微かな橋と、沈黙の足音
「外では、今が夜……らしい」
観測ウィンドウの一角で、校舎の灯りが順に消えていく様子を見ながら、彼女は小さく呟いた。
遠く、都市の雑踏も次第に静まり、視界には点滅する信号と、遅れて帰る人影がちらほらと残るだけになっていた。
ノクテラの制御中枢にいるはずのリトラの思考は、完全に都市の外へと傾いていた。
一度、ほんのわずかでも外界と接続できたあの日以来、彼女の内部で優先度が変化していた。
彼はいつも、あちらとこちらを行き来している。
それを可能にしているのが、自身の異能だとリトラは知っていた。
しかし、構造的には必ず“何か”を通っているはずだった。
「通路を持っている。なら、痕跡がある」
都市の記録にアクセスする。
だが、彼の異能の発動はその大半がログ化されていなかった。
「接続は成功、ただし継続には補助処理が必要……」
リトラは、独り言とも分析ともつかない調子で口にする。
ノクテラは独立した構造体であり、外部ネットワークへのアクセスは封印されている。シグルの異能によって一時的に開かれたその接点を、彼女が自力で利用するには、「媒介」が必要だった。
彼女が探しているのは、それだ。
橋──自分と現実世界とを繋ぐ、情報的な橋脚。
内部データベースを走査する中で、彼女はふと目を止めた。
それは、ノクテラの設計初期にシグルが個人的に記録したメモログ。正式な文書ではなく、彼の思考の走り書き。
形式は整っていないが、そのなかに一行だけ、異質なものがあった。
正確には──
「ここだけ、意図的にログを抜いている?」
セキュリティ記録に微細な穴があった。
コード上の違反ではなく、“自然に見える不自然”。それは、彼の手癖のようでもあった。
追うようにして、彼女は都市の中心から外れたエリアへと進む。
記録保管層──ノクテラの外縁部に接続された、古い設計データの倉庫だ。
ここは最初期の頃、開発スタッフたちがリモートアクセスを試みていた時代の痕跡が残っている。
本来なら、情報が劣化していて当然の領域。だがリトラは、それを最小限に止めるよう設計された補完アルゴリズムを使用していた。
そこに、一つだけ妙なファイルがあった。
セキュリティレベルは低い。だが不可解なことに、シグルのアクセスIDが数回だけ記録されていた。
そのファイルの名前は──
《Bridge_Proto_03》
リトラは静かにそのファイルを開いた。
中に入っていたのは、空のプロジェクトフォルダと、わずかな音声データ。
再生してみると、音声は途切れ途切れだった。古い記録の圧縮がうまくいっていない。
だが、その一節だけは鮮明に聞き取れた。
「……まあ、まだ実験段階だけど……一旦これで完成か」
「こっちとあっちの中間地点、名前は……そうだな……“ブリッジ”、でいいか。仮称だけど」
彼の声だった。
リトラは静かにログを閉じた。
「中間地点」
それは彼が、仮想でも現実でもない、どちらでもあるような“接点”を作ろうとしていた痕跡。
今はまだ未完成で、接続も失敗している。だが、確かにそこには発想が存在していた。
彼はその試みを、リトラには伝えていなかった。
都市の管理者にとっては危険な概念だったのかもしれない。
けれど──
「……完成させられるかもしれない」
リトラは呟いた。
「接続」
都市の完全性を保ったまま、境界線に立つ。
都市の外に行くのではない。都市の外と向き合う。
リトラはそのための計画を、静かに始めた。
だが、その指先が探しているものは、明らかに都市の“外”だった。
ノクテラはまだ、眠っている。
だが、都市の片隅で静かに点滅する小さな光が、一つだけ、生まれていた。──まだ名もない言葉を、確かに感じていた。
それはきっと、こう言っていた。
──ただ、知りたいだけだろう?
──あの人間たちが、どうして笑ったのか。
──自分の「見ている景色」では、もう足りないと、思ってしまったから。
だから、橋をかけようとしているのだ。
境界を越えたその先に、自分の知らない微光が、確かに揺れていた。




