3-11 千年魔女と新米聖女
千年の時を生きたと伝説に謳われた魔女イセリナの塔に、任命されたばかりの聖女ユメリアが討伐のために訪れた。
最初は勘違いによりイセリナを悪人と思い込み敵視していたユメリアであったが、何度も塔を訪れていく内に親交を深めていく。
ユメリアが持ち込む塔の外の数々の事件を二人で解決していくのだが、次第にユメリアはイセリナが何故千年間塔の外に出ないのか、何故魔女と呼ばれるのかに気付いていく。
魔女と聖女に訪れる運命とは?
アゼル村を出て一時間程歩き続けたユメリアの前に、巨大な塔が建っていた。伝説によれば塔は百階建てで強力な魔獣が住み着いている。
恐ろしいのは邪悪な魔物だけではない。塔の主人である「千年魔女イセリナ」は、千年の時を生きた強力な魔術の使い手なのだ。具体的なイセリナの戦いについては記録が残っていないが、人の寿命を遥かに超えて生き続けているという事自体が恐るべき魔力を秘めている証左である。一年前に討伐された「血の魔王」とて伝説が確かなら三百歳だ。世界を崩壊直前まで追い詰めた魔王を凌駕するなど想像を絶している。
恐ろしい相手である。生まれつき聖痕を宿し幼少から修行を積んでいたユメリアであるが、聖女として認められたのはつい最近の事だ。戦いには自信がある方だが、千年を生きた魔女にどれだけ通用するだろう。
それでも聖女としての使命感に燃えるユメリアは、邪悪なる塔に挑むのであった。
「千年魔女イセリナ! この、聖女ユメリアが成敗しにきました。覚悟なさい……あら?」
堂々と塔に入るなり口上を述べたユメリアだったが、一階のエントランスはがらんとしており、迎える者は誰もいない。配下の魔物くらい待ち構えているだろうと覚悟していたユメリアは、拍子抜けしてしまう。
「どなたかいませんか〜?」
古びた分厚い樫の木で出来た入り口の扉を閉めながら、どことなく不安そうな面持ちでユメリアは声をあげた。
魔女が留守だったり、寿命には勝てず老衰で果てていたりしたならば実に間抜けな光景である。
「あらあら、可愛らしいお客さんね。それに、森の外からくるなんて珍しいこと」
急に声が降ってきた。
叫んでいるような声色ではなく、近くの人間に話すような雰囲気だ。だが、近くには誰もいない。魔術で声を離れた場所から跳ばしているのだろう。
「私に用があるのなら、そこの階段から最上階まで登って来ることね。登って来れたら……の話ですが」
そう告げると魔女の声は聞こえなくなった。
辺りを見回すと、壁に沿って階段が上まで延びている。一階には魔物の姿は見えないが、魔女のいる最上階に辿り着くまで数多くの守護者が待ち構えているだろう。
だがユメリアは怯むことなど微塵も無い。聖女に任命された時に授かった聖女の鎧は魔を滅ぼし民を守るために存在するのだ。聖女の鎧を身に纏って赴いた以上後退の二文字などあり得ない。
儀式で清められた聖棍を片手に、ユメリアは階段を一歩づつ歩み始めた。
***
ユメリアが魔女の塔に到着してから数時間が過ぎた。
ユメリアは内心後悔していた。別に強力な魔物によって深手を負ったわけではない。卑劣なトラップに引っかかってしまったわけでもない。
「きゅ、きゅうじゅうはちかい……」
律儀に階をカウントするその声は、疲労に満ちていた。その顔に目を転じてみると、兜の中に見えるその端正な顔は、滝の様に流れる汗でぐしゃぐしゃになっていた。塔に入ってきた時は決意に満ち溢れていた瞳も、もはや虚ろで焦点が合っていない。
「きゅうじゅうきゅうかい……」
生気を感じさせないユメリアであったが、それでも着実に歩みを進めていく。
闘志に満ち溢れていたユメリアに、一体何があったのであろうか?
答えは簡単である。完全武装で数時間階段を上り続けて疲れ果てているのだ。
懸念していた魔物の襲撃はなかったが休憩をする余裕などありはしない。ぶっ続けで歩き続けるしかなかったのだ。悪い事に聖女の鎧は神の加護によって極めて高い防護力を誇っているのだが、軽量化の魔法はかけられていなかった。ユメリアは自分より重い装備を纏いながら最上階まで辿り着いたのだ。よく頑張ったと褒めてやっても良いくらいである。
「さぃじょぉかい……」
最上階に辿り着いたユメリアは、到着するなり床に突っ伏した。もはやなぜ自分がここまで来たのか、そんな事は頭から消え去っている。
霞む視界に何かが入ってきた。
薄れゆく意識でもそれははっきりと視認できる。
水の入ったゴブレットだ。ユメリアは最後の力を振り絞ってゴブレットを手に取り、一気にあおった。
水には林檎の果汁が入っていた様で、うっすらとした甘味と酸味が乾いて萎んでいた舌を刺激する。喉を潤して胃に到達した水分は、乾いた砂に注ぎ込まれる様にユメリアの体内に吸収されていった。
生き返った。
月並みな表現ではあるが、これ以上にユメリアの実感を表す言葉もないだろう。
水分を得て蘇った目に、一人の女性の姿が飛び込んでくる。
先ず印象的なのは髪の毛だった。腰まで届く銀髪は艶やかで、部屋を煌々と照らす燭台の明かりを反射して煌いている。
次に目がいくのは目元であろう。切れ長の目の奥には深紅の瞳がのぞき、ユメリアの事を興味深げに見ている。
そして口元には、上品な笑みがこぼれていた。
「あなたは天使か……」
そんな言葉が思わず口をついて出た。
「え? 魔女なんですけど」
「しまった罠ね!」
水分を得て体力を取り戻したユメリアは、重い鎧を纏っているとは思えない身軽さで飛び起き、魔女との間合いをとった。
「疲れたところに手を差し伸べて油断させようったってそうはいきませんよ。成敗します!」
「えっと、成敗ってどうして?」
「決まっています。人々を苦しめる魔女を懲らしめるためです。大人しく反省するなら、命まではとりませんよ」
命まではとらないと言っているユメリアの手には、可憐な容姿には似合わない聖棍が握られている。殺傷力を高めるために鋭利な意匠をしており、これが頭部に振り下ろされれば間違いなく頭蓋骨を粉砕するだろう。大聖堂で聖別された武器であるが命を刈り取る形をしている。
神聖という言葉の意味を、今一度問い直してみたくなる物体だ。
聖棍をユメリアに突きつけられた魔女イセリナは、困惑の表情を浮かべた。
「何かしたかしら。私は千年この塔で暮らしるけど、二百年前に近くに村が出来るまで近くには誰も住んでなかったはずよ」
「黙りなさい。ならばそのアゼル村に脅威を与えているのでしょう。伝説に謳われる千年魔女が、何もしていないなんてありえません」
「伝説に謳われているって、一体どんな事が書かれているの? 全く身に覚えがないけど、どんな尾鰭がついているのか逆に興味があるわ」
「……特に悪事に関する記述は残ってません」
魔女イセリナに関しては、数多くの書物でその存在が示唆されているが、存在がぼんやりと記述されているだけで、どんな行いをしているのかはどこにも書かれていない。ただ、その存在に言及している史書が多いので有名なだけだ。
魔女として知れ渡っているので、何となく魔女イセリナはものすごく悪い奴なんだろうと誰もが思ってはいる。
確かな事だけでイセリナを評価してみると、単なる長寿世界一のおばあさんに過ぎない。
その事に今更気付いたユメリアは、歩き続けて火照っていた体が急速に冷えていくのを感じた。
「アゼル村は二百年前に流れ着いた人達が開拓して出来たんですが、そこの子ども達に読み書きを教えたり、薬を分けて上げたりして仲良くやってるつもりだったんですけど、何か聞いて来なかったんですか?」
「聞きましたけど……」
ユメリアは塔に来る前にアゼル村に立ち寄っていた。そもそも千年魔女の塔が見つかった経緯は、魔王討伐後に進んだ森の探索によりアゼル村が発見された事を契機としている。だからユメリアはアゼル村に情報収集で立ち寄っている。
ただ、村に立ち寄った時にユメリアは、「魔女の塔は何処か」と村長に尋ね、「あっちの方です」と聞いて即座に突撃したのである。魔女がどの様な悪事を働いていたのかは聞いていない。そもそも、修道院で魔女の塔が発見されたという話を聞いた後、誰にも相談する事なく即座に旅立ったのだ。村人が困っているとかの話も一切聞いていない。
部屋をよく見てみると、幼い子どもが描いたと思しきユメリアの似顔絵が何枚も貼ってある。
「ごめんなさい! 勘違いしてました!」
「あ、あらそう。それならいいけど」
潔く謝罪をするユメリアに、その土下座せんばかりの勢いに圧倒されたのかイセリナは即座にそれを受け入れた。
「それにしても、そんな重そうな鎧を着てよくここまで登って来たわね。疲れて諦めると思っていたわ」
「はは、登って来れたらって、そのままの意味だったんですね」
一階でイセリナが警告したのは、数時間もかけて塔を登って来るのは大変だよという意味だったのだ。
「でも大変ですね。こんなに高い所に住んでいると、昇り降りが大変じゃありませんか?」
「ああその事? 実はそこに魔法で上下するエレベーターが……あっまだ……」
立体的な移動を可能にするエレベーターは動く廊下などと並んで有名な魔法技術である。大貴族に生まれたユメリアの実家の城にも備え付けられていた。
慣れ親しんでいたため、イセリナが示したエレベーターの床に何の警戒心も無く足を踏み入れてしまう。イセリナが止める間も無い一瞬の事であった。
「ひゃ……」
ユメリアの姿が一瞬でイセリナの前から掻き消えた。消えたというか、落下したのである。
百階の高さほど。
「修理中だって言おうとしたのに……」
ユメリアはエレベーターが下りた穴を覗き魔術で視力を強化した。遥か下でユメリアが倒れているのが見えた。
「あら、生きてる。丈夫な子ね」
恐るべき事にユメリアはすぐにむくりと起き上がり、這う這うの体で塔の外に出て行った。大したダメージを受けている様には見えない。
「ふふ、面白い子ね。またいらっしゃいな」
イセリナはそう笑うと、ユメリアの飲み残しを口にした。