3-03 巻き込まれ婚約破棄〜真実の愛なんてどこにもありませんが?!〜
貧乏子爵の行き遅れ、ナターシャ・フレドリス。
参加していたパーティで突然始まったアルフォンス公爵子息とリリアーヌ公爵令嬢の婚約破棄騒動を近くで見ようとして、なぜか婚約破棄の理由にされてしまう。
真実の愛を見付けたと腰を抱いてくるアルフォンスに文句を言えるはずもなく、別室に引き摺られていったナターシャ。
リリアーヌの父である宰相の悪事を暴くため、報酬に釣られてアルフォンスの仮初の恋人を演じることに。
問答無用で磨き上げられ、見違えるように美しくなったナターシャは開き直った。
「ここまで来たら、何だってやってやりますわ!」
「いい心意気だ、それでは作戦会議といこう」
宰相の悪事を調べるうち、明らかになる事実。
国家を揺るがす陰謀を、行動力抜群の契約カップルがぶっ潰す!
「やってもいいですけれど、報酬増やしてもらえます?」
「ここを乗り切れば、国からも報奨金が出るな」
「やります」
その日は王城で開かれたパーティに参加していた。
顔見知りとの会話を適当に終えた私、ナターシャ・フレドリスは、テーブルに並ぶ見た目にも華やかな食事に手を伸ばす。
貧乏子爵と影で囁かれる我が家。爵位を継ぐ兄とは違い、私はなるべく少ない持参金で嫁に行くことを暗に期待されていた。
でも、成長期真っ盛りの私にとって、条件のいい男性と出逢うことより肉を食べることの方が重要で。
パーティに参加する度にご飯をもりもり食べていたものだから、既に行き遅れと呼ばれる年齢に到達してしまったけれど、一度きりの人生だ。美味しいものを美味しく食べられるうちに堪能したい。
そんなわけで、今日も存分に楽しむこととします。
家のキッチンでは出せない高火力で皮がパリッと焼き上げられた鶏もも肉、上質の脂がじゅうじゅうと音を立てるサイコロステーキ。
美味しいお肉を毎晩出してくれる男性なら、喜んでお嫁に行くのだけれど。
美しくカットされたローストビーフを三枚まとめて頬張った時、ダンスフロアの方からパーティには似つかわしくない厳しい声が聞こえた。会場中に響き渡ったその声に、参加者はみな動きを止める。
ゴシップの気配を感じて興味本位で声のする方へと進めば、そこには美男美女カップルと名高いアルフォンス公爵子息とリリアーヌ公爵令嬢が向かい合って立っていた。
先ほどの声はアルフォンス様が発したのだろう、眉間に皺を寄せてリリアーヌ様を見据えていた。社交界の華と言われる可憐な顔はどこへやら、リリアーヌ様も負けじとアルフォンス様を睨み付けている。
「婚約は破棄させてもらうと言ったんだ」
「何故このような場で突然?」
「貴女の家を訪ねても、手紙を出しても、貴女の父君に話しても音沙汰がなかったからだ。城で開かれるパーティならば出席しないわけにはいかないだろうからな。もちろん、陛下には了承を得ている」
「……随分と準備のよろしいこと」
突然始まった婚約破棄騒動。どうやら国王陛下は事前に知っていたようだけれど、こんな騒ぎを許すなんてよほどのことだ。
「もう一度言うぞ。婚約は、破棄だ」
「そんな……」
リリアーヌ様が長い睫毛を伏せ、桃色の薄い唇を震わせる。今にも消えてしまうのではないかと思うくらいに儚げな姿で、大きなハシバミ色の瞳から涙を零した。
「い、嫌ですわ……理由を仰って! 納得できません!」
縋り付くように崩れ落ちたリリアーヌ様を冷たい目で見下ろしたアルフォンス様は、見間違いでなければ小さく舌打ちをした。
少し癖のある金髪にくっきりとした碧の瞳、顔も良ければガタイも良くて、全淑女の憧れとも言っていいアルフォンス様がまさか舌打ち?と思っていると、その鋭い瞳と自分の視線が交わる。
野次馬根性丸出しの自分が恥ずかしくなり、視線を逸らそうとしたけれど、それより先にとんでもないことが起きてしまった。
アルフォンス様が、こっちへ歩いてくるではないか。
見たことないくらい甘い微笑みで私の手を掴み、拒絶する隙も与えられずにガッシリと腰をホールドされる。
わけも分からずアルフォンス様を見上げれば、想像以上にどアップのイケメンがそこにいた。
「ナターシャを、愛してしまったからだ」
は?と言いかけた私の唇を、アルフォンス様の指が塞ぐ。手袋越しとはいえ、すらりと伸びた人差し指の熱が伝わり、私の体温は勝手に上がった。
そのせいで顔が赤らんだのだろう、リリアーヌ様を初めとした周囲の人々は、私とアルフォンス様が恋仲であると信じきったようだった。
いや、誰だってアルフォンス様にほとんど抱きしめられたような状態でこんなことされたら赤くもなるでしょ?!
心の叫びは当然のように誰にも届かず、涙を流して床に崩れるリリアーヌ様をご友人たちが慌てて支え、そして全員で私を睨んだ。こわいって!
「婚約破棄についての書類は貴女の家の山積みになった手紙の中にある。速やかに提出するように。一週間経っても提出が認められない場合、強制執行させていただくのでそのつもりで。それでは、失礼する」
私はアルフォンス様に半ば引き摺られてパーティ会場を後にした。王城の一室まで連れてこられると、ほとんど羽交い締め状態だった身体がようやく開放される。
「一体なんなんですか?!」
「すまない、利用させてもらった」
「もうお嫁に行けない……っ!」
アルフォンス様は部屋に置かれた椅子に腰掛け、向かいのソファを手で示す。話が長くなる気配を感じ、指示されるままソファに座った。
「というかアルフォンス様、よく私の名前をご存知でしたね?」
「あぁ、君の父と俺の父は昔馴染みでな。資金援助も申し出たらしいんだが、友情にヒビが入るからと断られたそうだ」
「初耳ですが……」
まさか父がそんな格好いいことを言っているとは。父にとって友情とは、娘の結婚よりも重要なのかもしれなかった。
「勝手に巻き込んでおいて悪いが、君に拒否権はない。事態が落ち着くまで俺の恋人でいてもらうぞ」
「事態が落ち着くまでというのは……?」
少しだけ私の方に乗り出したアルフォンス様が、声を潜めて言葉を紡ぐ。
「リリアーヌの父、我が国の宰相閣下が隣国と良からぬ取引をしているという話があってな。その断罪が終わるまでだ」
「待ってください聞きたくなかったですそんな話」
「もう遅い」
ニヤリとした悪い笑顔は普段とはまた違った雰囲気で、それもまた格好いいと思ってしまうのだからズルい。
それはそれとして、何という話を聞かせてくれるのだ。確実に機密事項ではないか。何がなんでも私を巻き込む気持ちが強すぎるこの男。
「もちろん、タダでとは言わん。ことが明るみに出た暁には俺たちの関係性もしっかり公表し、君には素晴らしいお相手を見繕ってやろう。報酬も、君の家の傾きを直せるくらいには出すが?」
「やらせていただきます!」
一も二もなく食い気味で返事をした私に、アルフォンス様がフフッと声を出して笑った。すぐに表情を正したけれど、あまりに破壊力の高い笑顔を食らった私は固まるしかない。ああ、顔がいい。
「しかし君が近くまで来ていてくれて助かったな、探す手間が省けた」
「えっ、まさか最初から私を巻き込むつもりで……?」
「誰よりも弱みが握りやすくてな」
「貧乏子爵の行き遅れですもんね……」
ガックリと肩を落とし、項垂れる。しかし、わざわざ婚約破棄などしなくても良かったのでは?
私は疑問をそのまま口にした。
「でも、リリアーヌ様と婚約者のままでいる方が情報を集めやすいのではないですか?」
アルフォンス様は肘掛けに体重をかけるように頬杖をつき、深く長い溜息を吐いた。
「陛下は、改心のチャンスを与えろと。そもそも国庫の金を横領している疑惑が浮上して、その調査の過程で判明した取引の話なんだが、自ら罪を詳らかにするのであれば命までは取らぬと仰せでな」
「はぁ……」
改心などしないと思っているのが丸分かりの顔だった。話を聞いただけの私だってそう思う。宰相の地位にあるいい歳したオジサマが、軽い気持ちで悪事に手を染めるとは思えない。
それに処刑を免れたとしても、野放しにはできないだろうし……。
「だから婚約破棄は牽制だ。まぁ、リリアーヌの奴も取引に関わっているという話だし、それと婚約状態にあって俺の評判に傷を付けたくない」
「それ、って……。あ、私もそばに置くには不相応では?」
「爵位は問題にならない。きっと少ししたら身分違いの恋愛小説が山のように出るぞ。リリアーヌを悪役に添えてもらうか?」
「やめてください」
公爵子息と子爵令嬢の恋愛小説が並ぶ光景を想像してしまって私は震えた。今の流行りは悪役令嬢ものなのだけれど、リリアーヌ様が悪役令嬢のモデルとして登場するのだけは勘弁してほしい。
「それに、君は磨けばモノになる。俺の恋人であると公になったんだ、存分に磨き上げてやるから楽しみにしていろ」
アルフォンス様が私を見て楽しそうに微笑むものだから、もう何も言えなくなってしまった。
それからしばらく、アルフォンス様がでっち上げた恋仲になるまでのストーリーを叩き込まれた。私はまず、家族からの質問攻めを乗り切らなくてはならないのだった。
公爵家の馬車で家まで送り届けられた後は、想定通り家族全員からの質問の嵐。いつ出逢ったのか、どうやって仲を深めたのか、想いを告げたのはどちらからなのか。
練習した答えを並べていくと、とりあえず三人は納得してくれたようだった。
疲れきってすぐに眠ってしまった私は、翌日山のように届いた贈り物に目を回すことになる。
アルフォンス様からの依頼で……と王都一予約の取れない美容師や整体師が代わる代わる我が家を訪問しては、問答無用で私の全身を整えていった。
おかげで数日後、招かれた公爵邸でアルフォンス様の前に立った私は、まるで別人のように美しく着飾っていた。
「ほら、俺の目に狂いはなかったろう?」
「化粧の仕方から日々のストレッチまて叩き込まれて、姿勢の矯正までされたんですが?!」
「それじゃあ後は、欲しい情報を手に入れる手練手管を叩き込んでやる」
「ふっ、ここまで来たら何だってやってやりますわ!」
「いい心意気だ。それでは作戦会議といこう」
そうして私は彼の手を取り、一歩を踏み出した。