ふたつの事件
俺が8歳になってしばらくしたときに、俺の今後に関わる事件が二つ起こった。
ひとつ目はヒスイの今後に関するものだった。
ある夜、ヒスイは俺の部屋に深刻な顔をして入ってきた。
「どうした? 」と俺が尋ねると、
「ん? ――ああ、まあ、大したことじゃないんだが……」
と爪を噛む。どう見ても“大したこと”が起こっている。
「……」
「なんだよ、俺にも言えないことか? 」
そう言うと、
「……いや、そうじゃない――」と顔を背ける。
「ヒスイ、こっちに来い」
そう言って俺はヒスイを椅子に座らせた。
そして彼女の手を握って言った。
「俺にはなんでも言えって言っているだろう? なにがあったんだよ。大丈夫だから。とにかくゆっくりで良いから起こったことを話してみろ。な? 」
そう言うと、ヒスイは俺の顔の前で静かに頷く。
……こういうとき、端から見たら異様な光景なのだろうな、と思う。
まだ8歳の子供が(だいぶ身長は伸びたが)ひとりの女性に諭して聞かせているのだ。まるで俺が大人で彼女が子供のように。
「そうだな……。上手く話せるかわからないが、話してみるよ」
そうして、ヒスイはブルーヘルケスで今起こっていることについて話し始めた。
ヒスイの生まれであるブルーヘルケスでは、当時跡目争いが起きていた。
先代の王が死に、その跡取りたちが血なまぐさい争いを起こしていたのだ。
「あのころすでに相当ひどい裏切りが横行していた。買収、謀略、――暗殺まで横行していた。次の王を巡って王家の血筋の者たちはなりふり構わず周りを蹴落とし始めていたんだ」
「だからこそ、ヒスイがこの国に遠ざけられたんだろう? 」
「そうだ」ヒスイが頷く。「私は言ってみればカードとしては強力過ぎたんだ。それで、いつ誰が私というカードを切るかわからない。……そんな状況を恐れて、王家の者たちは私をフローゲンに追いやった……。そこまでは話しているな? 」
「ああ。いつかにその話は聞いたことがあるよ」
「当時のブルーヘルケスはとにかくごたごたしていてな。だからこそ、私もここでそれほど警戒されずに済んだんだ。ブルーヘルケスの心情としては、この跡目争いの騒ぎのなかで、いちいち隣国に関わっていられないという感じだったのだろう。だからこそ、今もお前を殺す、という当初の密命もやったフリをしてごまかせているんだ」
「そんなに荒れていたのか? てっきり、穏便に進んでいるんだと思っていたが……」
「他国にはそう映るよう装っているがな。内情はひどいもんだ。とにかく――その跡目争いのなかに、ヒルケスという三男がいる。……この男がかなりヤバいやつでな。平気でひとを殺すだけでなく、愉しんで拷問をするようなやつなんだ。出世欲が強く、ずる賢く、そしてなにより強い……」
「なる、ほど……」
「そしてさっきブルーヘルケスから暗号化された手紙が届き、次の王が決まったと報せがあった」
「まさか……」
「そのまさかだ。ヒルケスが王権を握った。これは、考えうる限り最悪のシナリオだ……」
重々しい沈黙が流れる。
「今後、ブルーヘルケスははどうなるんだ……? 」
「さあな」ヒスイが首を振る。「すぐにでも他国に進軍するかもしれない。ヒルケスのことだ。なにをしでかしても私は驚かんよ」
「……」
「だが、話はここからなんだ――」ヒスイは立ち上がった。
「なんだ? まだなにかあるのか? 」
「実は、――手紙のなかに私に本国に帰るよう命令があったんだ……」
「……なんだって? 」俺は答える。「もちろん、帰りはしないんだろう? 」
「……」
「……ヒスイ、嘘だろう? 今さらブルーヘルケスに仕えるというのか? そんなヤバいやつが王になるような国に? 」
「違う。そうじゃない――」ヒスイが首を振る。「ただこれはお前にとってのチャンスでもあるんだ。フローゲンのためでもある。ブルーヘルケスに戻り、あの国の内部に入れば、あそこでなにが起こっているか調査が出来る。いざというとき、お前に忠告も出来る」
「バカ言うな――」俺は立ち上がった。「そんなの、――危険過ぎる……!」
「危険なのは百も承知さ。だが、あの国を放っておくこともまた大いなる危険なんだ。……だったら今のうちに内部調査して、対処案を練っておいたほうが良い。私なら、それが出来る」
「ヒスイ……」俺は言った。「頼む。いかないでくれ。俺はお前にそんな危険な目にあって欲しくない」
「……」
ふたりでじっと黙っていた。
「――そうだな。すこし、頭を冷やすとするよ。今すぐここで答えを出す必要もないしな。猶予はもう少しある。冷静になってゆっくり考えて、それでもう一度お前に答えることにするよ。……それで良いな? 」
「あ、ああ……!」俺は笑顔で言った。
ひとまずはヒスイが考え直してくれたのだ。
それだけで俺はほっと胸を撫で下ろすような気分だった。
……
もうひとつの事件は、それから四日後に起こった。
俺とヒスイはやはり俺の部屋にいて、ヒスイは俺の寝具で眠っていた。
俺はというと、眠っているヒスイのうなじの匂いを嗅いでいた。
ヒスイのうなじは、なんというか微妙に汗の匂いがしてエロいのだ。
しかもなんていうかこう……ずっと嗅いでいたいというか、妙にムラムラするというか――。
「無礼者ぉ! 」ガシャァンッ!
――そのとき、客間の方でそんな物音と怒鳴り声がした。
すると、ヒスイがバッと身を起こして「なんだ? なにがあった……?」と鋭い目つきで音の方を向いた。
「……わからない。なにか起こったらしい」
「客間のほうから聞こえたな。今日は確か、貴族のセバスチャンが来ているはずだが……」
「なにげないフリをして行ってみるか? 」
ヒスイが頷く。
そして急に怖い顔になった。
「……ところで、お前はここでなにをしているんだ? 」
「へ? なにって、別に……? 」
「別にもなにもないだろう。なんだその妙な体勢は? 」
ヤバい、めっちゃ顔怖い。めっちゃ般若みたいな顔になってる。
「体勢って、なにかおかしいか? ベッドに半分乗っかっているだけだが――」
「……お前、さては私にエロいことをしていたな……? 」
ものすごい怖い顔でヒスイが俺を睨む。
「ち、違う――別にエロいことなんてしていない、誤解だ、罠だ、謀略だ――」
すると、
「緑の風の錯乱!」
――ズギャァァァァンン!!!――
「ドバパハァァッァァアアア!!」
俺はヒスイが最近発明した新しい技、シザー・ウィンドに全身を切り刻まれ、一瞬にして瀕死に追い込まれた。
「……悪かった、もう、やめてくれ、ヒスイ――。げふっがぼほぉ」
――ヒィィィイイン……
俺は竜の加護による超快復のなかで、泣きながらヒスイにそう懇願した。HP 223→228
「これに懲りたら当分はその薄汚い顔を私に近づけないことだな……」
「ふぁ、ふぁあい……」
……
客間に入ると、俺の父親が貴族の一団の前でうなだれていた。
一瞬、全員が俺たちのほうを向く。だが、その目つきも実にいやらしく、軽蔑に満ち満ちていた。
「あの先頭にいるやつがセバスチャンだ」ヒスイがこっそりとそう耳打ちする。
なるほど。
確かに嫌そうなやつだ。もう顔を見ればわかる。
この世界の貴族というのは――あるいはどの世界でもそうなのかも知れないが――傲慢なやつが多い。
それはフローゲンにしても例外ではなく、自分たちの権力や、資産を鼻に掛けているやつは多い。
そしてそういうやつは大抵、顔にその傲慢さが現れているのだ。
「国王よ。私は今日の食事にミスリム産の白ワインを注文したはずだ。それがなんだ? この不味い出来損ないは――」
……なんだこいつ、ワインが気に食わなかったくらいで国王に怒鳴っているのか?
いくらなんでも傲慢にもほどがあるだろう。貴族と言っても、国王に楯突いて良いはずがない。
「おいレイゲン、さっき話しただろう。この国では国王は……」
ヒスイが俺の心情を察して、そう耳打ちする。
――そうだ……。
認めたくないが、俺の父親であるヒクシー・ブブズェラはこの国での地位が低いのだ。
いや、もう少し的確に言えば、“舐められている”のだ。
以前にも話したように、ヒクシーは“龍との対話儀法”を知らない。
そんな王はこの国の建国以来、初めてのことだ。
もちろんそれはヒクシーのせいではないし、前王が突然の失語症に陥ったからにほかならないが、必ずしも国民全員がそんなふうにヒクシーに同情的なわけではない。
むしろ、――はっきり言うが、ヒクシーは「無能」として国民たち、――特に貴族たちから蔑まれていた。
そのなかでも、国の財力を潤すセバスチャンのようなやり手のビジネスマン的貴族には、露骨に下に見られているのだ。
「ヒクシー。いったい誰のおかげでこの国が財力を保っていられると思っているんだ? 」
セバスチャンが露骨にそう口にした。
すごい。ほんとうに嫌なやつだ……!
「おいレイゲン……」ヒスイが静かに耳打ちする。「お前あのカスになにかこっそりと魔導を掛けられないのか? 」
「例えば、ってどんな? 」
だいぶ口悪いな、と思いつつそう返答する。
「わからんが……。例えばあのカスの肛門から永久にクソが漏れ続けるような魔導だ」
「い、いや、そんなのは、ないよ……」
「そうか。――クソッ」
「……」
俺はしばらく、自分の父親がセバスチャンに罵倒されるのを眺めていた。呑気に客間になど来なければ良かった、と後悔しつつ……。
ヒクシーの気持ちを思うと、その場にいるのは耐え難い苦痛だった。だが、今更部屋を出ていくわけにもいかない。そんなことをすれば、逆にセバスチャンを刺激し、余計に父親がひどい目に合わされそうだった。
ヒクシーは言い返すことも出来ず、深い無力感のなかで失意に浸っていた。実際、セバスチャンがいなければ、この国の財源が賄えないのも確からしいのだ。つまり、ヒクシーはセバスチャンに頭が上がらないのだ。
(懐かしいな……)
俺は心のなかでそう呟く。
俺がサラリーマンだったとき、何度もこんな叱られ方をした。徹底的に詰められ、徹底的に尊厳を踏みにじられる。
いっそ相手を殴りつけてやろうと何度も思うが、――実際にやるわけにはいかない。
そして言い返せもせず、拳を握り締めて、
「わかっています。はい。申し訳ありませんでした」
と力なく繰り返すのだ。
そして、そんな自分が惨めで、ますます嫌いになる――。
ヒクシーはあのときの俺と同じような顔をしていた。
辛くて仕方ないが、この現状を変えるような手立てもない、という諦めの表情……。
「おい、ミスしたらわかっているだろう? さあ、いつものあれをやれ……! 」
セバスチャンがそう言ったとき、ヒクシーが俺の方を向いた。怯えたような、俺の顔色を伺うような情けない表情で。
「なんだ? 息子が見ている前であれをするのが嫌なのか? 」
セバスチャンがそう言って、一瞬俺の方を向いた。
クソッ。セバスチャンのやつ、勝ち誇ったいやらしい笑みを浮かべていやがる。心底、性格の悪いやつだと実感する。
「いや、やるよ――」
力なく、ヒクシーがそう答える。
そしてヒクシーは、力なくセバスチャンの前に跪くと、両手を床に当てた。
そう、――国王が一貴族に対して土下座を始めたのだ。
「すまん。申し訳なかった。私の、不手際だ……」
この国の調子に乗った貴族は、ここまでするのか――。
俺は怒りを通り越した別のなにか熱っぽい感情を抱いていた。
「稼いでいる」という理由だけで、ここまでひとの尊厳を踏みにじるというのか……。
だが、セバスチャンの国王いじめは、それで終わらなかった。
「おい、なにしている。早く続きをやれ――」
セバスチャンが言った。
「勘弁してくれ。今は息子も部屋にいるのだから……」
「ハッ! 関係あるか! 私がやれと言ったらお前はやらなくてはならないんだ。ほら、やれよ、やれぃ! 」
セバスチャンがそう声を荒げる。
「レイゲン。目を閉じて、俯け――」
ヒスイがそう耳打ちする。
「あ、ああ」そして俺はその忠告通り、俯いて目を閉じた。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……
そして部屋のなかに、
父親が貴族の靴を舐める哀しい音が響いた。
「……」
「……」
俺とヒスイは、目を閉じてその音を黙って聞いていた。
……
部屋に戻った俺たちはさっきの出来事について話し合っていた。
「ある意味で仕方ないとも言えるんだ。実際、ヒクシー様はこれと言った手柄を上げてきていないからな。まああのセバスチャンとかいうやつが便所のシミにも劣るカスだというのは紛れもない事実だが」
「仕方ないと言ってもなあ、あいつ助長し過ぎだろう。いくらなんでも国王だぞ? 普通あんなことをしたら首を切られてもおかしくないぞ……」
「まあな。だが、そうするわけにも行かない、というのがこの国の苦しいところなんだ」
「そんなにこの国はセバスチャンの財力に頼っているのか? 」
「頼っているなんてもんじゃない」ヒスイが答える。「この国では特に海産品が豊富だからな。それを他国に輸出することで財源を賄っているんだが、――セバスチャンの運営するセバスチャン財団は一手にその事業を牛耳っているんだ。他国との貿易交渉も、セバスチャン財団の人間がすべて統括している。まあ、言ってみればあいつはこの国の財布そのものだよ。あいつがいなくなれば、この国の財布もなくなってしまう、というわけだ」
「ほかに頼れるような裕福な貴族もいないのか? 」
「いないんだよ。この国にはほかにそれらしい特産品もないんだ。だから、セバスチャンの運営する水産業に頼るしかない。それに、この国に新しい水産業の業者が現れても、すぐにセバスチャン財団に潰されてしまうんだ。さっきのも見ただろう? あいつはやりたい放題だよ。主にビジネスの世界での話ではあるが、他者を蹴落としたり、叩き潰したり、好き放題さ。おまけにこの国に多額の資金を提供もしているんだ。さっきも言ったように、この国の王家が多少は潤っているのは、セバスチャンが稼いでくるからさ。もっとも、それを理由に自分の都合の良い市場ルールを国王に認めさせて、そのことでさらに私腹を肥やしてもいるわけだがな……」
「ふうむ……」
俺は腕を組んで、考え込んでしまった。むかつくからフレアを全力でセバスチャンにぶつけてやろうとも思ったが、どうもそんな簡単な話ではないらしい。
セバスチャンがいなくなってしまえば、たぶん、単純にこの国は資金不足に陥り、ものすごく困るのだろう……。
「それに――」とヒスイが付け足した。
「なんだ? まだあるのか? 」
「話によると、国王様とセバスチャンはもともと幼馴染らしい。昔は親友だったそうだ。ま、いろいろあったんだろうな。いいか、レイゲン。この世界では人間というのはあんなもんさ。親友と言っても、いつ靴を舐めさすような関係になるかわからない。この世界も、人間も、もうみんな腐っているのさ」
……
その翌日の夜遅くのことだった。
珍しく、俺の部屋に王からの使いがやってきて言った。
「王がお呼びです」
「こんな時間に? 」俺は読んでいた本を膝のうえに置いた。
「ハッ。特別に話したいことがあるらしく、王の別室に来て欲しいとのことです」
「そうか……。わかった、ありがとう」
多分、昨夜のセバスチャンとのことについて話されるのだろうな、と俺は漠然と考えていた。
王の別室に着くと、中の灯りが漏れていた。誰かの話し声が聞こえる。誰か来ているらしい。
「お父様。レイゲンです。お呼びでしょうか」
そう言ってドアをノックする。
「ああ。――良く来てくれた。入ってくれ」
中に入ると、ソファのうえに父親と同い年くらいの髭面の男が座っていた。ぺこりと、軽く俺に挨拶をする。
「こちらはムルナウ伯爵だ。さ、お前も隣に座ってくれ――」
「失礼します」そう言って、ムルナウ伯爵の隣に腰を降ろした。
「お前にはみっともないところを見せてしまったな……」
父親がそう言った。
「いえ、 ――とんでもありません」
思わず、そう打ち消す。
「いや、否定しなくて良い。実際私は情けない国王だよ。お前に見られたのは少々辛かったが、あれが私の正体なんだ。言い訳のしようもない。情けない父親ですまない」
「そんなこと、ありません……」
そう答えたが、俺の声に力はなかった。
俺の父親は哀しそうに微笑んでいた。
俺にはこの男の心の痛みが苦しいほど良くわかる。
父親として自分を不甲斐ないと思うこと。家族の前で自分の無能さを暴かれる辛さ。
それは俺がこの世界に来る前に、嫌というほど味わった苦痛だった。
だからこそ、この男の”強さ”が俺にはよく分かる。
その「無能さ」を自ら認めて、こんなふうに優しく微笑んで、さらには息子である俺に気遣いを見せてくれるなんて、普通はできないのだ。普通は取り乱したり、必死に弁解や言い訳を並べてしまう。そうして、父親としての「体裁」を必死に保とうとする。
ヒクシーは一切そんなことをしなかった。――それは紛れもなくヒクシーが本当の意味で心が強く、粘り強いからだ。他人に「弱い」と思われてでも、なにかを守りたいという強い意志があるからだ。
俺には――かつて同じ状況で生きていた俺には――ヒクシーの強さが痛いほどひしひしとわかるのだ。
俺は言った。
「いえ、お父様は、強いです。ぼくにはそれがわかります……。ああいう場面を見させられて、悔しくはありましたが、自分の父親を情けないとは思いませんでした。むしろ、あれほどのことをしてでも国を護ろうとする、お父様の国王としての強さを感じました。ぼくにとっては、あの姿は誇りです」
しいんとした。
「ほお……」ムルナウ伯爵がそう呟く。
「レイゲン」父親が囁いた。いつものふざけた声の調子ではなかった。「お前は私にはもったいないほど賢い息子だよ。お前にそう言われると私は救われるよ。レイゲン、お前が私の息子で良かった。それこそ誇りに思うよ――」
それから、微かに潤んだ目で父親は続けた。
「今日お前に来てもらったのは、実は頼みごとがあるからなんだ。では、そのことについてはここにいるムルナウ伯爵に説明をお願いしよう――」
すると、ムルナウ伯爵が人懐っこく微笑み、私に軽いお辞儀をした。つられて、俺も軽いお辞儀をする。
「レイゲン、君を呼んだのはほかでもない。ある特殊な任務を君にお願いするためなんだ。これは少々危険でもある。もちろん、やるかどうかは君が自分で決めたら良い」
「特殊な、任務……? 」
「そう、特殊な任務。実はある場所に潜入してもらいたいんだ。その場所は、ある孤児院で、――どうもそこで幼い子どもたちを違法に人身売買しているようなのだ」
「人身、売買……」
「そう。その孤児院はどうも美しい子どもたちばかりを集めていてね。以前からきな臭いとは噂されていたんだ。だが、どうしても尻尾が掴めなかった。しかし先日、ある人身売買業者のひとりがその孤児院で子供を買った、と証言したんだ。……とはいえ、それ以上はなにも喋ろうとしない。喋ると殺されると恐れているんだろう」
「なるほど――。つまり、その孤児院から証拠を探し出すために、子供であるぼくがそこに侵入する、と……そういう計画ですね? 」
ムルナウ伯爵が驚いた顔をして言った。「すごいな。本当に賢い子だ」
父親が得意そうに微笑む。
伯爵が続けた。
「なにしろ、どれほど調査しても人身売買の証拠が掴めない。孤児院のなかに入って潜入捜査しようにも、私たちは大人だ。子供のフリなど出来ない。どうしようかとせめあぐねているところに、ヒクシー国王が君を推薦してくれたんだ。頭脳明晰、何ヶ国語も言語を操り、その年齢では考えられないほどの魔術量を有している、――そんなすさまじく有能な子供がいる、と。それで今ここに私がいる、というわけだ。そんな子供が本当にいるなら、孤児院の中から売買の証拠をきっと見つけ出してくれる、と期待してね……」
「だがいいか、レイゲン」父親が俺の方を向いて言った。「やりたくないならやらなくて良い。父親としても息子にこんなことを頼むのは心苦しいんだ。お前が怖がったり、不安に思うならやる必要なんて少しもないんだ」
「その通り――」ムルナウ伯爵が言った。「だが、すでに君は無関係ではない」
「それは、言わなくて良いんじゃないか……? 」
父親が戸惑って言う。
「いや、いずれにせよそのうちにわかることです。――良いですか、レイゲン。その孤児院を運営しているのは、ほかならないあのセバスチャンなのですよ」
「あ、あいつか……」
思わずそう口走る。
父親が額に手を当てて、俯いた。
「先に断っておきますが、国王はずっとセバスチャンを庇っていました。昨夜のことがあったから国王が仕返しを企んでいるなどと思わないでいただきたい。そうではなく、あくまでもこの話を持ち込んだのは私なのです。なにしろ、国王とセバスチャンは古い付き合いのある関係のようで、国王は彼を捕らえたくはないようなのでね……」
「レイゲン」父親が言った。「あいつは――セバスチャンは、昔はあんなやつじゃなかったんだ。心の優しい友人想いのやつだった。だが、それがいつかからか……。今回のことも、私は信じたくなかった。ムルナウ伯爵に相談されたときも、ずっとなにかの間違いだろうと否定していたんだ。だが、セバスチャンが本当に人身売買に手を染めているのなら、国王として――いや、親友として、それを見過ごすわけにはいかないんだ。哀しいが、それが事実なら私はあいつを投獄するよ……」
そう言う父親の目には、仕返しをする喜びなど微塵もなかった。
ただただ、かつての親友への深い愛情と、その人物の不正を突き止めなくてはならない哀しみだけが、微かな涙となって揺れていた。
ヒクシーはとことん優しい男だった。
だが、それゆえに、他人は彼の優しさにつけこみ、助長するのだ。例えばセバスチャンのように――。
「やりますよ」
俺は即答でそう答えていた。
父親の顔がぱあっと明るくなった。
ムルナウ伯爵のほうは、始めからわかっていたと言うように微笑んで頷いていた。
父親はセバスチャンに恨みはないようだが、俺はそうではなかった。父親とセバスチャンの関係がどうだったのかは知らないが、今のセバスチャンは調子に乗りすぎていた。
いくらこの国に財源を与えていると言っても、他人に靴を舐めさせるなどあってはならない。
単純に言って、俺は怒りに震えていた。そしてそれは多分、父親の――ヒクシーの心があまりに優しく、その優しさに幼いころから触れてきたありがたみを俺が深く胸に抱いているためだった。
俺はヒクシーのこの優しさに、なんらかの形で報いてあげたかった。
「やります、ぼくが必ず、証拠を見つけ出しますよ――」
俺は力強くそう答えた。
だが、このときの俺は、セバスチャンの孤児院に潜入することが事実上、ヒスイとの別れを意味することに気づいていなかった。
この任務は、まず第一に孤児院のなかにいる子どもたちの安全をこそ重大視していた。
任務は“子どもたちを一切傷つけないよう保護する”こと。
“そのうえで売買の証拠を見つけ出す”こと。
それには、数年の月日が掛かるだろう、とムルナウ伯爵が言った。
つまり、ヒスイがブルーヘルケスに戻ろうが戻るまいが、俺たちの道はすでに別れる運命にあったのだ。
初めて、誰かが、評価してくれた……!
う、嬉しいっ、嬉しいっっ(´;ω;`)ブワッ
ありがとう、ありがとう、その誰か……!(´;ω;`)ブワッ(´;ω;`)ブワッ




