3-02 光差す日の到来を祈る
酒が飲めないのをいいことに先輩たちの足にされている大学一年生の相楽辰之進(19)は、深夜国道を運転中カージャックに遭遇する。
犯人は小学生くらいに見える白人の子供二人。
指先から人体に衝撃波を流す力を持つ少年、ヴァロ・ケウルライネン。
少年より幾分か幼く見えるアルビノの少女、アイノ・アウティオニエミ。
犯人らは辰之進とルームシェアをしている呑気な同級生、三島寅次郎(20)を人質にとり、二人の住む家をのっとろうとしていた。
接触した目的は辰之進自身にあるとのたまう、得体の知れない少年少女の狙いとは。
現代日本を舞台にした異能ファンタジー(BL風味)。
夢を見て泣いたのは初めてじゃない。
そこでの俺は何か取り返しのつかないことが迫っているような焦りで、はちきれそうになっている。
ずんと胸を押さえつける圧迫感。
何本もダッシュを繰り返し、力尽きる寸前の疲労感。
突如響く鈴の音に、全身がぞっと泡立つ。
いくつもの悲鳴が重なって潰れたような、悍ましい音色。
目の前で神社のお守りでよく見る、鞠のような形をした白と桃色の桜鈴が跳ねて、底なしの真っ暗闇に転がり落ちていく。
俺はそいつを追いかけて身を乗り出し、手を伸ばす。
決して取り逃してはいけないものだとわかっているのだ。
なのに、つかみ損ねる。
指先に金属とは思えない柔らかく温かな感触が痺れるように残り、もう取り返しがつかないことを知るのだ。
届かなかった。
これで、みんなおしまいなんだ。
◆
サークルの先輩たちの足としてビリヤードに付き合わされた帰り道。
酒臭い連中を大学前で降ろして、信号待ちしていた時のことだ。
すうっと夜気が吹き込んできた気がして横目で見ると、後部座席のドアが大きく開いていた。
は? ナニコレ。怖いんですけど。
酔っ払いがちゃんとドアを閉めなかったんだろうか。
それとも走行中に開いたのか。こんなことは初めてだ。
ため息をつき、サイドブレーキに手を伸ばした、その時だった。
「小さいけど、手入れの行き届いた良い車ですね」
後部座席に乗り込んできたらしい誰かが、甲高い声で話しかけてきた。
慄きながら振り返るも、後ろのSUVがヘッドライトをハイビームにしているせいで後部座席の様子はよくわからない。
戸惑っているうちに信号が変わり、派手にクラクションが鳴る。
「早く出したらぁ。後ろの車、めっちゃ怒ってるし」
続いて入ってきたもうひとつの小さな影が扉を閉める。
音の感じからして絶対半ドアなんだが。
乗り込んだ二人は間違いなく子供だ。
「君たち。乗る車を間違えてない?」
口を開いた瞬間、再びビーッと長いクラクションを鳴らされる。
仕方がない。いったん信号を渡って適当な場所で路肩に寄せるか。
ハンドルを握り直すと、思った通り半ドア警告灯が赤く点灯していた。
直進なら、もたれたりしない限り途中でドアが開くことはないだろう。
信号を渡ると、後続車はこちらがハザードを出すよりも前に、すごいスピードで追い越して行った。
さて、どうしようか。
深夜の国道に小学生らしい子供二人。このまま下ろしてさよならというわけにはいくまい。
車を止め、子供達を怖がらせないように笑顔を作り、振り返る。
「おうちの人の車に似てたのかな」
いきなり左耳の下あたりにボクサーに殴られたかのような強い衝撃が走った。目に火花が散る。
クラクラし、全身が痺れて力が入らない。ブレーキを踏んでおくのもやっとだ。
目を凝らすと金髪、碧眼の美少年が左手を挙げて身を乗り出し、スタンガンのようなものを光らせているのが見えた。
「スマートフォンはどこです? 渡しなさい」
言葉遣いは硬いがネイティブとしか思えないほど流暢だ。
思わずチラリと助手席に目を向けると、察知した美少年は小さな相棒に指示を出した。
「アイノ。鞄ごと取れますか」
「オッケー、ヴァロ」
自分の素直さが恨めしい。
アイノと呼ばれた少女はペロリと上唇を舐め、青白い細腕を伸ばして、強引に鞄を後部座席へ引っ張り込んだ。
光輝く真っ白な髪を持つ、こちらもかなりの美少女だ。
「こら。なにすんだ」
痺れる手を鞄に伸ばすと耳元で再び電気が弾けた。
背筋がヒヤッとする。
「ゲット!」
後部座席のアイノは鞄からスマホと財布を取り出し、ヴァロに投げた。
「悪いこと言わないから、返しなさい」
「黙って言うことを聞きな。おじちゃん」
「おじ……?」
俺、まだ十代なのに。
地味にショックだが、それより深刻なのはドンドン身体の痺れが強くなっていること。
冷や汗を落としながら事情を訴える。
「まて。ブレーキが、もう」
舌先までピリピリしてうまく喋れなくなってきた。もう足は限界だ。ブレーキを踏む力が抜けてじわじわと車が進み始める。
「なんてひ弱な。仕方がないですね」
ヴァロは小さな手のひらで俺の後頭部を押し上げると、左耳の下、衝撃を受けた箇所に顔を近づけてきた。ぴたりと湿った生暖かいものの触れる感触がして、ちくりとした痛みが走る。さっき受けた破壊的な衝撃とは違う、ごく細い針を刺したようなわずかな痛み。
「いっ」
「大袈裟ですよ。大して痛くもないでしょ? 少しは鍛えたほうがいいですよ。相楽辰之進さん」
口元を拭い、財布の中に入れてあった運転免許証をひらひらさせる。
通信手段と金銭を奪い、身分を把握する。
この幼い白人の二人組がやってることは脅しそのものだ。
返事の代わりにヴァロの青い目を睨みつける。
ふと、嘘みたいに強烈な痺れが消えているのに気がつく。
「とりあえず、出してください」
「ライドシェアはやってないんだけどな」
今、ヴァロの手に武器は握られていない。抵抗しながら、全てを置いて逃げるしかないのかなどと思い巡らせていると、アイノに助手席をドンドン蹴られた。
「バカ。ブレーキ、ブレーキ。辰之進!」
縁石ブロックに乗り上げそうになり、慌ててサイドブレーキを引く。
「こ〜んな間抜けに、運転手が務まるわけない」
「だったら、さっさと降りてくれよ」
カチンときて思わず荒い言葉が飛び出す。
と同時に助手席の窓がコツンと拳で叩かれた。
まずい。この状況をどう説明すればいいんだ?
車内には、どういう関係性にあるか想像し難い幼い白人の少年少女。
そしてソイツを罵る大人気ない青年。
どう見てもよそからは俺が不審者としか見えないだろう。
「ちょうどよかったぜ。帰るとこだろ。乗せてってくれよ」
俺の同居人、三島寅次郎が返事を待たず助手席にどかっと腰を下ろした。
勢いでいつも尻のポケットに入れている財布のキーホルダーが浮いてチリンとなる。
無断で扉を開けられるのは本日二度目だ。
ロックをかける習慣がなかったことが恨めしい。
「こら、勝手に入るな」
「さっき、コンビニで先輩からお前の話を聞いたんだよ。むりやり拉致られたんだって? 酔っ払いの送迎、ご苦労だったな」
俺の話に聞く耳を持たない。
「ぶっ、ライドシェア……」
後部座席で吹き出すアイノの声に、寅次郎がのけぞった。
「うわっ。誰、この美少女。どういう状況?」
アイノは後部座席の運転席側にいるはずのヴァロを押し除け、運転席の俺の腕にしがみつく。
「ふぁ? パ、パパ! この人、誰。怖ぁい!」
「……パパァ? お前まさか」
「そんなわけないだろ。俺まだ十九だぞ。計算するまでもなく無理だから」
小さく見積もっても七つは超えて見えるから、もしもそうなら俺が小学生の時の子ってことになる。
「こんな純白美少女のどこに、お前の要素を探せばいいんだ。疑ってんのはそっちじゃねーよ。パパって呼ばせるとか、犯罪級だぞ」
「もしかして疑ってんの、パパ活? ふざけんな。んもう、なんでもいいから全員降りろ」
寅次郎はヘラヘラ笑って鍵を閉めた。
最終的な目的地が同じなのだから、降りる理由などないってことだろう。
コイツ酔ってる。普段以上にだらしなく垂れた目元を見て確信する。
陽気になるくらいでパッと見しっかりして見えるのが、かえって厄介だ。
「どうせ迷子かなんかだろ。よし。おじちゃんもトコトン付き合ってやる。おじょうちゃん、お父さん、お母さんとはどこで別れたの。こんな夜中に危ないぞっ」
「助けてくださるんですね。ではぜひお宅にお招きください」
いつの間にか助手席側に移動していたヴァロが、寅次郎の首にそっと手を這わせる。
「二人いたんだ。君たちは兄妹かな?」
寅次郎は後ろの二人を見比べる。
似ているというか、単に外国人の区別がつかないだけだろうが。
見ていられなくて胸のうちで悪態をつく。
ヴァロはこちらに挑発するような笑みを向ける。
「そのようなものです」
寅次郎の首でチリっとヴァロの爪の先が光る。
スタンガンを持っていたんじゃない。
あの破壊的な力はヴァロ自身から放出されていたんだ。
それを同居人から見えない角度で俺に見せつけ、そっと耳元で囁く。
「さあ。車を出して。お友達を傷つけたくはないでしょう」
「何が目的なんだ」
「私たちの目的はあなたです。あとは家で、ゆっくりと」
俺。目的が俺?!
何も知らない寅次郎は、親切心丸出しで二人に忠告する。
「君たちがスキンシップを好むのはお国柄なの? 日本人は人に触る習慣がないから気をつけないと誤解されるよ! 安全な国って思われてるけど、危険な大人だっているんだからね。泊めてあげたいのはやまやまだけど、初対面の大人に頼むのはまずいよ。もしもおじちゃんたちが危険な大人だったらどうするの。君たちには君たちの事情ってもんがあるんだろうけど、未成年を連れ込むわけにはいかないな。あ。おじちゃんの日本語通じてる? 難しいかな」
寅次郎は自らおじちゃんを自称して抵抗ないらしい。
一浪している彼のがひとつ上だとはいえ、同学年としてなんだか負けた気がする。
酔っ払いの取り止めのない説教を聞き流して心の中で盛大なため息をつき、俺たちの住むアパートに向かって車を走らせた。