3-17 飛竜婚姻譚〜元王女様はドラゴンブレスで王子を救う!?〜
崩れ落ちる城、暴徒と化した群衆、燃え盛る炎。灼熱の業火に身体を焼かれながら、わたしは心に誓った。
――次こそは、必ずみんなが幸せになれる国を作り上げると。
この熱さも痛みも忘れない。私が無知で愚かだった罪の証なのだと、そう胸に刻み込んで。
っっっっって!なんで起きたらこんな姿になってるのよ!!
雷の如き黄色の瞳、鮮やかで堅牢な深紅の鱗と白く鋭い牙、そして空を翔けるための大きな翼。
生まれ変わったらもう一度……って思ってたら完全にドラゴンになってるじゃない、わたし!!!
しかも森で出会った男はこの国の王子様で、その座を奪おうと兄弟やら家臣やらが虎視眈々と命を狙っているですって!?
あーもうわかった! わかったわよ! その四面楚歌の王子様とやらを、なんならこの国も救ってやろうじゃない!
……ってなに? なにそんな熱っぽい視線でわたしを見るのよ。わたしドラゴンよ!?
暴徒と化した群衆の声が聞こえる。平和だった頃の町の面影はなく、あがる火の手が夜空を明るく照らしていた。
中でも大広場はひときわ明るい。城から見下ろせるこの大広場は祭りや催しの際に利用される国民たちの憩いの場所だ。
王女レティシア・フォウ・ノワールも城から大広場で過ごす国民たちの様子を眺めるのが好きだった。活気と笑顔に溢れ、その姿に何度も元気づけられた。
――だが今、彼女はその場所で磔にされている。
怒りと失望を露わにした彼らが磔の彼女を取り囲む。
先頭の男が燃え盛る松明を掲げた。
「悪しき王女に火を! この罪人に裁きを!」
そう言うとレティシアの足元に積み上げられた薪に男が火をつけた。一瞬にして火は広がり、赤いベールが彼女を包む。
耐え難いほどの灼熱と激痛が全身を襲う、が彼女はそれを受け入れた。
この熱と痛みは、彼女があまりにも無知で、愚かであったことの罪の証だからだ。
「……みんな、みんなごめんね。次は必ず、みんなが幸せになれる国を作るから」
止めどなく流れる涙で視界がぼやけていく。愛した国民たちの顔はもはや見ることは叶わない。瞼が重くなり、次第に意識が遠のく。
爆ぜる炎の音と大勢の歓声が、彼女が最後に聞いた音だった。
――ッツ!
悪夢から目覚めるかのようにレティシアは飛び起きた。視界に飛び込んできた眩い太陽の光に、思わず顔を手で覆ってしまう。
(……あれ? わたし、火炙りにされて死んだんじゃなかったっけ?)
おそるおそるもう一度目を開けると、そこには広大な湖と生い茂る木々。
(ここは、いったい? わたしの国ではなさそうだけど。……そうか! きっとここはあの世なのね)
灼熱の業火に包まれた人間が生きているはずもない。目覚めた先が見知らぬ土地とあらば、そこはあの世に違いなかった。
(地獄にしては随分落ち着いた場所ね。もしかして天国?)
そんなことを考えながら辺りを見渡す。
ぼんやりとした意識を覚醒させようと目の前の湖で顔を洗おうと近付いた。
(わたしは磔にされ、焼かれて死んだ。今のわたしは、きっと酷い顔よね)
自嘲しながら、そっと湖に顔を寄せていく。
水面に映し出されていたのは美しく深紅に染まった鱗。爬虫類のように先細りした顔からは鋭利な牙が覗かせている。雷を思わせる黄色の瞳は鋭く、深紅の中で存在感を放っていた。
(わっ! まるでおとぎ話に出てくるドラゴン。なんでドラゴンが水面に……)
無意識に自分の顔に触れてみると、水面のドラゴンは尖った爪で同じく顔に触れる。
(ん? これって……)
試しに顔をふるふると左右に振ってみる。
水面のドラゴンも顔をふるふると左右に振る。
(……こ、このドラゴンがわたしぃぃぃぃぃぃ!!!)
「……グ、グオオオォォォン!!!」
巨大な咆哮が森に響き渡り、木々にとまっていた小鳥たちは飛び去っていった。
(ちょっと! ちょっと何よこれ!? なんでわたしがドラゴンになってんのよぉぉぉぉぉ!)
身体をよく見ると、鱗や牙の他に広げれば背丈を超えるほどの大きな翼を背中に携えている。しなやかで長い尾は緩やかにうねり、身体と同じく深紅の輝きを放っていた。
火炙りにされて起きてみたら自分がドラゴンに生まれ変わっていた。悪い夢なら覚めてくれと何度か顔を洗ってみるが、キラキラと鱗の輝きが増すばかりだ。
「グルルル」
おまけに人語は話せないらしい。牙の間から獣の唸り声が漏れる。
(生きているのは嬉しいけどこれからどうすればいいの!? ってかそもそもここ何処よ!)
目覚めた時の状況があまりにも理不尽過ぎてレティシアは泣きたい気分だった。いや、実際泣いていた。
どうしたものかと途方に暮れたその時、奥の方からガサガサと物音と人の話し声が聞こえてきた。
(ヤバっ。こんな姿見られたら絶対驚かれるし、最悪退治されるかもしれない)
ノシノシとドラゴンの体躯を揺らしながら、木々の影に隠れる。
「誰かっ! 誰か助けてくれ!」
血相を欠いた声と共に、湖を挟んで反対側の茂みから、ひとりの細身な青年が飛び出してきた。
一心不乱に森の中を走ったのか服は所々破け、癖のある栗毛の頭には木の葉が乗っている。
青年に続いて二人の男が出てきた。青年とは対照的に屈強な体つきの男たちだ。
「おいおい、あんまり手間かけさせるなよ。こっちだって急いでんだから」
「き、君たちは誰だ!」
青年は尻餅をついて後ずさりながら問いかける。
「誰だろうといいじゃねえか」
「少なくともあんたが知っているような人間じゃねえよ」
二人はジリジリと距離を詰め、鞘から剣を引き抜く。無骨な剣が鈍い輝きを放つ。
レティシアはその様子ををじっと身を潜めて伺っていた。
(……これはただ事じゃない様子ね。というかドラゴンって耳も目もすごく良いのね。これは便利だわー)
呑気にも遠くの彼らのやり取りがわかるほどの視力と聴力の良さに感心している。
「爺や! くそっ、誰かいないのか!?」
青年が助けを求め叫ぶがその声は虚空に響くだけだ。
「無駄だぜ、王子様。ここは魔物が棲む森として知られているからな。誰も寄りつかねえよ。それに、その爺やとやらも、今ごろ俺たちの仲間に襲われてくたばってるだろうさ」
「そんな……」
男は剣を上段に構えると、王子と呼ばれた青年の顔が青ざめ絶望に染まった。
レティシアはこの光景をよく知っていた。
おそらく次期王位を略奪するため、誰かが暗殺依頼したのだろう。
かつてレティシアも同じように悪意の刃を向けられた。
ふつふつとした怒りが湧き上がる。命を落とすことはなかったが、あの時の恐怖は今でも鮮明に胸に焼き付いている。
(こんなの、黙って見過ごせるもんですかっ!)
身を潜めていた木々をバキバキと薙ぎ倒し、太く逞しい後ろ脚で思い切り大地を蹴る。
翼を広げ、超低空飛行で湖の上を疾駆する。
空の飛び方、翼の使い方を知っているわけではない。鳥が教わらずとも翔び方を知るように、レティシアはただ本能的に、無意識に翔ぶことを理解していた。この身体が本当にドラゴンに生まれ変わってしまったのだと実感する。
駆け抜ける風圧で水しぶきをあげながら、ゴロつき二人と対峙する形で王子との間に割って入った。
ズウンンンン。
深紅の巨躯が着地すると重い地鳴りが響いた。
「ド、ドラゴン?」
風圧に顔を顰めながら王子は呟く。
「なんだこのバケモンは!?」
ゴロつきたちは驚きながらも、レティシアに剣を向けて構えた。
「グオオオォォォオ!」
(誰が、バケモンよ失礼ね!)
怒りを露わにしながら吠え、黄色の眼光で睨みつける。
「邪魔すんな!」
容赦なくレティシアに斬りかかるが、堅牢な深紅の鱗には傷ひとつ付きはしない。
(へえ〜、ドラゴンってこんなに硬いのね。自分でも驚きだわ)
斬りつけられたにもかかわらず、他人事のようなレティシア。
「なんだコイツ硬え!」
「おい、顔だ。顔を狙え! くたばれ、このバケモン!!」
構えている剣とは別に腰の斧をレティシアの顔に向かって投げつける。
斧は吸い寄せられるように弧を描いて飛んでいくが、レティシアは器用に翼を使ってはたき落とした。
「ゴアアアア!!」
(だからバケモンじゃなくてドラゴンでしょうがー!!)
レティシアの口からメラメラと炎が立ち込めたかと思うと大きく開いた顎から、灼熱の竜の息吹が放たれた。
炎の奔流はゴロつきの頭上を通過し、髪の毛を無情にも消し炭に変える。
そして右脚を軸にぐるりと旋回し、鞭のように長い尾をしならせて二人に叩きつけた。スイングされた尾は彼らを湖まで吹き飛ばす。
そのまま湖へ落下し、二本の水柱を作った。
先ほどの喧騒が嘘のように、森に静寂が戻る。
(全く、失礼なヤツだわ。……って、わたしそんなに怖い見た目なのかしら)
そっと手を顔にあててレティシアはため息を吐いた。
「ぼっちゃまー! セシルぼっちゃまー!」
森の奥から呼ぶ声が聞こえてくる。
「その声は、爺やか!?」
今度は執事の格好をした老人が息を切らせて出てきた。
「セシルおぼっちゃま。おケガはないでしょうか? 襲撃に遭い、目を離した隙に……。なんとお詫びしてよいやら」
執事は自分の不甲斐なさに項垂れる。
「気にするな。見ての通り僕は無事だ。――このドラゴンが僕を助けてくれたのだからね」
振り返ったセシルは深紅の竜に動じず、レティシアを見つめる。
「こ、これは飛竜!? 危険ですぞ。離れてください」
距離を取らせようとする爺やをセシルは手で制した。
「爺や、さっき言ったろ? このドラゴンは僕の命の恩人……恩竜なんだ」
セシルはレティシアに歩み寄ると、更に近くで黄色の瞳を見つめてくる。彼女も幼くも清潭な顔立ちのセシルをまじまじと凝視してしまった。
(な、なによ……。その熱っぽい視線は)
セシルが両手を伸ばすと、割れ物を扱うように丁寧な動作でレティシアの右手を包み込む。
そしてレティシアの鋭い爪が並んだ手の甲に、そっとセシルは唇をつけた。
「名も知らぬドラゴンよ。そなたに私、セシル・デイ・エルドラドは命を救われた。そして勇敢さ、深紅の美しさに心から惚れてしまった。どうか……どうか私の妃になってくれないだろうか?」
……
…………
「ガォォォォォ!?」
(はぁぁぁぁぁ!?)
――命を狙われる王子と命を奪われた元王女のドラゴン。二人の出会いがこの国を救うのか? それはもう少し先のお話。