24. 聖女と王家の庭
船旅の3日間。
船酔いすることもなく普段と変わらない時間を過ごしていたが、自ら本を読んだりすることのできない故に周りが気を使ってくれたようで退屈しないようにと代わる代わる部屋に訪れてくれていた。
「リリアナ様。」
「?」
「アザレア王国に到着したみたいですよ。」
「リリアナ。」
聞き覚えのある声が遠くから聞こえ、駆け寄ってくる。
ぼんやりとした輪郭から彼がアザレア王国の王子であるニコラスだろうと認識した。
表情は判断できないが心配してくれているということだけは声だけでも伝わってくる。
「ニコ王子様?」
「あぁ。公爵から聞いていたとはいえ本当に見えていないのか…。」
「輪郭はぼんやりわかりますよ?それに皆が支えてくださいますから不自由はしておりません。」
「そうか。だが見えるに越したことはないだろう。」
「フィリス、頼めるか。」
「はい。」
ニコラスに促されるまま椅子へと座ると凛とした声の女性であろう小柄な人物が近づいてきた。
彼女が聖女と呼ばれる存在だろうか?
そんなことを思っていると視界が一瞬暗くなったのと同時に電気でも帯びているようにスパークが飛び散った。
「っ!」
「リリアナ、大丈夫かい!?」
「えぇ、ただいきなりのことだったので驚いてしまって…。」
「いかがでしょうか。視力は戻られましたか?」
彼女の言葉で何度が瞬きを繰り返すと徐々に視界が開けていき、駆け寄ってきていた父と目が合う。
それと同時に彼の口元に満面の笑みが浮かんでいった。
「リリアナ!あぁ、リリアナ!やっとパパと視線が合ったね…良かった…。もう見えているのかい?」
「ええ。フィリス様でしたよね?」
「はい。」
「御尽力感謝いたします。」
「いえ、私は何も。そちらの女性の呪いで殆ど祓われていましたから。少しきっかけを与えたに過ぎません。…それにしてもこれほどまでの強力な黒魔術。貴方は何をされたのですか?」
いきなりそう問われ、何も答えることができなかった。
黒魔術師に対してということだろうが、一体私は何をしたというのだ。
確かにこの世界では悪役令嬢という配役にはなるが、幼少期に転生したことでそういった立ち振舞は学園でのセレーナに対してしたくらいで、両親の過保護も相まって他人に恨まれるようなことはないと思っている。
そんなことを考えていると声音だけでも怒りを露わにしていることがわかる父の言葉が聞こえてきた。
「聖女フィリスとはいえリリアナに無礼を働くつもりか。いくら仏のような心を持っている私でも許せないな。」
リリアナのこととなると常に般若の如く振る舞っているくせに仏の心とはどの口が言う!とツッコミを入れたくなったが、こんなシリアスな状況で軽口を叩けるほど私の精神は強くない。
無礼かどうかは別としても何かしたという言葉には些か困っているので父の反論はありがたい。
「先程の質問についてはお詫びいたします。しかし、この呪いは遥か昔に封印された禁呪と呼ばれるもの。黒魔術師だからといって簡単に扱えるものではありません。 」
「でしょうね。私にもそれなりに呪いの知識はあるけれど、ここまで複雑かつ邪悪な物は見たことがないもの。」
「先程のである程度系統はわかりました。私の方で少し調べてみます。もしよろしければ貴女も来ていただけませんか?」
「もちろんいいわよ。リリアナ、無理はしないでね。」
メアリーはそう言うとフィリスに案内され、階段を降りていった。
本来なら一緒に行くべきなのかとも考えたが、黒魔術師がいつまた現れるかわからないこの状況下では二人を危険に晒すことになる。
勿論二人以外なら良いという訳では無いが、セルジオやララは素人目から見ても熟練の騎士だ。
自分の身を守ることすら危ういならば彼らと居るほうが危険は少ないだろう。
ただ、私のために盾になろうとしたりしないかは心配の種だが。
「リリアナ、大丈夫かい?疲れたなら少し休もうか。」
「疲れてないよ?」
「それなら良かった。黒魔術師と呪いについては彼女達に任せるのが今出来る最善だろうし、少しアザレア王国を見て回るのはどうかな?」
「二人が私のために頑張って下さっているのに良いのでしょうか…。」
「確かにそうだけど、ここ数日視力が落ちていたからね。少し目を慣らすのにはちょうどいいだろう。」
「ルーディリッヒ公爵、それでしたら王家の庭へ。白百合が見頃だと聞いています。」
「ほらニコラス王子もそう言ってるよ?お言葉に甘えさせてもらおう。」
「ニコ王子様がよろしければ…。」
「もちろんだ。こちらへどうぞ。」
彼に促されるまま白い階段を登るとキラキラと輝く日の光に思わず目を細めた。
目を閉じていたわけではないため、そこまでのダメージはないが船の甲板は揺れるから危ないと船内ばかりで過ごしていたこともあり日の光は眩しく感じるのだ。
綺麗に舗装された白レンガの道の両側には色鮮やかな花々が咲き乱れ、遠くに天使彫刻が施された噴水が見える。
屋敷の庭もそれは丁寧に整えられていたが、流石は王城。
細部まで整えられた完璧な作りだ。
少し歩いていると温室のような建物の入口が見えてきた。
「リリアナ、あれが王家の庭の入り口だ。室内は20度位に保たれているから少し肌寒いかもしれない。もし…。」
「リリアナお嬢様、こちらをお羽織り下さい。」
「ララありがとう。」
「流石、用意周到だな。」
「ニコラス王子様のお手を煩わせるなど出来ませんから。」
綺麗にお辞儀をしながら言う彼女だが、言葉の節々に棘を感じるのは気の所為ではないだろう。
脱ぎかけていた上着を戻しながら苦笑したニコラスはゆっくりと扉を開いた。
「綺麗…。」
思わず口に出てしまうほど緑豊かなそこは先程の庭とは別世界のようだ。
遠くから水のせせらぎが聞こえてくるところを見ると小川でも流れているのだろうか。
見たことのない花ばかりでキョロキョロと視線を彷徨わせながら彼に続いて中へと入っていく。
「リリアナ、そんなに視線を動かしていると転んでしまうよ?」
「あちらの花もこちらの花もとっても綺麗でつい目移りして…っ!」
父に窘められたばかりなのに少しの段差に躓き転びそうになってしまった。
キャーなどと可愛い言葉は出なかったものの流石に焦って声が出そうになったが、誰かが支えてくれたようだ。
ゆっくり視線を上げるとニコラスが見え、焦った表情から安堵の表情へと変わっていく。
「怪我はしてないみたいだな…。」
「あ、ありがとうございます。問題ありませんわ。」
「それならいい。」
ゆっくりと起こされ体制を整えると額に青筋を浮かべた父の顔が映った。
窘められたのに転んだから怒ってる?
そう思いながら不安の視線を向けるとパッと優しい表情へと切り替わる。
「リリアナ、怪我しなくてよかったよ。ニコラス王子のお陰だね。私が助けられたのに。」
「いえ、大したことはしてないのでお気になさらず。」
無表情のまま彼の嫌味を華麗にスルーすると開けた先へと歩みを進めていった。
父の直ったはずの機嫌が急降下しているように見えるのは気の所為じゃないだろう。
ララやセルジオまでピリピリとした空気を纏っていて何だか居たたまれない。
そんなことを考えていたが、目の前に広がる満開の白百合に目を奪われ思考が停止する。
「相変わらず見事なものだね。」
「今年は例年より少し遅い開花だったのですが、父上も母上も安心していました。」
「リリアナ、この白百合は聖女の魔力の源であり、一つ一つが彼女達の魂と言われているんだ。だからこそ開花しないというのはこの国では一大事になる。と言っても遅れることは多々あってね。悪いことが理由とは限らないんだよ。」
にっこりと笑みを浮かべながらそう言った父にニコラスは驚いたような表情で聞き入っていた。
外交も担当しているだけあって他国の情勢や歴史にも詳しいようだ。
屋敷の書室にあった本だけでは見たことないこと知らないことばかりだと自らの勉強不足に小さくため息をこぼすのだった。