3-14 もしも僕が探偵なら、きっと君を救えなかった。
それでも――僕がやったんだ。
うん。さすがだよ、彌生。
確かに君が集めてきた証拠は完璧だ。客観的に見て、僕が犯人である可能性は低いだろう。
でも君は真犯人を見つけてこなかった。悪魔の証明なんてチープなことを言うつもりはないけれど、僕を犯人から外す唯一の方法は、真犯人を連れてくること以外になかったように思うよ。
聞えるだろ、民衆の声が。
みんな、あの事件の犯人を早く裁きたくて仕方がないんだ。
一人の無垢な女子生徒の命が白昼堂々奪われた、通称「リバティ・ロード殺人事件」の犯人をね。
大事なのは真実じゃない、納得なんだ。政府が、法的機関が、あの事件の犯人に正義の鉄槌を下す。それだけが大切なんだよ。
だからさ、もういいじゃないか。僕の答えは変わらない。
なにを君に言われても、何度君に詰問されても、どれだけ君が完璧な推理をしようとも、それでも僕は――
「僕はやってない!」
早朝、僕こと阿波椰瞬平の叫び声が住宅街にこだました。
「やってないと言われてもねぇ……」
お兄さんが、眉をひそめて僕を見下ろす。
「頭にブラジャー、手にパンティ、毛布よろしくランジェリーを被った状態で言っても説得力ないよ。下着泥棒くん?」
仰る通りだ。
おまけに僕の傍らには、女性用下着が入ったボストンバッグがある。ここ数か月、近隣では下着泥棒による被害が相次いでいるのだが――現場だけ見れば、その犯人と疑われても仕方のない状況だ。
だけど、違うのだ。
僕は学校に行こうとして、道端に落ちているカバンを見つけたところで濡れた地面で滑ってカバンに激突。入っていた下着が降ってきたところを、通り掛かりのお兄さんに見つかっただけなのだ。
「違うんです。これには深いわけがあるんです!」
「深いわけ?」
「はい! 実は僕」
ここを間違えるわけにはいかない。僕は目に力を込めて、お兄さんのことをしっかり見つめて、腹の底から声を出した。
「そういう体質なんです!」
「下着を盗まずにはいられない変態ってこと?」
間違った! 完全に言い方間違えた!
「うん、とりあえず俺と一緒に警察に行こうか。話はそこで聞いてもらおうよ。いいですよね、お姉さん」
「いいんですか? 通りがかっただけのあなたにお任せしても……」
「構いませんよ。証拠としてこれは持って行きますが……よろしいですか?」
下着の持ち主――もとい被害者のお姉さんは顔を赤らめながら頷いた。
「それじゃぁ行こうか下着泥棒くん。道中逃げようなんて思わないように」
まずい、本当にまずい!
助けを求めて辺りを見渡すけれど、野次馬たちは既に興味を失くして散らばり始めていた。まずい、まずいまずいまずい! このままじゃ――
「待って! …………です……ます……ください?」
野次馬の中から一人、歩み出た。
艶やかな黒髪に滑らかな肌、周りの風景をすべて凡庸にしてしまうような、際立って美しい顔の持ち主――古都成彌生は
「彼は犯人じゃない………ます……で、す?」
相も変わらずド下手な敬語で言った。
周囲の目が一斉に彌生に向く。
「もしかしてあの子、女子高生探偵の古都成彌生じゃない?」
そう。僕の幼馴染、古都成彌生は、わけあって名探偵なのである。
彌生はお兄さんの前に立ち、静かな声で告げた。
「今から瞬平くんが犯人じゃないことを証明する…………です? ……ます?」
できればここは大事なところだから、語尾に?を付けるのはやめて欲しい。
「面白い。聞かせてもらおうか」
「証明する方法は……とても簡単。だって」
「あなたが犯人だから……です……で、す?」
敬語は合ってるよ。自信もって。
「俺が犯人? はは! いったい何を根拠に!」
「根拠は……あまり必要ない。だって……一つ質問すれば、あなたが犯人であることは分かるから」
「……面白い。言ってみろ!」
「あなたはどうして、警察を呼ばなかったの?」
「――っ!」
「普通はこういう時……自分たちは動かず、警察に来てもらうはず。だけどあなたはそうしなかった。なぜ?」
「それは――」
「早くバッグを取り返したかったからでしょ?」
彌生の指が地面をさした。
「この道はスプリンクラーで濡れてるけど……一か所だけ濡れてない箇所がある。バッグと同じくらいの大きさ。つまり、何故か犯人はバッグを置いて一度この場を離れていることになる。警察が巡回してたから隠れたとか、急にお腹を壊したとか、理由はいくらでも考えられるけど……そこはあまり、重要じゃない。状況から推察するに、犯人は瞬平くんからバッグを取り返したかったはず。だとすれば警察を呼ばず、バッグを持っていこうとしたあなたが最も疑わしい」
「う、うぅう……」
「野次馬の目さえなくなればバッグを取り返すのは簡単。瞬平くんのことは『君は未来のある若者だから』とでも言って解放すればいい。違う?」
「ぐぅうううう……!」
「もし違うというのなら、指紋を取らせて欲しい。下着はともかく、このくたびれたボストンバッグのどこかからあなたの指紋が出れば――」
「うわぁああああああ!!」
彌生がすべてを言い終わる前に、お兄さんはその場から逃げ出した。
呆気にとられるほどの早さだった。
「いいのか? 追わなくて」
「大丈夫……知り合いの警察に見張らせてるから。すぐ捕まると思う」
ほどなくして、遠くの方からお兄さんの叫び声が聞こえてきた。どうやら無事に捕まったようだ。
「ふぅ……今回も助かったよ、彌生」
「相変わらずの冤罪体質だね……瞬平くん」
僕は差し出された彌生の手を取って立ち上がった。
冤罪体質。
あらゆる事件に巻き込まれ、あらゆる事件の犯人として疑われる体質。
嘘みたいな話だが、僕は昔から様々な事件の犯人と間違われ――その度に、彌生の推理で助けられてきた。
僕が冤罪をかけられる度に事件を解決してきた彌生は、自然とその名が世に広がり、今では美人女子高生探偵として雑誌に取り上げられるまでになった。
僕がこうして高校生活を送れているのは、間違いなく彌生のお陰だ。
だけど――たまに不思議に思うことがある。
「なぁ彌生」
「なに?」
「どうして僕のこと、疑わないでいられるんだ?」
「変な質問」
彌生は小さく、鈴を転がすように笑った。
「だって信じてるから。瞬平くんのこと」
「信じてるって……それ理由になってるか?」
「なってる」
続けて言う。
「安心して。これまでも、これからも……ずっと。私が瞬平くんの冤罪を晴らしてあげるから」
突然言われたその言葉は、なんだかとても嬉しくて……同時に少し、照れくさかった。
「なんだよそれ、プロポーズみたいな言葉だな」
だから僕はそんな軽口を叩いたのだけれど、
「……そう、かも」
「え」
「……先、行くね」
彌生は顔を真っ赤にして、学校へと走り去ってしまった。
残された僕はただその場に立ち尽くし
「マジかよ……」
そう呟くしかなかった。
生まれ持った冤罪体質。だけど、僕には幸運なことに名探偵の幼馴染がいて、彼女は僕のことを、助けてくれて。
だからこれからも彼女のお世話になりながら生きて行くのだろうと、そんなことを――考えていた。
『美人女子高生探偵、殺人の容疑で逮捕!』
『被害者は女子生徒』『白昼堂々行われた殺人! 五十人を超える目撃者!』『美人探偵、殺人鬼としての顔に迫る!』
「……は?」
翌日。
クラスに行くと、同級生たちがざわついていた。
「おい、瞬平! これほんとかよ!」
僕を見つけるなり、同級生たちが近づいて来て、言う。
「古都成さん、殺人の容疑で逮捕されたって!」「現行犯逮捕らしいじゃん!」「お前近くにいなかったの?」
なんだよこれ。
「読んだか、この記事!」「こっちの記事も見ろって!」「こっちも!」「こっちも!」
『彼女は本当に探偵?』『誰かに濡れ衣を着せていた可能性』『その場合彼女が殺した人数は百人を超えることに』
なんだよ、これ。
「そういえば逮捕時の動画上がってたわ! これ見ようぜ!」「再生! 再生!」
『犯人が警察に連行されています! もうすぐです! 来ました!』
カメラが女性に近づく。
フードを目深にかぶっており、顔はほとんど見えない。
一瞬、彼女の顔がこちらを向いた。
突然カメラを掴み、自分の口元に持っていく。
そして
『約束守れなくて、ごめん』
それだけ言い残し、去っていった。
カメラの持ち主は興奮した声で何かをまくしたてている。どういう意味ですか! 誰に対しての言葉ですか! もう少し話を――
「お゛ぇえええっ……!」
「お、おい瞬平、大丈夫か!」
返事もせずに、教室から出る。
なんだよこれ。
なんだよこれ。
なんだよこれ。
なんだよこれ。
「なんなんだよ、これはっ!」
叫ぶ。
彌生が殺人事件の犯人? 誰かを殺した? これまでの事件もすべて彌生が犯人だった?
そんなこと――そんなことっ!
「あり得ねぇだろっ!」
少し考えたら分かるだろ! 彌生は殺人なんてしない! できるわけない!
彌生は――
『約束守れなくて、ごめん』
あんなに、優しい奴なんだからっ――!
「……誰かにハメられたんだ」
だけど、誰が? なんのために?
「考えてる暇はない……」
彌生に聞いたことがある。
逮捕後は最大二十三日間、留置場や拘置所で留置される時間があると。
「今日から二十三日……それまでに彌生が無実の証拠を見つけ出す」
口に出すのは簡単だ。だけど……僕にできるだろうか。
僕は彌生のように推理はできない。明晰な頭脳も、飛びぬけた才能もない。
人と違う部分と言えば――
「あ――」
トイレの鏡映った自分を見た。
冤罪体質の僕がいた。
あらゆる事件に巻き込まれ、あらゆる事件の犯人として疑われる体質。
もし僕が、彌生の代わりに犯人になることができたとすれば?
彼女の代わりに、罪を被ることができたとすれば?
「彌生を、救える」
そうだ、これしかない。
何の取り得もない僕が、限られた時間で彼女を救う方法は、これしか。
「古都成彌生」
鏡に映った自分を指でなぞる。
彼女のために産まれてきた自分が、そこにいた。
「君の罪は、僕がもらう」
古都成彌生、起訴まで残り二十三日。