3-20 10歳年下の幼馴染
【この作品にあらすじはありません】
その日の気候は穏やかだった。
京都に住むこと四年、蒸し暑さになれてしまったものだから、京都より南にある九州でも特段熱いとは感じない。
ましてや、僕らがいるのは玄界灘を走るフェリーの甲板だ。
「ねぇ、夏秋くん、島が見えてきたよ」
真っ赤なキャリーバッグを引きずりながら女の子が甲板の前の方から、僕のそばに駆けてくる。
あの中には二週間の間、この島で宿泊するための荷物が入ってるだろうに、彼女の足取りはそんなものは全く感じさせないくらい軽やかだ。
「そんなにはしゃぐようなことじゃないだろ」
「私、島に行くの初めてなの。だから少しぐらい、はしゃいでもいいでしょ」
そういいながら僕の隣の手すりに寄りかかる少女は時川遥、芸大では僕の中で数少ない友人の一人で、今回は一緒に卒業制作を作るチームメンバーだ。
時川遥と出会ったのは、大学二年生の時の映画制作実習の時だった。
その授業というのは数人の監督を選び、その人の元でスタッフを集め映像を作るというものだったが、僕はその授業で選ばれる五人の監督の一人になった。
想像すればわかるだろうけど、僕に大学での友人などいなかった。それゆえに僕の撮影班のスタッフになってくれる人間なんて期待してなかったし、居なかった……一人を除いて。
「ねぇ、仲間に入れてよ。君の映画の」
そういって話しかけてきたたった一人の女の子が時川遥、その人だった。
それまでの僕の印象としては、意識が高い人間が多いこの映像大でも、ずば抜けて有能な人間だということだ。彼女が入るだけで、グダグダだった現場は回り始めるとか言われていたし、彼女はクリエイターとしてもプロデューサーとしても、どこの撮影班からも引く手あまただった。
「どうして僕なんか選んだの。この班には僕以外のスタッフなんていないんだよ」
疑問に思っていた僕を笑い飛ばしながら、彼女は答えたのを鮮烈に覚えている。
「君に興味があるからだよ。夏秋航くん」
「からかうのはやめてくれ」
僕は彼女が冷やかしでやってきたのだと思った。彼女は僕とは住む場所が違うような人間だったし、僕は彼女が学部棟のラウンジで人脈について語っていたのを覚えていたからだ。
「映画は一人では作れない。必要なのはコミュニケーション能力とタスクに対する責任感なのよ。それなのに、それが足りない人が多いってどういうことなの』
確か、こんな感じだっただろうか。正直に言って、それは僕にはどちらも完全に欠如しているものだった。
彼女がなぜ僕と映画をつくりたいのか、僕が聞くと、彼女は思いのほか真摯に答えてくれた。
「そうね。突然こんなことを言ってもからかっているようにしか見えないよね。だけど、私は君と映画を作りたいの。覚えてるかな、一年生のころの自主制作での監督作品の上映。あの作品、みんなカッコいいという感想をくれた中で、君だけが泣いていたんだよ。感動作でもなかったのにね。私はそんな君に興味を持ったの」
本当は適当な理由をつけて、ほかの班に行ってもらおうと思っていたけど、ここまで言われたら、当時の僕としても断れなかった。
それで、それから今日まで続く有能プロデューサーと変人クリエイターの凸凹タッグが生まれたというわけだ。
それはそうとして、卒業制作まで、僕についてきてよかったのだろうか。彼女ならもっとうまくやることができただろうに。
「それにしても、あれが筑前大島かぁ。夏秋くんの故郷が世界遺産だったなんてね」
そんな僕の疑問なんか知らない彼女は船の手すりから身を乗り出し、これから向かう筑前大島を眺めていた。
「そう、あれが僕のふるさと、そしてこれから撮る映画の舞台だ」
―筑前大島
宗像沖に浮かぶ、人口七百人ぐらいの小さな島。二〇十七年に「神宿る島、沖ノ島・宗像関連遺産群」の一つに登録された宗像大社中津宮、沖津宮遥拝所がある。
僕はそんな島に十二歳のころまで住んでいた。だから今回はちょうど十年ぶりの帰郷だった。
「それにしても、君はなんで卒業制作まで僕とやろうと思ったんだ」
ふと聞いてみた。彼女からの回答なんて予想が着くけど。
「面白そうだったからだよ。君と映画を撮るのは本当に退屈しないしね。それに興味があったんだよ、君のその感性が生まれた筑前大島にね」
やっぱり
二年近く一緒に映画を撮ってきたけど、未だに彼女のことはわからない。
「そうだ、どうせなら島に着く前に教えてよ。この島で夏秋くんがどんな風に暮らしていたのか」
僕の思っていることなんてわかっていないのだろうか、それともわかっていてはぐらかしているのか、彼女は話の方向を突然変えていく。
「十年前か……」
遥にいわれて、十年前、この島に住んでいたころの自分に想いを馳せてみる。
あの頃は、なんというか今よりずっといきいきとしていた気がする。
それは単に僕が無邪気な少年だったからなのか、それとも僕が変わってしまったのか。
どちらにせよ、僕の人生はこの島にいた頃とこの島を出た後でおおきく変わったのは間違いないと思う。
すべては十二歳、幼馴染との別れから変わった。
*
二〇〇八年の八月島の北端、牧場の間の道を抜けた先にある風車広場。
海を臨む丘の上に立っている風車はこの島のシンボルとも言えるような場所であり、十年前の僕もその場所が好きだった。
ここは夕日がきれいで、学校から家に帰ってきて友人と遊んだ後は必ずと言っていいほど訪れていた。
それは、僕が島を発つ前日、この島で過ごす最後の一日もそれは変わらない。
その日は僕が本土へと旅立つ前だということで、友達がお別れ会を開いてくれた。漁師の息子の海斗に勉強がよくできる悠馬、そして幼馴染の夏希、みんなとは毎日のように島中を駆け巡っていた。
今、思い返してみれば、小さいころの方が友人も多かったし、なにもかもが輝いていたような気もする。まぁ、あの頃の僕は良くも悪くも無邪気な少年だったんだろう。
この日は、海斗と悠馬が帰った後、僕は夏希と夕日を見に、風車広場に向かかった。
誘ったのは僕からだ。どんな心境で誘ったのか、そこまでははっきりと覚えていない。
「こうやってここから夕日を見るのも最後になるんだね」
水平線の向こう側へと落ちていく太陽が、空も海も牧場も、すべてをオレンジ色に染め上げる。
僕らはそんなオレンジ色の世界の片隅にあるベンチに二人並んで腰かけていた。
「本当に行っちゃうの?」
風も吹かぬ夕凪、最初に口を開いたのは夏希の方だった。
今すぐにでも泣き出しそうな顔だった。
誘ったのは良かったけど、なんていえばいいのかわからなかった僕は成すすべがなかった。
「うん。だけど、必ず帰ってくるよ。いつになるかわからないけど、絶対に迎えにいくよ」
しまいには、こんなクサい台詞を口にしてしまう。どうかしていたのだと思う。思い出すだけでも恥ずかしい。
きっと、ロマンチックな雰囲気のせいだったのだろう。
「うん。私、待ってるよ。だからね……」
夏希は顔を隠すように麦わら帽子を深くかぶりなおすと、大きく息を吸う。
幼いながらに何かを感じた僕はそこで押し黙る。
「えっと、えっと……」
夏希は出てくる言葉が見当たらないのか、顔を真っ赤にしていた。
彼女は割となんでもビシッと決めるタイプの子だったから、こんな風にモジモジしていたのは後にも先にもこの時ぐらいだった。
緊張しながら待っていた僕、そんな中、意を決したのか彼女は被っていた麦わら帽子をとって顔を上げる。
「それって……こと?」
夏希の小さな声は波のはざまへと消えていていく。
「結婚してくれるの?」
「へ?」
彼女が突然そんなことを言い出したので、思わず変な声が出てしまう。
話が飛躍しすぎて、頭の中で整理がつかない。
「え、迎えに来るって……、それってプロポーズってことじゃないの」
「あ……」
夏希に言われて当時の僕はようやく気が付いたのだった。
迎えにいくだなんて、プロポーズの言葉と捉えられても、おかしくないことを自分が口走っていたことを。
「いや、まぁ……。名案じゃない? だって、僕たち家族になればずっと一緒にいれるよ」
もうやけくそだった。
あの頃の僕はなんというか、愚か者だったような気がする。何も考えずに、なんでも口にしてしまうあたりが。
だから、開き直ってこんな風に言ってやった。
「ほんと!」
僕の言葉を聞いた瞬間、恥ずかしそうにうつむいていた彼女は顔をあげる。
彼女は暖かな笑顔を浮かべた彼女の顔は、今でも脳に焼き付いていて、頭から離れない。
「言ったね? 約束だよ。絶対だよ」
そして、僕らは指切りをした。
そういえば、どうしてこうなったのだろうか。
僕は別に特段、恋愛感情を抱いていたのかと言われたら、多分そうではなかったと思う。
僕たち二人は幼馴染で、唯一無二の親友、僕はそう思っていた。
それは、夏希もきっと同じだったと思う。僕らは両想いではないし、当たり前だが片思いでもなかった。
だけど、このまま何となく、僕らは結ばれるんじゃないのかなぁと漠然と思っていた節がある。今でも、あの出来事がなかったならば僕は彼女と一緒だったんじゃないか、と思うことがある。
だから、この展開もごく自然で、それからこの約束も当たり前のように守られるのだろうと、思っていた。
彼女がその後、事故に合って深い眠りにつくまでは……。