上手く行かない別れ
それから、瞬く間にフローゲンを旅立つ日が近づいてきた。
連日、会議を続け、孤児院での立ち回りを考える――。ムルナウ伯爵と父親との話し合い続けるうちに、日だけがどんどんと過ぎていった。
その間に、俺は荷物をまとめ、城のひとびとにも別れを告げていった。俺を育ててくれた乳母、家政婦、通りすがりに良く話をした門番……。
彼らとの別れは哀しかった。
だが、ヒスイとの別れはそう簡単には済まなかった。
ヒスイは孤児院の話を聞くと、露骨に激高し、
「な、なにを言っているッ! 駄目に決まっているだろう! なぜお前がそんな危険な任務をしなくてはならないんだ。そんなもの、ほかの兵士に任せれば良い――」と怒鳴った。
「ヒスイ。――この任務には俺が最適なのはお前にもわかるだろう。孤児院を運営しているやつらはどんな悪人かわからない。そこには魔術の結界も張り巡らされているという。子供の姿をしていて、それでいて任務を理解できるだけの能力と力のある人間。――そんなやつは俺ぐらいしかいないんだよ」
「だ、だが――」
「それにヒスイ。俺はもう行くと決めたんだ。意見を変えるつもりはない」
するとヒスイは、
「……私にはブルーヘルケスに行くなと言ったじゃないか。なのに、――なのにお前は私を裏切るのか……? 」
「う、裏切ってなんていない……! 俺はただ、お前が心配で――」
「私だって、同じだ……」
そう呟くと、ヒスイは扉を締めて部屋を出ていってしまったのだ。
……
翌日から、ヒスイは俺の部屋に来てくれなくなった。
いや、部屋に来なくなっただけではない。
廊下ですれ違っても、目も合わせてすらくれなくなったのだ。
それどころか、廊下で俺が話しかけても、ヒスイは返事もしてくれない。
「ヒスイ。――ちゃんと話そう。このまま喧嘩別れなんてしたくない」
そう言っても無駄だった。
ヒスイは俺を見かけると、逃げるようにいなくなるようになってしまう。
ヒスイが口を聞いてくれなくなったことで、俺は単純に寂しかった。
この世界にやってきてから、ヒスイと話をしなかった日などほとんど無いのだ。
……考えてみると、これはヒスイとの初めての喧嘩だった。
(好きなひとと喧嘩するのは、やはり辛いな……)
俺はそう零す。ヒスイとはこれまで、すべてわかりあえてきたのだ。
……
さらに二週間が経った。父親とムルナウ伯爵との会議はいよいよ大詰めに近づいた。
荷物もまとめ終わった。フローゲンを立つ日が、もう翌週まで近づいている。
その夜、いつも通り父親の別室に行くと、
「これが最後の会議だ」と父親が宣言した。
俺は微かな緊張を感じた。潜入捜査など、人生で初めてのことなのだ。
「君には期待していますよ」伯爵がそう言った。
そう言われると、俺は身体の裡が熱くなるのを感じた。
その日の遅く、会議が終わりに差し掛かると、俺たちは静かに互いを見つめ合った。
そして三人で黙ったまま頷いた。俺たちのなかでなにかが通い合う感じがした。年齢を越えたなにか、親子という関係を越えたなにかが――。
だが、俺はヒスイのことで頭がいっぱいだった。
出来れば、彼女も一緒に孤児院に潜入したい。
でも、そんなことは出来はしない……。
こんな任務が出来るのは子供の体をした俺だけなのだ――。
……
ムルナウ伯爵がおもむろにちいさな箱を取り出した。
そこには質素なデザインの指輪が入っていた。
「なんですか、――それは? 」そう尋ねる。
「これは、“蝉の一品”ですよ」
「蝉の、一品……? 」
「そうか、お前は知らなかったか」
父親が頷いた。
「“蝉”と言ってな、名匠アブラゼミの弟子たちのことをそう総称するんだ」
そう言うと、父親は「アブラゼミ」という人物のことを説明し始めた。
今から約600年前、この世界にはアブラゼミというアクセサリーだけを専門に扱う鍛冶屋いたという。
彼は魔術に無関心で、アクセサリーによるスキルの上昇だけを目標にしていた。
そんな彼はアクセサリーに次々と特殊なスキルを付与し、それを当時の冒険者たちに販売した。
のちにはそれは“アブラゼミの秘宝”としてこの世に残ることになる。
一度死んでも命を繋いでくれる特殊なネックレス、知らない街に翔ぶことの出来る呪符、付ければ姿の変えられる不思議な指輪……。アブラゼミの秘宝はこの世界の至るところで貴族や王族たちに大切に保管されていた。
「そんなアブラゼミの意志を継いだ鍛冶職人たちを、通称“蝉”というんだ」と父親。
「アブラゼミの秘宝とまではいきませんがね。これは蝉のひとりが作ったそこそこの名品です。この指輪を嵌めると、その間だけ顔の形を変えること出来る。レイゲンはセバスチャンたちに顔が知られていますからね。この指輪を使って、顔を変えて潜入しましょう」
伯爵は指を俺に差し出した。
「どうぞ、――つけてみてください」
不思議な指輪だった。不思議な電気が手に走る。
「これ、は――!」
「ふうむ……!」父親が唸る。
「ふむ……!」伯爵も唸った。
「ど、どうですか……? 」おそるおそる尋ねる。
「みょ、みょうにむかつくな……」と父親。
「む、むかつく……? 」と俺。
「ああ、なにかわからんが、――というか少し変わっただけのことなのだが、なにか妙に嫌悪感が掻き立てられる。……正直に言ってむかつく顔だ……」
「うーむ、――正直に言って、私も同感ですね……」と伯爵。
「そ、そんなこと言われても……」
「こんなことを言うのもあれだが、この顔だったら、愛せんかもしれんな……」と父親。
「そ、そこまで言います……? 」
「自分で見てみたらどうです? 」
伯爵が手鏡を俺に差し出してきた。
見ると、
「ああ~……」
なんというか、なんとも言えない、――いや、もとの俺の顔にすこし変化が加わっただけなのだが、……妙にむかつく顔の少年がそこに映っていた。
「みょ、みょうにむかつきますね……」俺がそう言うと、
ブ、ブボボボポッゥ!
とふたりが顔を背けて袖で爆笑をごまかした。
「……」
……
その翌日は空は良く晴れた。
俺は書庫に向かって歩いていた。
廊下を向こうからヒスイが歩いてきた。
俺はすれ違いざまに例の指輪を指に嵌めた。
そして俯いたままヒスイに近づいていった。
そして、ヒスイに向かってさっと顔を上げ、
「どうだ、ヒスイ。妙にむかつく顔だろう? ――これはムルナウ伯爵にもらった指輪でな。指輪を嵌めているときだけ顔を変えることが出来るんだ。だけど俺がつけると妙にむかつく顔になるというか、腹立たしくなるというか……」
――そう言うと、笑ってくれると思ったのだ。
だが、ヒスイは笑ってはくれなかった。
それどころか、不機嫌そうに俺の横を早足で通り過ぎてしまった。
「ヒスイ……」
俺はしばらくそこで、妙にむかつく少年の顔のままヒスイの後ろ姿を見送っていた……。
……
ヒスイ――。
荷物を纏めながら、俺はそう呟いていた。
ヒスイ――。
いまさらになって、俺はヒスイが好きなのだと再確認していた。
「ヒスイ……」
気がつくと俺は涙をこぼしていた。
さっきからずっとなにか忘れ物がないかと鞄のなかを漁っていたのだが、忘れ物はひとつしかなかった。
ヒスイとの喧嘩だけが心残りだったのだ。
思えば、ヒスイとの関係は妙なものだった。
殺し屋と異世界に転生してきたおっさん……。
どう考えても妙な取り合わせだった。
だが、ヒスイは俺にとっては紛れもなく大切なひとだった。
「あいつがいないだけで、この世界はこんなにも色褪せて感じられるのか……」
俺は力なく、鞄にそうこぼした。
トントン――。
そのとき、俺の部屋のドアを誰かがノックした。
すごく静かだったから、俺はビクビクビクビクゥッ!となった。
「だ、誰だ? 」
ドアを開くと、
――そこにヒスイが立っていた。
「ど、どうした……? 」戸惑いながらそう問う。
「すこし、夜風に当たらないか? 」
ヒスイはすこし気まずそうに、城の見晴台のほうを指差した。
時刻はすでに午前三時を過ぎていた。
城全体はとっくに寝静まっていた。
ヒスイと見晴台に来るのは久しぶりのことだ。
時折、俺たちはここでふたりだけで話をしに来ることがあったのだ。
「気持ち良いな」
夜風に向かってヒスイが言った。
「ああ。フローゲンの景色は最高だよ。俺の見たなかでもっとも美しい景色のひとつだ」
「ここに来てもう8年だ」とヒスイが言った。
「ああ。――あっという間だ」
「私にとっては夢のような8年だったよ――。殺しのない、裏切りのない、命令のない8年。……それは私にとっては夢のように幸せな時間だった」
「ヒスイ……」
「だが、それはやはり夢だったようだ。――明日お前はどんな悪人がいるかわからない危険なところに潜入しに行く。それに、私もブルーヘルケスに……」
「やはり、戻ることにしたのか……? 」
「ああ。どうしても気になるからな。ブルーヘルケスは危険な国だ。出来れば今のうちに調査しておくほうが良い」
「ヒスイ。俺はお前の制止を振り切って好きなようにやるんだ。お前のやろうとすることを止める権利は俺にはないよ」
「それに関しては私も同じだ。――それに、私はただ戸惑っていたんだ」
「戸惑って、いた……? 」
「そう――。ついにお前までもが、危険な仕事につくことに、耐えられなかったんだ。私がどんな危険な目に合おうと構わない。だが、お前には、平穏な暮らしをしていて欲しかったんだ……」
そのとき、一陣の強い風が吹いた。ヒスイが振り返る。
「レイゲン。――どうやらこの世界は私たちを見逃してはくれないらしい。危険な、過酷な、殺しの世界へと私たちを引きずり込みたいらしい。レイゲン。――どうやら、ここでの8年はほんとうに夢だったようだ。夢は終わり、辛い現実がやってくるのさ」
ヒスイがまた前を向く。
「レイゲン。……同い年くらいの、可愛い女の子を選べよ。――私のような、残忍な、血に濡れた、年増の女ではなく……」
そのとき、ヒスイが泣いているのがわかった。
ヒスイは静かに震えていた。
“時止めの呪い(サイレント・ストップ)――”
「ななな、なにをした――? 」
ヒスイが振り返る。
「お前、そんなに俺との年齢差を気にしていたのか? 」
「き、気にするだろう」ヒスイが言う。「私とお前では、十六も離れているんだ。お前が成人するころ、私は三十六だ。そんな女、お前と釣り合わない……! 」
「今俺がお前に掛けたのは、年齢による成長を止める魔導だ。もっとも、呪いというものに分類されるらしいが……」
「の、呪い……!? 」
「ヒスイ。その呪いは俺が死んでも五十年ほどは作動し続ける。そのあいだお前が歳を取ることはない」
「そ、そんなものを今私に掛けたのか……!?」
「安心しろ、十六年後に、その呪いは俺自身が解くつもりだ」
「じゅ、十六年後……!? 」
俺は続けた。
「そうしたら、俺たちはちょうど同い年だ」
そしては俺はヒスイの手を握った。
「そこからは、同じ時を生きよう。一緒に歳を取り、一緒に老いていこう」
みるみるうちにヒスイの顔が赤くなった。
ガバッ!
突然、ヒスイが俺の身体に抱きついてきた。
「ど、どうした……!」
「今この顔を、見ないで」
「な、なんで――」
「い、いいから……! それから、レイゲン。――よく聞いて」
「な、なに……? 」
「わ、私はお前のように口がうまくない」
「あ、ああ……? 」
「だから、私は、こんなことしか言えない」
「あ、ああ……」
「ま、また会ったら、そのときは、また剣術の手合わせをしよう」
ふ――ヒスイらしいな、と俺が思わず笑いかけると、ヒスイが続けた。
「そしてそのときは、今度こそチュウしよ」
そして俺の顔を両手で挟み、真っ赤な顔をしてヒスイは俺を見つめた。
「次は私に一発当ててくれ」
――か、可愛すぎる……!
ヒスイのガチの潤んだ瞳を見てしまった。
普段冷たい感じなだけに、突然甘えられるとむちゃくちゃ可愛い……!
ヒスイは上目遣いに甘い声を出していた。
天性の魔性の女――。本人は気づいてさえいないだろうが……。
もともとがめちゃくちゃ美形だから、見つめられるとヤバい。今すぐ襲いたくなる。
俺たちは、しばらく照れ合っていた。
それから、俺はヒスイにもうひとつのプレゼント、“反響の世界”をその身体に付与した。
これは離れていても音声や文字を送信し合える魔導だった。
言ってみれば、もとの世界で言う携帯みたいなものだ。
予め相手にこの魔導を付与しておけば、好きなときに会話とメッセージのやり取りが出来るのだ。
照れに照れた俺たちは、まるで高校生が初めてラインを交わすように、たどたどしく反響の世界でのやり取りを練習しあった。
……
早朝、俺は生まれて8年過ごしたこの城を出て行った。
見送りにはたくさんのひとが来てくれた。
乳母や家政婦、王と王女、それから兵士たちも別れを惜しんでくれた。
ヒスイは門までは来てくれなかった。
代わりに昨夜の見晴台から俺を見下ろしてくれていた。
陽に照らされながら、ヒスイが胸元でちいさく手を振るのが見えた。
「じゃあね」と口が動くのが見えた。
そしてその数日後に、ヒスイもブルーヘルケスに戻ったと聞いた。
反響の世界を通じて、ヒスイから「ブルーヘルケスに着いた」とメッセージが送られてきたのだ。
こうして、俺たちのフローゲンでの8年間が終わりを告げた――。
次回から孤児院潜入編始まります(´・ω・`)オスオス




