第N章
―贈られて来なかった未来―
死神には時間という概念が無く、数多の並行世界を移動しながら対象を殺しに来る。
例え何度守ろうと、彼女は対象が死ぬまで並行世界を追い続けてくる……。
彼女にとって対象を殺すことが使命であり、自らが存在する理由であった。
ゴシックロリータの服の女性がドアを開け、土足のまま早歩きでイマイの部屋に入ってくると、イマイは瞬時にミライを押し倒して全身で覆い被さった。
「きゃっ」
わけもわからず押し倒され、ミライが小さい声を出した。
「……なんのつもりかしら……?」
流石に死神もイマイの行動に些か困惑している様子だった。
「あなたは異常なくらい的確に危機を回避してる……。まぁ、私が直接手を下してからは一度も回避できていないみたいだけど……」
無表情の冷たい顔のまま、死神は帯刀している鞘を指でなぞった。
「恐らく異なる世界の出来事が見えているんでしょ……? あまりに何度も彼女が殺される姿を見て、気でも触れたのかしら……?」
死神はミライに覆い被さる情けない姿のイマイを見て鼻で笑った。
「何度も何度も彼女が死ぬのを見て、それでほんの少しだけ――」
ミライに覆い被さりながら、イマイが力強い目で死神の顔を睨む。
「もしかしたら違うかもしれない……。でも、今まで見てきて気が付いたんだ……」
死神は無表情のまま無言でイマイの顔を見つめる。
「もしかしてお前……俺は殺せないんじゃないか……?」
いつ命を奪われてもおかしくない状態で、イマイは不敵な笑みを浮かべる。
「交通事故も火事も、そしてこうして直接殺しに来る時も、俺は何度も何度も見てきたが、お前は誰も巻き込まずにミライだけを的確に狙っていた。いつも隣にいる俺という存在なんて、邪魔以外の何者でもないにもかかわらず……」
死神は表情一つ変えずにイマイの顔を見つめ続ける。
「だから、俺はミライの壁となって、片時も離れず、一生守り続ける! お前がミライを殺す前に間違えて俺を殺してしまった瞬間、ミライを守れなかった俺の負けだが、同時にお前も負けることになる。でも引き分けじゃない、こちらはお前を負かせて終わるんだから俺の『勝ち逃げ』だ!」
死神はハッとしてゆっくりと瞬きをすると、口角を少しだけ上げた。
「面白い考察ね……。確かにあなたは殺さないわ……。正確には、信条として対象以外は殺さないようにしているだけ……」
人を見下す冷たい目線で、死神はイマイの顔を見つめる。
「かと言って……私は彼女だけの死神だけど、絶対に他の人間を殺さないわけでもないわよ……」
死神は帯刀していた日本刀を抜き、切っ先をイマイに向ける。
「試してみる……?」
死神は素早く日本刀を一振りすると、イマイの両手首を一刀両断した。
床に落ちた両手と切断された断面はあまりに綺麗に切断されたからか、出血するのを忘れたかのように切断面が見え、一瞬遅れて止めどなく鮮血が吹き出してきた。
「…………!!」
声にならない声でイマイが歯を食いしばり、あまりに痛みに覆い被さっていたミライから離れて、もんどりうって床に倒れて暴れていた。
「俺は壁になる……んじゃなかったのかしら? それくらいのことで壁になるだなんて口だけは立派なものね……」
日本刀を一振りし、付着した血液を振り払って納刀すると、死神はミライに目線を向けた。
「……興ざめしたわ。私の知らないところで彼がどれだけ手を尽くしていたのかわからないけれど……。文字通りその尽くした手を切り落としてあげたわ……」
死神はミライの顔を見下した目で見下ろす。
「……嫌な目……呪われた女め……。お前のために人生を尽くした男のために、今度はお前の人生を全て費やすがいい……。これは善意ではない、互いの不死不殺に対する緩やかな死の呪いだ……」
死神はこの世界に飽きると、赤く黒い霧に包まれその姿を消した……。
………………
…………
……
両手を失った俺の人生は、ミライがいなければ成り立たない人生となってしまった。
俺はミライのために贈り続けていたはずが、もう何十年もミライから貰い続けている。
「私はね……幸せだよ……」
ミライが死ななかったこの未来は、過去の俺に贈られることは無いだろう……。
現在の俺はミライを救う方法を永久に探し続けている。