3-15 転生執事の華麗なる分からせ~待って待って、事情を聞いて~
悪魔ミュリエルが召喚された時、主人はすでに亡くなっていた。叶えるべき主人の願いが分からない為、ミュリエルは途方にくれてしまう。
時は流れ、リーゼロッテ公爵令嬢が使用人達をいじめて一斉退職されていた。そんな悪名高い彼女の元へ仕えたい者はなく、かろうじてやってきたのはルーカスと名乗る美青年の執事だった。彼は今までの使用人たちとは違い、リーゼロッテの持つ強い魔力を恐れず、全く媚びない破天荒な態度を見せて、彼女を苛立たせる。
リーゼロッテが彼を怪しんで調べると、公爵家の館に探し物を見つけてやって来たらしかった。リーゼロッテは彼を追い出すために無理難題を押しつけて悪役ムーブをするが、華麗にかわされてしまう。
カマを掛けられたり、足を泣くまでくすぐられたり、変な子守歌を歌われたりしてしまうご令嬢(+悪魔)と執事(前世魔王)の大切なものを探す物語。
召喚された魔方陣の中で女悪魔ミュリエルが顔を上げると、月明かりでわずかに煌めくクリスタル・シャンデリアから、子供が力なくぶら下がっていた。
ミュリエルは「えー」と小さな落胆の声を上げて、床に転がった猫足の丸テーブルを脇へどける。魔法で小さな明かりを灯し子供の顔を照らすと、女の子だった。
ブロンズレッドの艶やかな髪、陶器の様にすべらかな肌、整った目鼻立ち。『お人形さんみたい』と呟きながら、小さな裸足のつま先に滴る体液を指で掬う。
ほんの少し温かいような。そうでないような。
「待って待って……ご主人様ったら、自分を生け贄にしちゃったの?」
召喚した主人の願いを叶えなければ、契約違反でいずれ灰になってしまう。
ミュリエルは小さな主人が冷たくなっていくのを、途方に暮れて見上げていた。
*
豪華なドレスを身に纏った可憐な少女の前で、関節の鳴る音が無骨に響いた。
リーゼロッテは公爵令嬢である自分の目前で、拳をもう片方の手で握り関節を鳴らす人間を初めて見た。
――――待って待って。これって「オラオラ今からお前を殴るぞ」という時の仕草よね?
怪訝そうに身を乗り出し目を細め、相手を用心深く見てみたが、握られた拳から再びバキッと太い音がしたので、そっと身を引く。
「始めましてお嬢様。私はルーカスと申します。使用人達をことごとく虐め倒して一斉退職させてしまったお嬢様の、新しい執事を務めさせて頂く事になりました。よろしくお願いいたします」
そう名乗って優雅なお辞儀をしたルーカスは、整った顔の背の高い男だった。
藍色の艶が光る黒髪をオールバックに整え、品のある燕尾服を着こなしている。涼しげな切れ長の瞳の中では、金色と薄紫が上下半分ずつ揺らめいていた。歳は二十代半ばくらいだろうか。
極上の美青年だが、それ以上に気になる事を尋ねた。
「……なぜ関節を鳴らしているの?」
「お嬢様は怒りの沸点が低……神経が高ぶりやすい、と伺っておりましたので、この音で神経をリラックスさせていただこうと思いまして……ほら、いかがです? 落ち着きます? もっとリズミカルにも鳴らせます」
「うん、今すぐ止めて? わざわざ挨拶に来てくれてありがとう。でも、明日から来なくていいから」
リーゼロッテはルーカスへ冷たい笑顔を向けて、シッシと片手を振って見せた。
「私、使用人を信用出来ないの」
リーゼロッテは10歳になるまで、この世界で誰もが持っているはずの魔力を持たずに生まれて来た。
それはこの世界で、血の色が赤じゃないくらい奇妙な事として嫌悪されていた。
両親は世間体の為に彼女の存在を隠蔽し、館はおろか、部屋から出る事も許してくれなかった。そして、普段上流階級に不満や嫉妬を持っている身分の低い者から、腹いせに虐げられた。
放任され閉じ込められた彼女は、使用人達の楽しい玩具だった。
彼女に人の身ではありえないほどの巨大な魔力が覚醒したと分かった時の、彼らの顔ときたら……皆、驚きに目を見開き、焦りや嫉妬で顔中を歪めた後、慌てて彼女を褒め称えた。
それで、伯爵令嬢の地位と悪魔的な魔力を手に入れたリーゼロッテは、彼らへニッコリ微笑みかけた後、どうしたと思う?
数年前の事を思い出して、リーゼロッテは「ふふっ」と不意に笑ってしまった。
すると、何を勘違いしたのかルーカスが「ふふっ」と便乗してきた。最高に癪に障って、リーゼロッテは縦ロールをプリプリさせて尖った声を上げる。
「いや、微笑みかけてないから! 私の言ってる意味分からなかった? クビって言ったの。出て行きなさい」
ルーカスはリーゼロッテの言葉に小首を傾げ、凛々しい眉をハの字にして見せた。
「残念ですが、私の処遇を決めるのは、私ですので」
「は? あんたの処遇を決めるのは、お父様でしょ!」
カッとなって言ってしまってから、ハッとする。
ルーカスが笑み崩れた。
「そうでした。よくご存じで。なんと聡明な。素晴らしい。すごい。えらい」
ルーカスは微笑みを崩さないまま、棒読みで適当な賛辞をのべて、うんざりする事を言った。
「公爵様は既に、私と3年間の雇用契約を交わしております」
「はん? なんでアンタなんかと」
「お答えしにくい質問ですが、ありていに言えば、他にお嬢様の使用人になりたい者が現れなかったからでございます」
「……なるほど」
ふふ、と、ルーカスが笑う。
「公爵様は私をクビにしない。代わりに、私も決して逃げ出さない、という契約です」
ルーカスは、靴音をコツコツと立ててリーゼロッテの目前に近づき、跪いた。そして彼女を見上げ、片眉だけ上げてニヤリと笑った。
「私の申し上げている意味、お分かりですか?」
*
天井に吊されたシャンデリアの煌めきの下、リーゼロッテはイライラしていた。
「なんなの、アイツ!?」
あの後、跪いているルーカスを蹴飛ばそうとしたら、いとも容易く足首を掴まれた。そして抵抗する間もなく靴を脱がされて、泣くまで足をくすぐられてしまった。
今思い返しても屈辱だし、ゾワゾワする。
「私の魔力を恐れないなんて、何者なのかしら?」
リーゼロッテは魔法を使って、ルーカスの魔力の気配を探してみた。
彼は地下室にいた。
用心深く魔力を操り、遠隔視で地下室内を覗き込む。
薄暗い部屋の中は、紅蓮のドレープカーテンが壁全体に垂らされて、重厚な雰囲気だ。それに負けない立派な黒いソファーの上で、ルーカスがお茶を飲んでいた。
燭台の灯りに怪しげに照らされたルーカスは、うっすらと微笑んでいる。
「執事の醸し出す雰囲気じゃないでしょ。怪しいの極み。あ、誰か入って来た」
部屋に入って来たのは、肌の露出度が高い銀髪の美女だ。
(え、えっちな女を連れ込んでる!)
美女はソファに座るルーカスの足下へ、優雅に跪いた。
リーゼロッテはゴクリと喉を鳴らし、えっちぃ展開を心配しながら見守った。
『ルーカス様、明日の準備が整いました』
『ありがとうリリス。一緒にお茶をいかがです?』
『ふふ、ご機嫌ですね。貴方が転生された時は、どうなる事かと思いましたが……無事見つかってよかったですね』
『ええ。人間に転生した甲斐がありました。しかし障害があるようで、無事に見つかったとは言えない状況です』
『……リーゼロッテ様ですね』
名前が出てきて、リーゼロッテは一気に緊張した。
(障害? それに転生って、なに?)
『そうです。あのお嬢様には少々――――おや?』
ルーカスの言葉が途切れた。
(待って待って『あのお嬢様には少々』の続き何!?)
リーゼロッテが耳を澄まそうとしたその時、背後から「お嬢様」とルーカスの声が聞こえて飛び上がった。
驚いて振り返ると、誰もいない。
しかし、声は確実にリーゼロッテに話しかけて来ていた。その証拠に、遠隔視で見ているルーカスと目が合う。
『こんばんはお嬢様。覗きが趣味なのですか?』
(うそ!? 私の魔法を見破るなんて!!)
ギョッとするリーゼロッテの視線を捕らえながら、ルーカスは高揚した声を上げた。
『偉大なる魔法使い顔負けのお嬢様、何かご用でしょうか? 寝付きが悪いようでしたら、遠隔子守歌を歌ってさしあげましょう。ん・んー……お~れ~の生まれた田舎では~、嫁は奴隷だヤッホッホ~♪』
「うるさい! それより、あなた何か企んでいるでしょう!?」
奇怪な歌を遮ってリーゼロッテが詰め寄ると、ルーカスは爽やかに微笑んだ。
『もちろんです。明日からお嬢様にご満足いただけるよう、様々な事を企んでおりますので、どうぞお楽しみに』
「あ!」
遠隔視を強制的に断ち切られてしまい、その後は手も足も出なかった。
*
リーゼロッテは完全にルーカスを敵認定し息巻いていた。
「リーゼロッテが障害と言っていた。何かを見つけたのは、この館の財産や家宝かしら?」
リーゼロッテは部屋をうろつき、窓際にある猫足の丸テーブルの上に目を留める。そこにはいつも、日記帳が置かれている。
ふぅ、と、リーゼロッテの唇からため息が漏れた。
「大丈夫よ、リーゼロッテ」
優しく日記に話しかけながら最初のページをめくると、そこには幼い文字が悲しげに並んでいる。
『わたしは、まりょくないです、みんなわたしをきらいです。だから、なまえをよばれません』
日記に記されていたのは、使用人達の悪魔の様な所業と、幼い少女の寂しさだった。
「可哀相なリーゼロッテ……」
初めてこの日記を見つけた夜と同じ気持ちで、胸いっぱいに日記を抱きしめる。
「あなたを虐めるやつ、ぜーんぶ追い出したわ。両親の関心と、お腹いっぱいの食事と、駆け回れるお庭もあなたのものになったよ。……なのに」
彼女はそう言って姿見の前に立つ。鏡に映るのは、ブロンズレッドの髪の可憐な少女だ。陶器の様な肌に、整った目鼻立ち。16歳のリーゼロッテ公爵令嬢。
「……分からない。何が望みなの、ご主人様」
女悪魔のミュリエルが使命不明の召喚をされてしまった夜から、六年の月日が経っていた。
一体どうしたらいいのか、未だに分からない。
「でも今はとにかく、リーゼロッテを守らなくっちゃ」
リーゼロッテ――いや、ミュリエルはそう決心し、あの怪しい執事をどうやって館から追い出してやろうかと、一晩中考えていた。
その時はまだ、彼女は思いも寄らなかった。
わりと大掛かりな寝起きドッキリが、早朝の自分に用意されている事を。