3-10 没落令嬢ははじまりのダンジョン地下百一階の家に住む
魔法国家ヘルムバード国の貴族の令嬢ロゼ=エーデルバイスは、魔法や家の跡継ぎは兄に任せれば良いと思い、己の武の力を高める為に、今日も山のヌシとの鍛錬に励んでいた。
だが、鍛錬を終わらせ屋敷に戻ろうとした彼女は、自分の屋敷に戻る事ができなくなってしまう。お父様のお優しさならいつかこうなるとは思っていたがまさか今日とは。
なってしまったものは仕方ないと彼女は令嬢から冒険者になる事を決意。街のギルドで最初の依頼を受ける。
ーそれが彼女の人生を変えることとも知らず。
山の中腹、開けた草原の中で、青髪の少女と彼女よりも数倍は大きい猪が対峙していた。猪の鼻息は荒く、少女の額には汗が滲む。やがて彼女を吹き飛ばさんかばかりに猪が突進してくる。
それをギリギリで交わし、腰の鞘から細剣を抜く。猪の方もその隙を逃さず再度突進してきた。
「痛くしちゃったら、ゴメンね!」
細剣を構えた彼女の声は、何故か優しい。だが、その一撃は確実に猪の額を刺し貫いた。
「今日もいい鍛錬になったわ! ウリボア、ありがと」
「ぶも、ぶも!」
先程の互いに殺気立った雰囲気から一転、彼女はウリボアと呼ばれた猪の額を撫で、治癒魔法をかけた。彼女の名前はロゼ=エーデルバイス。魔法国家ヘルムバード国の貴族の令嬢である。
彼女は優しい父親と、男勝りだった母親、王都の魔法大学に進学した兄の四人家族の長女だった。跡継ぎは父親もまだ若く、彼女は屋敷の裏手にあった山で子供の頃からのびのびと暮らしていた。
この猪との出会いは五年前。屋敷の裏手で大怪我を負っていたのを、ロゼが手当てした事がきっかけである。兄や当時存命だった母親は、手負いの獣は危険だとトドメを刺す事を勧めたが、父親だけは笑顔でもし危険が及ぶなら俺がなんとかしようと、ロゼのやりたいようにすることを勧めた。
結果、猪の怪我はほぼ完治し、恩義か懐いたか今に至る。山のヌシとなるくらい強くなったウリボアは、彼女の良き鍛錬相手であった。
ぶももと上機嫌な鼻息を鳴らしながら自分の巣へと戻っていくウリボアの姿を見て、ロゼもまた自分の屋敷へと戻ろうとした時、屋敷の方が騒がしい事に気付く。
「何が起きたの? お父様は?」
自分が住んでいた屋敷の門に、沢山の馬車が止めてある。そして、屋敷の中へ沢山の人間が入っていく姿も見受けられた。恐らくは、私物もそのまま処分されてしまうだろう。だからといって、今ここで反論をしようとしても、事態が好転する気配も無さそうであった。彼女は屋敷の敷地から一刻も早く出る事にする。取り返したりするのを考えるのは後だ。幸い、いくばくかの路銀も入った道具袋、護身の為の装備は鍛錬帰りだったので持っていた。
「おひと良しにも限度と言うものがございましてよ、お父様……」
なってしまったものは仕方が無い、そう思考を切り替える事にした彼女は、道具袋の中にいつも忍ばせていた羊皮紙のメモを取り出す。『わたしだけのらいふぷらん』と書かれたそれには、困った時にはどうするかという事柄がいくつも書かれていた。
「まず、家族の無事を願う……これはお母様以外は心配ないわね。このメモを書いた時はお母さま生きていたのよね」
母親の事を思い出し、涙するロゼ。強くなろうとした日々の始まりが母親の死だった。腰のベルトに付いている鞘に納まった二振りの細剣は、母から贈られた最後の誕生日の贈り物だった。涙を拭き他の項目を彼女は読む。
「冒険者ギルドを目指し、そこで当面の家と食を確保する。私ならできる! って随分と自信満々よね。えっと……ヘルムバード国の冒険者ギルドは王都ファセリア、樹齢二千年ともいわれる大樹の麓……あの樹ね」
街道沿いを街を目指しながら歩く。幸い、大きな目印があったので、本来の冒険と比べれば楽な道のりだと彼女は思った。魔物も生息はしていたが、ウリボアと比べれば遥かに弱いと思ったので、旅人を襲っていたり劣勢になっていたりという事態を除いて、無駄な殺生は控えた。野宿に関しては、山で鍛錬していた時に何回も行っていたので、全く問題はなかった。
旅路の途中、助けた相手から感謝の言葉があれど、食事以外の報酬を貰うのは、お金が欲しいからではないと優しく断った。食事だけは断らなかったのは、それが相手からの大きな感謝と信頼の証だと、父から教わっていたからだ。騙して来る事もあるだろうにと思いながらも、お父様らしいとロゼは思った。
そして月日にして十四日後、彼女は王都ファセリアへと到着した。王都の入口には門番の兵士がいる。そしてその時になって、身分を証明するものを屋敷へと置いたまま出発してしまった事に気付く。
だが、その問題はあっさりと片が付く。道中で助けた旅人の一人が、王都の商業ギルドの関係者だったのだ。門を抜けた後、ロゼは深々とお礼をし、冒険者ギルドへの道を人に訪ねながら歩いていく。そして、改めて見る大樹の大きさに驚いていると、中年の恰幅の良い男性が、ロゼに話かけてきた。
「お、旅人さんかい? 大きいだろう、立派だろう。この樹は世界樹ユグドラル……の枝木から育った樹だと言われているんだ」
「あ、はい。名前だけは……私の家からも見えましたので」
「それにしても、旅人さんの防具は随分と年季が入っているね。あれかい? 何か大きな冒険の帰りなのかい?」
「いえ……これから冒険者になりにいくところなのですわ」
「そうかい、深い事情は聞かないよ。じゃあ、良き冒険者生活を!」
「ありがとうございます」
冒険者ギルドの扉を開け、まずはカウンターと思われる場所へと彼女は進んでいく。受付嬢と思われる人が彼女に話しかけてくる。
「冒険者登録の旅人さんでしょうか?」
「はい。冒険者になる為に来ました!」
「わかりました、まずはこの紙にあなたのお名前を書いてください。文字を書くのが難しい場合は、口頭でも問題ありません」
冒険者登録の手続きを進めていくロゼ。最初に名前を聞かれた時に受付嬢が不思議がる表情をした事以外は、問題なく進んでいった。
「はい、冒険者仮登録完了です。お疲れ様でした! 本登録はこちら、最初の依頼を達成することで完了となります!」
「仮登録……?」
「はい。まずは国が管理している、はじまりのダンジョンへ仮登録の方は向かっていただく事になります。ダンジョンの地下三階にある石を取ってきていただき、それをギルドへ納品していただくと合格となります」
「わかりました」
「本日は近くの宿へお泊りください。冒険者ギルドの事をお伝えいただければ、今夜の宿代は無料となりますので」
ロゼはギルド近くにあった、『ラタトスクの糸』という名前の宿屋へ泊まることにした。宿代が安かったのもあるが、名前の響きがどこか気に入ったからだった。宿の食事は素朴なスープとパンだったが、屋根がある場所での食事は、旅の疲れを癒すのには充分だった。
次の日の朝、ロゼははじまりのダンジョンへ向かう。入口は大樹の中にあった。いざ、冒険者への第一歩を踏み出すと意気込んだ瞬間、ダンジョンの入口が突然閉じられファンファーレが鳴る。何かの罠かと困惑する彼女の足元に青い光が突然走り彼女を包み込む。そこで彼女の意識は途絶えた。
この光景を近くで見ていたり、聞いていたりしていた者は、百万人めおめでとうございます! という謎のアナウンスを聞いていたとか、なんとか。
ロゼが目を醒ますと、そこはダンジョンの中。それも周囲に漂う空気が途轍もなく重い。罠がある迷宮も存在すると父親から聞いてはいたが、このような悪質な罠もあるとはと不安を覚えた彼女へ、黒い身体に灰色の鬣、赤く光る眼をもった大きな魔物が迫ってくる。ドラゴンだ、それも物凄く強い。何がはじまりのダンジョンだ。終わりのダンジョンじゃないかと彼女は思ったが、じっと相手の方の出方を待つ。
「良くここまで来たな、人間の冒険者よ。さあ、ここまで来たその勇気と強さ、わたしに見せてみよ!」
「はぁ? ここまで連れてこられたんですけど? 強さは少しはあるかもしれないけど、力が伴わない勇気なんて蛮勇でしかないわよね?」
どうせ勝てないのならば、ドラゴン相手にだって啖呵をきってやりなさい!と、母親に言われていた事を思い出し、怖さの方が勝りながら彼女は強い口調で応える。さぁ、来るなら来い! と細剣を構える。だが、ドラゴンはそれ以上何もしてこなかったどころか、彼女と同じくらいの大きさに縮み、彼女へ平謝りしてきた。
「百万人めの冒険者とは知らず、怖がらせてしまって申し訳ない」
「百万人?」
「数百年の間、挑む者がおらず退屈していたわたしは、百万人めの冒険者へ願いを叶える誓いを立てていた。それがそなただ。さぁ願いを言え、叶えられるものならば叶えよう」
屋敷の事も考えたが彼女は住める場所が欲しいという事と、ドラゴンに私の執事になって欲しいという事のみを伝えた。執事? と聞き返すドラゴンに、令嬢と言えば執事でしょ! 今は元令嬢ですけども! とロゼはつい声を荒げてしまう。
そ、そうですなと答えたドラゴンは竜としての面影を残しながら燕尾服を着た二足歩行の姿へと変化する。
「ふむ、ドラゴンバトラーですな」
「セバスチャンみたい」
「セバスチャンとは?」
「執事といえばセバスチャンだとお父様が」
「ふむ、家はどうされますかな?」
「大きな家はいらないわ。私とあなたが休める場所があれば充分よ」
「仰せのままに、お嬢様」
「ロゼよ、セバスチャン、あとどうして尻尾を大きく振っているの?」
願いによって、ロゼの住む家は建てられた。見に行きましょうと言われ、転移する。
「家の中にどうしてこんなに転移する魔法陣があるの!」
「移動に便利かと思われるので」
「武器の修繕はこちらの研磨石をお使いください」
「あ、これは便利かも」
「外に出られる際はこちらの魔法陣を。戻られる際はリタウムとお唱えください」
「え、この家はダンジョンの外にあるのではなくて?」
「いえ、地下百一階ですがロゼお嬢様」
「どういうことぉぉ!!」
どう見ても山並みが遠くに見える、のどかな草原に、元令嬢の叫びが響いた。