3-16 コレクテイル
ある日、世界から『桃太郎』が流失した。その行き先は異世界テイルランド。
物語が流失すると、世界の人々からその物語の記憶と痕跡が全て消える。
それの何が問題かって?
多分ほとんどの人の生活にはあんまり影響はないかもしれない。せいぜい、岡山県のアピールポイントが減るとか、駄菓子のきびだんごがこの世から消滅するとか、そんなところ。
でも、どこかで必ず記憶から『桃太郎』が抜け落ちたことによる綻びは必ずやってくる。一人一人にとっては小さな変化かもしれないけれどそれが集まれば、世界を動かす大きなうねりとなるかもしれない。
そうならないために、異世界へ渡って物語を取り戻す人たちのことを物語蒐集家と呼ぶ。
これは、ひょんなことから、ごく普通の高校生書綴栞が物語蒐集家へ選ばれて物語を取り戻すために戦う物語。
――コレクテイル 第一話『物語流失』――
私の名前は書綴栞。桜三高校の二年生である。背丈は百六十五センチで女子高生の中では高い方だ。体重はぼちぼち、その慎重にしては頑張っている方とだけ言っておく。体型もボンキュッボンなんてわけもなく、平均的って感じ。
どこにでもいるような見た目の私だけど、一つだけ他の人に自慢できるものを持ってる。
それは髪の毛である。
母親譲りの私の黒髪は、この世のどんな黒よりも黒く、まるで夜のよう。それでいて手触りは手に乗せるだけで自然と手からすり抜けるようにサラサラして織物のようである。
中学生までは、腰のあたりまで伸ばしていたが、高校に入って手入れが面倒になってきたので、肩より少し長いくらいの長さで落ち着いていた。
「あぁ~……今日も栞の髪は綺麗だねぇ~……」
「はい、今日の分はおしまい。次の合講行くよ」
「えぇ~?」
私の髪を愛でていたのは、齊藤早紀。私の高校に入ってからの付き合いの友達だ。赤毛がかった地毛に対して、私の黒髪が羨ましいらしく、ことあるごとに私の髪を触ってくる。平安貴族みたいな奴である。
次の授業は古典だが、教員数と時間割の都合上大きな教室で複数クラス合同で授業をやるので教室から移動しなければならないのだ。
私と早紀は素早く教科書等を持って、教室を出た。
同じく合同教室に向かう人の群れに従いながら廊下を進んでいく。
私の学校は校舎がHの形をしていて、縦長の二つの棟を真ん中の通路で繋いでいる方式になっていた。そして片側の棟に教室が固められている。学年ごとに主に使う階層が決まっており、校舎は全四階建て。
一階には教室がなく、二階から三年生、二年生、一年生と学年が下ほど上の階層の教室を使うことになっている。そして一年生はエレベーター使用禁止という謎の校則が定められており、毎日階段で校舎の登り降りを強いられている。
もう一つの棟に理科室や音楽室などの特別教室が置かれている構造になっている。
棟と棟を結ぶ真ん中の通路は吹き抜けになっており、さらに壁一面に巨大なステンドグラスがあり太陽の光を透かして校舎の中を彩っている。
真ん中の通路を渡りきり、もう一つの棟の境界線に足をかけた瞬間、それは訪れた。
「昨日のZで流れてきたんだけどさ──」
「うん──?」
いつまで待っても、早紀が昨日Zでみた内容の続きを喋ってくれない。不思議に思っていると、早紀の声だけでなく、休み時間特有の喧騒が耳に入ってこないことに気がついた。
世界の音が遠のいている。
そう認識した瞬間、次に私に訪れたのは激しい頭痛だ。
「ぐ、うぁ……ッ!?」
「ちょ、栞っ? 大丈夫!?」
教科書を持っていられず派手に床にばら撒いた。その音に反応して早紀が振り向いて詰め寄ってきた。
しかし今の私に早紀の言葉は届かない。耳鳴りのような嫌な高音にかき消されて彼女の言葉がわからない。血相を変えて私に駆け寄ってくれてきてくれているのは分かるが、それまでだ。
まさに割れるような痛みに耐えることで精一杯。うずくまって頭を抑えて何もすることができない。
「いたいいたいいたいいたいっ」
あまりの痛さから逃避するために他のことを考えようとしても、痛みによってすぐに思考を引き戻される。
ここまでくると騒ぎに気づいた他の生徒たちが集まってきている。そして、誰かが近くにいた先生を呼んだらしく、すぐに先生が駆け寄ってきた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「小松先生っ、栞が突然頭が痛いって!」
生徒に連れられて来たのは小松先生。三年生の授業を主に担当してるため、直接指導を受けたことはないけれど全校集会などで発言していたこともあったため記憶にあった。
歳は三十代前半といった様子で、肩まで切りそろえた髪に眼鏡、さらに必ずスーツを着ているということで見た目からしてお堅いタイプの先生だ。
「…………。──栞さん、大丈夫? 先生の言葉、聞こえる?」
「う“ぅううッ!!」
先生が何か言っているが内容を理解することを頭が拒否していた。正直今は何も考えたくはない。
「栞さん、保健室に行きましょう。大丈夫だから、ね?」
「小松先生! 栞は平気なの!?」
「大丈夫すぐに良くなるから、貴女は次の授業に行きなさい。次の授業は……古典ね? なら伊藤先生に栞さんが体調不良で保健室に行ったと伝えてもらえるかしら」
「で、でも……」
「貴女まで休んでしまったら、彼女が授業のノートを取れなくなってしまうでしょう? 貴女が代わりにノートを取ってあげて」
「わ、わかりました」
小松先生に諭された早紀は何度も心配そうに振り向きながら渋々といった様子で合同講義室に向かって行った。
先生という大人が付いて、一番仲の良さそうな生徒が離れたことで事態の収束の気配を感じ取った周りの生徒たちも思い出したかのように、少しづつ野次馬から抜け出していく。
そして小松先生は、私の体を半ば強制的に立ち上がらせて抱えながら歩き出した。おそらく保健室に向かっているのだろう。
しかしこの時の私は、頭の痛みに耐えることに精一杯で、小松先生が歩き出した方向が保健室とは反対であること、養護教諭でもない小松先生が私の状態を見ただけで平気と判断したこと。
そして何より階が違うのにいち早く私の元に駆けつけられたこと
考えれば考えるだけ不自然な点があったのに、この時の私は頭痛に耐えることに精一杯で気づくことが出来なかった。
常に思考が痛みによって独占されてる中、少しでも早く保健室のベッドに横になりたい。それだけを願って歩かされている。
どれくらい歩いただろうか。体感ではとっくに保健室に着いてもおかしくないほどに歩いた気がするが、一向に保健室に着かないために私は困惑していた。
少しだけ痛みが和らいで周りをみると、いつの間にかまるで人気のない場所まで連れてこられていることに気がついた。
遠くで生徒たちが休み時間を謳歌している声がきこえてくるほどに離れている。
「あの……保健室は……」
「……」
背筋をゾっとするような嫌な気配を感じ取った。今すぐこの場から離れろ、と全細胞が叫んでいる、そんな予感。
「あの……先生?」
今、先生の顔を見てはいけない。本能がそう訴えかけている気がするが、つい顔がそちらに向いてしまう。
──ダメだ。顔を見るな、見るな見るな見るな見るなみるなみるなみるな──
「やっぱりそうなのね、書綴栞さん」
先生は真顔だった。だがそれは人間がする表情ではなかった。まるでマネキンのような無機質で、作り物のような感情の籠っていない石のような表情。
目が、白目の部分が全て黒に染まっている。
「コレクテイルされる前に貴女を排除する必要があるわ」
「な、にを……」
何を言っているのかわからない。わからないけれど……おもむろに小松先生がとりだした黒い物体。
先端が金色に光っていて、どうやら万年筆のようだった。なぜこの状況で万年筆を取り出したのか。その理由はわからないけれど、確実に言えるのは、間違いなく私にとって不利益なことが起きるということ。
ジリジリと私に近づいてくる先生のペン先が私の視界を埋め尽くそうとしている。だけど私は痛みによってまともに動くことができない。
なんとか体を動かして後ずさりをしてみたが、すぐに背中に壁が当たるのを感じた。
まるで異物を処理するかのような無機質な表情を浮かべた先生のペン先が放っている金色の光がやけに私の脳裏に焼きついた。
絶対絶命。
その言葉が脳裏に過ぎる。
呼吸が荒くなるのを感じて、思考が引き延ばされる。ゆっくりと近づいてくるペン先を見ながら私は、この状況を打開する方法を探していた。