依存体質
朗らかな陽気が差す川沿いを、私は大学時代からの友人と連れ立って歩いていた。
「今週は修羅場だったから、こんなのどかな休日を過ごしたらもう月曜には会社行けなくなっちゃうなぁ。」
一歩一歩を踏みしめるようにのんびりと歩く彼は、私たちの頭上を鮮やかに彩る桜並木を見上げながら呟いた。
わざわざ花見を計画して実行に移すほど桜という植物に思い入れがあるわけではないが、目的のない散歩のルートを彼の咄嗟の思いつきで変更した甲斐はあったと思う。
「こっちも今の時期がちょうど繁忙期だから心が癒されるよ。来週は仕事サボって、もうこのままどっか遠くに旅行行きたい気分だ。」
他愛のない軽口を叩きながらどこともなく春の風景を眺めていると、淡い色の花弁が混じった春風が私たちの間を通り抜けた。
ふと隣を歩く彼の方に目をやると、街の方へ首を回して何かを探すように目線を泳がせていた。
「ごめん、ちょっとこれいいか?」
申し訳なさそうに眉根を寄せた彼は左手でピースサインを作り口元にやった。
「ああ、もちろん。こんなリラックスに最適のロケーションを歩いてたら一服したくなるよな。」
いたずらっぽく笑みを浮かべた彼は、土手の石階段を街、恐らくは先ほど見つけたばかりの喫煙所の方へと降りて行った。後を追う私の背後から、河川敷で遊ぶ子供たちの笑い声が聞こえた。
「別にニコチンに依存してるわけじゃないんだけどね。」
そう言い訳しながら煙を吐き出す彼は至極うまそうに満足げな表情を浮かべた。
「私のイメージだと、依存症の人ってそれが切れると手先が震えたりとかイラついたりとかするけど、お前はそういうの全くないもんな。」
「そうそう、なぁんか手持ち無沙汰というか、ふとした時に口元が寂しくなるんだよなぁ。」
円筒型の灰皿が置かれただけの開放的な喫煙所の数歩離れた場所から、私は彼と会話を続ける。
「ガムとかいいんじゃないか?ほら、禁煙にはガムがいいとかよく言うじゃんか。」
「ガムかぁ。別に悪くはないんだが、それだとなんか味気が無いんだよなぁ。」
「だったらもうお前はニコチン依存だろ。」
スマホをいじりながら冗談めかして指摘すると、彼は大きく笑い声をあげた。
「いやいや、違うって。」
二人だけの喫煙所が私たちの笑い声で満たされる。こういう、何でもない会話を必要以上に楽しめる時間が、私は好きだった。
チッ
突然彼の方から舌打ちが聞こえた。咄嗟に目をやると、彼は二本目のタバコを取り出して新しく火をつけていた。
「どうした?」
一瞬の緊張感に身を竦ませた私は恐る恐る声をかけた。
「いやぁ、手が滑って灰皿の中にタバコごと落としちまった。まだ二、三口しか吸ってなかったのに。勿体ないことしたなぁ。」
彼の顔に困ったような笑みが浮かんでいるのを見て安堵した私は、彼につられて笑みを浮かべた。
喫煙所から再び桜の並ぶ土手に上がってきた私たちは、目的地のない散歩を再開した。
川に面した土手の斜面、ひと際大きな桜の根元では、ブルーシートで作られた陣地に数人の男女が銀色の缶を片手に座り込んでいた。
「別にあそこまでやるつもりはないけど、楽しそうにやってるのを見るとちょっと羨ましくなるんだよなぁ。」
「隣の芝は青く見えるもんだからな。あそこまでしっかりやる気は起きないけど。」
「準備の手間を考えると、俺たちには散歩ついでの方が向いてるよな。」
「全くその通りだよ。そもそも二人で酒と料理囲んでも、むしろ虚無感の方が勝ちそうだもんな。」
若者たちの酒気を帯びた笑い声を通り過ぎようとしたとき、熟柿の香りが春風に紛れて漂ってきた。
「別にあれを見て羨ましくなったってわけでもないんだが、」
そこまで言って言葉を止めた彼の方を見ると、今日で何度目かのいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
私も思わず口角を上げて静かに頷いた。
春の陽光に包まれた休日の昼下がり、暇人二人の目的地のない散歩に突如明確な目的地が設定された。
自然と私たちの足は桜並木の終焉、橋の麓にある居酒屋に向いていた。
私はわずかに震え始めた指先で、握りっぱなしだったスマホをポケットにしまい込んだ。
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