1. 目覚め
いつも通りの会社の帰り道。
乙女ゲームにハマっていた私は、残業することなく真っ直ぐ自宅を目指して車を走らせていた。
毎日の通勤路にある上り坂の緩やかな右カーブ。
慣れた手つきで軽くハンドルをきっていると対向車線を走っているトラックがセンターラインを大きくはみ出しているのが見えた。
やばい。
そう思ったときにはすでに遅く、ヘッドライトの強い明かりを感じたのと同時にすごい衝撃と痛みに襲われ真っ暗な世界へと誘われた。
これで人は死ぬんだと他人事のように思ってしまったのは事故の直前を覚えているからだろう。
隠しキャラの攻略できなかったなぁ、なんて遠くで考え。
残念だとひとり事を呟いていると何故か身体に不快感が襲ってくる。
何とかしたいと無理矢理瞼を開ければ、目の前にはフォワード巻きされたブロンドの髪と空色の瞳が印象的な美女とアッシュブラウンの短髪に翡翠色の瞳の美男が笑顔で覗き込んできていた。
え、この人たち誰?
そちらは目の保養になるけれど、私なんか覗き込んで何が楽しいんだろ。
突然のことに何度も目を擦ってみるが状況は変わりそうになく、ふと自分の手を見て驚いた。
なにこの小さな手!
え??
どういうこと??
私、アラサーとか言われる年齢になってたよね。
そろそろ結婚を考えなきゃいけないのか…とか言いながらゲーム三昧してた記憶ははっきりとある。
となるとこれは一体。
状況把握ができず、とりあえずで視線をさ迷わせていると男性から大きな腕が伸び、小さな手を優しく包み込んだ。
「パパの可愛いリリアナ。おめめを擦ったら赤くなってしまうよ。」
「お熱はもう無さそうね。」
「…?」
「3日前に倒れてからずっと熱が下がらなかったんだ。医者が言うには肺炎になっていたとか。パパは心配で心配で…。」
泣きながら言う男性のパパという発言から彼が父親で、その隣の美女が母親ということは理解できた。
そして私は"リリアナ"という名前らしい。
もしかしてこれはまさか…漫画とかにある転生というものだろうか?
そんなわけ無いと否定してみても、夢にしては感覚がリアル過ぎて否定しきれない。
それに私はあの事故できっと即死だったはずだ。
となると非現実的ではあるが" 転生 "という言葉が一番しっくりくる。
「リリアナ、もう少しお休みなさい。お医者様の話では明日には自由に動いて良いそうよ。」
優しい声色でそう言った女性はゆっくりと頭を撫でてくる。
眠気など全く無いはずなのに少しずつ意識は微睡んでいき、そのまま深い眠りへと落ちてしまった。
翌朝。
目を覚ますと昨日のような身体のぎこちなさはなくなり、想像していたよりも楽に起き上がったことに安堵する。
とりあえず転生が本当なのか確かめるべく、クローゼット近くにある大きな姿見へと歩きだした。
鏡から見えない位置で止まり一呼吸。
緊張しながらそっと鏡へ一歩踏み出すとそこには自然にウェーブ巻きされたブロンドの少女が立っている。
6歳くらいだろうか。
空色の瞳と人形のように整った容姿に転生万歳!と思ってしまったのは仕方がないことだろう。
純日本人の両親に生まれ、並みか並み以下の容姿でアラサーまで生きてきたのだ。
こんな綺麗な容姿に転生できるなんて…。
でも、ちょっと待って。
この容姿はどこかで見覚えがある気がするのだけど、どこで見たんだろう?
うーんと頭をかしげているとノックの音が聞こえてきた。
「リリアナ、目を覚ましたの?」
ゆっくりと扉が開くと二人の美少年が入ってくる。
私のことを知っているみたいだけど、誰だろう。
じーっと見ているとにっこりと笑みを浮かべ、優しく抱き締められた。
「父上からリリアナが良くなったとは聞いていたけど、本当に元気そうで良かった…。」
「心配したんだよ。」
「…。」
「あれ?今日はやけに大人しいね。」
「ウィリアム、ローレンス。リリアナは病み上がりなんだからあまり無理させないようにね。」
心配そうな表情をして入ってきたのは昨日、父と判断した男性でやっと二人から解放される。
彼らはウィリアムとローレンスという名前らしい。
しかし、どちらがウィリアムでどちらがローレンスだろうか。
見た目がそっくりすぎて正直見分けがつかない。
そんなことを考えていると父である彼に優しく抱き抱えられ、ベッドへと戻された。
「おはよう、リリアナ。」
「あ…おはようございます。」
「パパに敬語なんて…どうしたの?パパのこと嫌いになっちゃった?」
「え…?」
「うわぁぁぁん…パパ、リリアナに嫌われたら生きていけない。」
いきなり大泣きし始める父に心底焦った。
なんなんだ、この人は…。
元の私より大分若く見えるけど、父親ということは大人だよね?
泣いていても格好いいとは罪作りな人だ。
そんなことを考えていると双子の一人がすぐに口を開いた。
「父上、僕たちに対してもリリアナの反応はおかしかったよ。病み上がりで意識が混濁してるのかな。」
「そ、そうなのか…良くはないけど、パパを嫌いになっていないなら安心したよ。もう敬語は使わないでね?パパまた泣いちゃうから。」
「う、うん。」
「リリアナ、僕にもいつも通りにしてね。嫌われるようなことはしてないと思ってるけど、正直泣きそうなんだ。」
そういう少年の優しげな瞳は今は少し潤んでいる。
いつも通り…そうしたいのは山々だが目を覚ます前の記憶がないのだからどうにもできない。
"…いつも通りがわからない…。"
そう心の中で呟いたつもりだったのに声に出してしまったようで、父がすごい早さで男性を連れて戻ってきた。
いつの間にか母であろう女性も来ており、時折涙を見せながら心配そうに彼の言葉を待っているようだ。
「…高熱による記憶障害ですね。」
「記憶…障害…?」
「えぇ。肺炎による高熱が続いた影響で一時的に今までの記憶が無くなってしまっているようです。とはいえ、会話も正常にできていますし自発的に動いていたことを考えると脳に異常があるわけではないのでそちらは心配なさらずに。ただ、この記憶はいつ戻るかわかりません。もしかしたら戻らない可能性もあります。薬で治療できるような症状ではないので様子を見るしか…。」
そう診断を下した彼は医者なのだろう。
ご都合主義の設定。
こちらとしては大変ありがたいが皆黙り込んでしまっている。
それもそうか。
自分の娘がいきなり記憶喪失なんて親としては辛いだろう。
とはいえ、知らない記憶を思い出すこともできないためベッドに座りながらじっと彼らを見ていることしかできない。
しばらくするといきなり綺麗な笑みを浮かべる父。
先程までの沈んだ顔など無かったかのような明るい表情だ。
「脳に影響があるかもしれないと心配していたけど、記憶障害だけなら良かったよ。リリアナとの思い出はパパたちが覚えているし、これから新しく作れば何の問題もないからね。さて、記憶がないのならちゃんと自己紹介をしないと。私は君の父でアルバートだ。パパと呼ぶんだよ。」
「次はママの番ね。私はクリスティアというの。ママと呼んでね。」
「じゃあ次は僕かな。兄のウィリアムだ。ウィル兄様と呼ばれていたよ。」
「僕はローレンス。リリアナはロン兄様と呼んでたね。」
「見てわかる通りウィリアムとローレンスは一卵性の双子だ。」
「双子だけど僕の方が兄なんだよ。」
「双子なんだから兄なんてないよね。」
いきなり言い合いを始める二人はあまり気が合う方ではないらしい。
一卵性双生児なだけあってブロンドの短髪に翡翠色の瞳という全く同じ容姿ではどちらがどちらの判断をするのはやはり難しい。
間違えそう…。
そう思いながらもとりあえず家族については把握できて良かった。
しかし、何か引っかかる。
リリアナという名も双子の兄もこの両親も。
絶対にどこかで見た気がするのだ。
喧嘩し始める二人を見ながらこの引っかかりを解消するべく頭をかしげるのだった。