30. 公爵
いつもと同じように眠るリリアナを一目見ようと太陽の上がりきっていない朝方。
そっと部屋の扉を開けるたアルバートはすぐに違和感を感じ、ベッドに駆け寄った。
そこにはクルクルと寝癖をつけ気持ちよさそうに眠っているはずの愛娘であるリリアナの姿はなく、ブランケットに触れてみても熱を無くしてから時間が経っている。
「リリアナ…。」
ポツリと溢した言葉と共にすぐに動き出した彼は彼女を探すべく歩き回っていた。
城の兵士達勿論、表を見張っていたセルジオも見かけていない
となると裏口から出たのか。
連れ去られたということも一瞬考えたが、黒いローブや少量の荷物がなくなっているということはリリアナの意志だろう。
ここから離れなければならないと不安にさせてしまったのに気付けなかったのは父として不甲斐ないと拳を握りながら船の準備を急がせた。
真夜中に出港した船は3隻で、そのどれにもリリアナが乗ったという記録はない。
人に見られる可能性のある客船は避けるかと考えていると、鎧姿のララが走り寄ってきた。
「旦那様!リリアナお嬢様はレドの町に行く貨物船に乗られたそうです。」
「リリアナ…無事でいてね。」
そう言うと船に乗り込み直ぐ様後を追うように出港する。
とはいえ、中型船のそれはスピード重視に作られたものらしく追い付くのは難しいようだ。
「…やはり追い付くのは無理か。」
「そうですね。アザレアの船は元よりこちらとは性能が違いますから。」
「リリアナ…大丈夫かな。一人で外に出るなんて怪我でもしていたら…もっと私が気を配っていれば…。」
後悔の念に大きくため息をこぼしながら甲板で広い海を眺めている。
ララとセルジオも言葉には出さないが、苦虫を噛み潰したように眉間にシワを寄せ、リリアナの無事を祈っていた。
あれから三週間が経ちやっとたどり着いた頃には既に中型船の姿はなく。
港町で聞くと一週間前に到着し、既に次の場所に向かったという。
ここで降りたのは積荷と船員であろう二人だけだったらしい。
誰かと一緒にいるのかと首を傾げながら、その二人が向かったという道を歩き始めた。
「この道は…旧カートル城の…。」
セルジオは何かに気付いたのか。
いきなり走り始めた。
向かった先は腐ちかけた城で、重剛な扉が行く手を阻んでいる。
本来なら手荒な真似はしないが、今はリリアナの安否が心配だと剣を抜くと一瞬にしてバラバラに破壊してしまった。
特に言葉を発することなく中へと入れば、黒薔薇の刺繍が施されたローブを纏った黒魔術師がニンマリと笑みを浮かべているのが見える。
「来る頃かと思っていたよ。」
彼女の言葉とともに階段から降りてくる存在。
だらりと落ちた腕に血色が悪く、痩せた身体にアルバートの表情が一瞬にして鬼の形相へと変わっていった。
「私のリリアナを返してもらおうか。」
「今は俺のだよ。」
「俺の、だ?寝言は寝て言え。リリアナは私以外の誰にも渡すつもりはない。いいか?今すぐにリリアナを渡せ。そうでなければ…。」
「なければ何?公爵に何が出来る…。」
ユリウスのその言葉にアルバートの姿は彼の後ろに移動し、首元に剣が当てられている。
耳元でそっと言葉をつぶやいた。
「私はお前が思っているほど弱い人間でもなければ、出来た人間でもない。リリアナに手を出すのなら皆殺しにするまでだよ。」
怖いほどの殺気に動けなくなっている彼からリリアナを奪い取ると優雅な足取りでララとセルジオのいる場所へと戻っていった。
彼女の細い指に付けられていた指輪を外してユリウスに投げると手首に巻かれた包帯に優しく触れ、酷い怪我なのかと具合を確かめてみる。
「ラティラ、セルジオ。」
「「はい。」」
「私のリリアナを傷付けたんだ。それなりの報復はあってもいいとは思わないか。」
「ララにお任せ下さい。」
「…黒魔術師は俺がやります。」
ギラギラと野獣のような目をした彼らはアルバートのその言葉を心待ちにしていたようだ。
リリアナが起きていたらここまで露骨に出すことはなかったのだろう。
黒魔術師の禁呪で生命を奪わせるつもりは一切無かったが、彼女の前ではあくまでも優しい父と騎士。
そのスタンスを意図も簡単に外させた二人はある意味すごい存在である。
「姉上、どうしますか。」
「カートルのためなら命を捧げる覚悟よ。」
「そうですね。」
彼女の言葉にユリウスの身体は黒い瘴気を身に纏い始め、その瞳も闇へと染まっていく。
一般人であればそれたけでも恐怖を覚えるのだが、ララとセルジオにその感情は一切ないようだ。
リリアナの薬指に付けられていたであろう指輪に青筋が浮かぶのを感じながら剣を構える。
一触即発の雰囲気にアルバートに抱えられていたリリアナの瞼がふるふると動き始め、ゆっくりと瞼が開いた。
「…ん。」
「リリアナ?目が覚めたんだね。」
「お、お父様…!?何故ここに…?」
「パパはいつでもリリアナの側にいるよ。迎えが遅くなってごめんね。」
「…私が悪いんです。ごめんなさい。」
「どうして謝るのかな?今回のことは全てパパがちゃんとリリアナを見ていなかったのが悪いんだ。だからリリアナはいつものように笑って。パパはリリアナの笑顔が大好きだよ。」
三週間ぶりに会った父は居なくなったことを責めるわけでもなく幸せそうに笑みを浮かべるだけで、安堵から大粒の涙が零れ落ちた。
「…私のせいで、危険に…っ。」
「うん、ちゃんとわかってる。リリアナはパパ達を心配してくれたんだね。でも、お腹の傷は怒らないとかな。もし、リリアナがそれで命を落とす事があったら、君達二人には地獄の苦しみを与え続けてやる。生きてることを後悔するくらいね。」
「っ。」
「なんて冗談だよ。さ、彼等のことはあの二人に任せて船に戻ろうか。怪我の手当もしたいし、何より軽くなってしまった体重を元に戻さないと。」
少しも冗談に聞こえない雰囲気を纏いながら歩き出した彼を止めるすべはなく、四人は対峙したまま身動き一つしない。
心配そうに視線を向けるリリアナに大丈夫だと言い聞かせれば少し落ち着いたようで身体の力を抜き、アルバートに身を委ねるのだった。