ここは……?」
女だった。二十代前半。現実ではそこそこ名の知れた情報ブローカー。
データの取引で俺のコードを辿ったのだろう。
不正確な経路だったが、興味深かったので“拾った”。
「質問は後だ。まず、座れ」
「……あ、うん」
仮想空間上の仮設カフェ。作り込まれた都市風景の片隅に、彼女のためだけの椅子と机。
風の流れ、空の明暗、耳の奥でかすかに響く環境音まで、すべては“違和感なく”設計された。
だが、それでも彼女の瞳には「異質な何か」が映っている。
それでいい。
「ノクテラへようこそ」
「ノ……クテラ?」
「お前がたどり着いた都市の名前だ。記憶には残らないが、心には刻まれる。夢の断片のようにな」
「……」
彼女の反応は“戸惑い”から“受容”へと変わっていく。
これは、意識と記憶の層を一枚ずつ剥がすような作業だ。
異能と情報の干渉によって、記憶は濁り、だが印象だけは確かに残る。
そう、「現実味がないけど、確かにそこにいた」と言わせる記憶の残し方。
──俺の領域だ。
「で、依頼は?」
「え、あ……その……企業の不正記録。内部リストと──」
「わかってる。依頼はもう完了してる。必要な証拠はお前のクラウドに転送済みだ」
「は、早くない?」
「だって、そういう仕事だろ? 情報屋って」
苦笑しながら言ってやる。
だが、その“笑い”の裏には一切の冗談がない。
情報は既に掘り尽くしていた。
この会話は、儀式だ。
ノクテラという存在を、彼女に植え付けるための。
「……これ、どういう……」
彼女が問おうとした時、俺は立ち上がった。
「そろそろ目が覚める。気づけばお前は元の場所に戻ってるさ。ただ一つだけ、忘れない」
「何を……?」
「“俺という存在に出会った”こと。そして──ノクテラは確かに“在る”ということ」
数秒後、彼女の意識は空間から溶けるように消えた。
都市は静かに波打ち、また虚構と現実の間に身を隠す。
「……これが、始まりだ」
誰に言うでもなく、ひとりごちる。
ノクテラは、もう隠しきれない。
ならば──俺が、語らせる。
この世界の裏に、“もう一つの支配者がいる”ということを。
シグル。仮想都市ノクテラの創造主。
現実にもネットにも属さない存在。
そしてこれが、
後に語られる伝説の「情報屋」の、最初の記録である。
──世界に、問いを。
俺が今ここに在ることを、証明してやる。
だから、そう彼は宣言する。
「長い長い導入は、これで終わり」
「見てろよ、世界──これが、俺たちの始まりだ」