3-25 極彩色の匣庭
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木目の間から覗かせるのは、輝きを放つお姉ちゃんの宝物たち。四角に区切られている格子の木目から、私はお姉ちゃんを覗いた。格子は厚みがあって湿っている。ここは光が入らないように設計されているから湿気もたまりやすい。
お姉ちゃんはごろりと畳に寝転んでいた。額に昨日拾ってきた枝が降りそそぐ。赤い手が伸ばされたような葉が枝に垂れ下がっている。葉の裏には細かな葉脈が張り巡らされていた。まだ息づいている。
お姉ちゃんが、枝葉に息を吹いて遊びだした。下唇を突き出して前髪を吹き上げるように、ふーふーと口から息を吐き出す。その後お姉ちゃんは、一枚ちぎった。うぅうううぅ、と唸りながら身体を起こす。葉っぱは生気を奪われてしまった。
お姉ちゃんの意識は別のものに移る。起きがけに、足が古書の塔にぶつかった。勢い余ってランドセルに崩壊してしまう。
下敷きになった足をひっこぬくと、ぬいぐるみの兎が蹴り上げられる。ぴょこっと桃色の兎が跳ねたみたい。これは私の物だったけれど、お姉ちゃんに取られたものだ。お腹が肌色をして穴が空いて綿が飛び出ている。お姉ちゃんはお腹の穴を見るとぐりぐりと指を突っ込んで綿をひっぱりだす。兎の中はどこか別の世界に繋がっていて、もしかしたら雲を盗んで来ているのかもしれない。別世界の雲を盗んだせいか兎もくたびれてしまう。
お姉ちゃんはひとしきり遊ぶと小さな部屋から飛び出す。鍵はかけていない。そのたびにお姉ちゃんは世界から何かを盗んでくる。
私は後を追いかける。四角い、匣のような暗い部屋を置いて、外へ出ていく。
倉の地下から地上へ上がる梯子は、黒く腐っていた。私はお姉ちゃんの後ろについて一緒にのぼる。裏の庭園に出る。
裏の庭園の枯山水は百日紅を中心に波紋をつくっていた。さらに、庭園の百日紅が死角をつくり、倉は平屋の家屋からは見えづらい場所にある。青空に薄い雲がたなびいていて、倉から家屋までの道にある飛び石は表面が濡れて艶めいていた。心なしか飛び石に付された苔が生き生きとしている。
お姉ちゃんは飛び石をぴょんっぴょんと身軽に飛んでいく。滑りそうなくらい磨きあげられた廊下に行き着く。
なにやら家の中は慌ただしい。本家のお手伝いさんが行ったり来たりしていた。
お姉ちゃんがごろんと転がって、お手伝いさんをケラケラと笑う。廊下を遮られて、お手伝いさんは困っていた。するとお手伝いさんの後ろからひょこっとお母さんが出て肩を叩く。
「こらこら、お嬢さん。そんなところで寝ていないで、ご飯を食べておいで」
「あとで食べる~」
「お腹すいてるでしょ」
私も困ってお姉ちゃんに語りかけた。
「お姉ちゃん、食べようや。私もお腹すいた」
すると、がばっとお姉ちゃんは身を起こした。居間へ駆けていく。私の語りかけが良かったのか、お母さんの声が良かったのか、ようやく食事へと向かった。遅れてお母さんがため息をついた。
「分家さんが来てんのに困った娘やわぁ」
お母さんの声が背中を押して、私はお姉ちゃんの二三歩後ろについていった。
安心して、お母さん。お姉ちゃんは私が見てるから。
とたとたと、とたとた、と軽快な足音が床を叩いている。お姉ちゃんのズボンの裾からつむじまで視線を伝わせる。
いつもこうして姉の二三歩後ろをついている。見慣れた姉の背格好。周囲からの視線。どうして姉はこちらを振り向いてくれないのだろうか。姉は周囲の者からはかけ離れており、いつも私はお目付役を言いわたされる。人の物はすぐにとる。突然大声をあげる。好きなことを延々と喋り出す。そんな姉をたしなめるのはいつも私。双子として産まれてきたはずなのに、いや双子として産まれてきたからだろう。幼い私の肩には姉の身がのしかかっていた。
食膳の前につくと姉は座布団を「これ、嫌い」と弾き飛ばして畳にあぐらをかいた。私は「お姉ちゃん、はしたないよ」と言ってしまう。食膳にあるお箸を二ついっぺんに握りこみ、ご飯に刺した。お茶碗を抱えて茶碗の箸に大きな口を開けて流し込む。口の端から溢れ出したご飯粒。頬に、服に、畳にぼたぼたと雪のように落下する。大きな広間にお姉ちゃん一人だけ。お箸やお椀がかちゃかちゃと叩かれたり弾いたり、楽器のように弾かれているが誰も知らない。最後に貝殻型の小皿に載せられた漬物を指でつまんだ。貝殻は淵が桜色に赤らんでいて、なめらかな白陶で仕立てられている。お姉ちゃんは、口にご飯を含みながら、貝殻をつまんで電灯にかざした。貝殻のシルエットがお姉ちゃんの澄んだ瞳に映された。長い睫が伸ばされていて、ぱちりと瞬きする。
「ねぇねぇ、それ気に入ったの?」
お姉ちゃんが頭を下げると、男の子がつむじを向けていた。お姉ちゃんのつむじと並ぶ。襟足も整えられて、柔らかい髪の男の子。
「お姉ちゃん、分家の子や」
私はお姉ちゃんに耳打ちする。
「あんた、どっからでたん。すごい」
お姉ちゃんは貝殻をぎゅっと握って背中に隠した。それもバレバレで男の子は後ろに回って、「貝殻やろ、それ。どこに持ってくん」
「えっとねー」
「なあなあ、だって僕も欲しかったんやもん。お母さんらにとられてしまって、もらえんかった。いらんねんやったら僕も欲しい」
くるくるとお姉ちゃんを軸に男の子は回る。お姉ちゃんは、あーとかうーとか困ったときに出す声をあげていた。
「これは、あたしのもんや。あげへん」えー、と男の子は止まってお姉ちゃんに物欲しげに目を潤ませた。「だって、これは」男の子はじっとお姉ちゃんを見続ける。「秘密基地に持ってくんやもん」
男の子は、「秘密基地!」と違うところに反応した。
「秘密基地なんてあるん。どこ、それ。僕も行きたい」
「内緒やで。それで貝殻はあきらめてくれる?」
男の子はうん、と元気に頷いた。お姉ちゃんは貝殻を握る。先程の道を歩み返す。屋敷の裏手へ回り、廊下を出る。冷たい空気を、はふはふと噛みながら、「なあ、名前なんて言うん?」と男の子が聞いて会話が弾みだした。
「あんたはなんでいんの?」
お姉ちゃんは安定の遮り方をする。
「僕は、冬休みの間来てるだけや。本家の集まりみたいなんがあるらしくて。大人はよう分からんな。あ、僕、シズルっていうんやけど」
シズルは、自分の話を誰かに聞いてほしくてたまらないのだろう。小学校何年生だろうか。シズルのランドセル姿が容易に思い浮かべられた。黒いランドセルを背負って、お姉ちゃんや私と一緒に学校へ行く。そんな光景を浮かべたら、このシズルとも友達になれそうだった。
秘密基地に案内したくて、早歩きになって裏庭に飛び出していた。裸足で飛び石に移る。私もその後ろにつく。男の子はその後ろ。だけど、一向に飛び石に乗る音がしないから、男の子を見るため振り返った。
縁側で男の子は歩みをしぶっていた。顔を俯かせて、雲が男の子の影をつくる。眉間に皺がよっていた。
「そっち行ったら幽霊でるって」
怖々と言いそぼるシズルに、
「そんなん嘘や」私は言い放った。
「大人はそう言っていつも嘘をつくんや。本当にあるものを隠してるだけ」
シズルは、はっと顔を開けさせる。私の前でお姉ちゃんがシズルを置いて前へ進む。早くしないとお姉ちゃんの姿を見失う。シズルは慌てて飛び石に足を進ませた。
倉から地下へお姉ちゃん、私、シズルの順で降りた。そこは外よりも寒気が立ちこめて肌が凍てつく。お姉ちゃんは鈍感で分からない。シズルは「寒い!」と飛び上がっていた。視線の先には格子になった木の檻。目が慣れずにおそるおそる足をつける。つま先立ちになって、格子に近づく。大丈夫大丈夫、と私は笑ってしまう。
お姉ちゃんは先々進んで貝殻を中へと放り投げた。
「ここが、秘密基地?」
シズルが格子に手を置いてのぞき込んだ。お姉ちゃんはすかさずに中へ入る。電気すらなく目が慣れるまでに時間を要して、シズルの反応が遅れた。私はお姉ちゃんの後ろについて中に入って見せる。手を広げて、「ほら、なんも怖くないやろ」
「な、なんか、みすぼらしいな」
「なんやと」
お姉ちゃんが足下の宝物を踏み散らす。古書も、枝も、貝殻も、茶色い瓶も。
「わかった。なんか、秘密基地らしくないんや」
「なにが足りんの?」
「そんなんも分からんの?」
お姉ちゃんはうなり声をあげて、寝転がり、暴れ出す。これの被害に貝殻が合ってしまい、壁にぶつかりひびが入ってしまった。
「おかしな人やなあ。大人やのに。僕よりも何年も生きてるやろ」
もう二十五にもなるのに癇癪を起こし続けるお姉ちゃん。お姉ちゃんは長い手足をありとあらゆる場所に伸ばしてシズルに向けて投げつけた。くつくつとシズルは笑う。
「この秘密基地、色がないやん」
「色? 分からん」とまた物を投げ続ける。
「分かった。僕が教えてあげる、変なお姉さん。冬の間しかここにいいひんけど、その間にとびっきりの秘密基地にしてあげる」
シズルが格子の外から手を伸ばす。お姉ちゃんはすっくと立ち上がって、シズルを見下ろして格子から震えながらも手を出した。シズルは無理矢理にお姉ちゃんの手を取って握った。
「その代わりに僕もこの秘密基地使わせてな」
ちらりとシズルが私を見たような気がした。
そんなはずはないのに。
「お姉さんが一号なら、僕は秘密基地会員二号ってことで。お姉さん以外、ここにはいいひんし、いいやろ」
お姉ちゃんはシズルを奇妙な生き物を見るように見つめた。
からんと自分が反応した。私は足下の骨壺をこつんと蹴り上げて、奇妙なことになりましたね、と自分に言った。すると、「変なことにならんといいんやけど」とからんと骨が鳴った。