redemption
町の片隅の小さな公園で、僕と少女は出会った。目深にかぶったフードの中の肌が、月に照らされて青白く光っていた。足元には、二人と同じくらいの年頃の、少年が一人。
「ヒドイ怪我、救急車を……」
うろたえて言う僕に、少女は静かに言う。
「もう手遅れよ、残念だけど」
「なんで、こんな……」
僕は絶句する。変形し、変色した顔が、少年に向けられた暴力の苛烈さを物語っていた。
「それは……直接聞いてみるわ」
彼女は懐から何かを取り出すと、少年の死体の上にかざした。
「一体何を……」
よく見るとそれは、頭蓋骨の形をしていた。ガラスだろうか?透明な材質が月の光をレンズのように集めている。
「あと少しだけ……あなたの時間を……」
寒気がした。死体が、ゆっくりと動き出すのが見えたから。
「い、生き返った……?」
僕はかろうじて絞り出す。
「いいえ、残念ながら」
表情も変えずに彼女が言った。かたわらで、少年の体がムクリと起き上がる。
「あー、なんだ、見えにくいな」
「少年」のまぶたは腫れ上がっていて、そのせいだろう、視界が良くないらしい。
「でも、もう痛くないや」
少女は身をかがめ、フードを脱いで少年と視線を合わせた。
「あなたは、言い難いことだけど、死んでしまってるの」
わりと整った顔に、気の毒そうな表情が浮かぶ。
「よくわからないけど、そうなんだろうね」
地べたに座ったまま、少年は力なく言った。
「悪い人たち……私は知らないけど、その人たちに殺されてしまったの」
「それで、なんで僕は……」
腫れ上がった顔に、困惑の色が浮かぶ。
「やっつけるの、悪い人たちを」
彼女の目付きが鋭い。
「あなたはボロボロにされて命まで失ったわ。でも、相手はこれからものうのうと生き続ける……昔はワルかったとか言いながら」
彼女の口調に、挑発したり焚きつけたり、といった感じは無かった。心の底からの同情と怒りが込められているようで、真に迫るものがあった。
「その理不尽は、見過ごせないの」
「でも、ヤツらは……僕をやった奴らは3人組で、それに、僕は一対一でも勝てないくらいなんだ。やっぱり……」
言い終える前に、少女が人差し指を立てる。
「無理じゃないわ。今なら勝てる。未来を失った君は、全ての力を今夜出し切ることができる……何も止めるものは無いわ」
半信半疑、といった表情(だいぶ読み取れるようになった)の彼に、少女は少し微笑んで言った。
「心配しないで。上手くいくわ。それと……キミ!」
急に呼ばれて、僕はビクッとする。非現実的なやりとりを他人事のように眺めていた僕は、ここでは空気だったはずなのに。
「これからちょっと荒っぽいことになるの。よかったら何も見なかった、聞かなかったということで、お家に帰ってはどうかしら?夜も遅いし」
確かに状況が異常すぎて、正直言って怖かった。しかし、今一人で帰るのは、多分もっと怖いと思う。
「役には立てないかもしれないけど、僕にも何か出来ないかな?」
「……キミが手を出すと、普通に犯罪になってしまうわ」
現実的な話が、やけに奇妙に感じられた。
「正直、今君達と離れて一人で帰るのはちょっと怖いっていうか……」
情けないが事実だった。
「それに、なんかこのままじゃ胸糞悪いし」
それも事実だった。
「キミって正直なんだね。……いいわ、一緒に行きましょう。エドガー、お願い」
夜の闇の中から、黒猫がぬっと姿を現した。
「この子が案内してくれるわ。……不思議でしょう?」
ああ、まったく、何から何まで……
「念のため、これを着てくれるかしら」
彼女はフードの付いたパーカーを脱ぐと、少年に渡した。
「誰にも会わないとは思うわ。でも念のため」
少年は破けた開襟シャツの上にそれを羽織り、フードをかぶった。顔の痛々しい傷が、いくらか隠れる。
「ありがとう、えーと、なんと呼んだらいいかな」
「ユマでいいわ。君は?」
「コウイチです」
「よろしくね、コウイチ君」
不思議な少女と死者が自己紹介しあう。なんだか割って入る感じでもなく、僕は自分の名を言いそびれた。
黒猫に導かれて、奇妙なパーティーが歩く。住宅が点在する田舎町の夜。薄暗い街灯の下、あたりには人けが全く無い。
「この先は多分……」
コウイチが呟く。
「心当たりでも?」
小さいがよく通る声で、ユマが言う。
「廃工場がいくつかあって、そこに奴らの溜まり場があるんだ」
僕らの住む町は、今では見る影もないが、ちょっとした工業都市だったらしい。
「急ぎましょう。悪い人たちが待っている……」
かつて工場だった建物が数棟並んでいた。猫は迷うそぶりもなくそのうちの一つに入っていく。ドアもシャッターもボロボロに壊れ、アスファルトの床の端々から雑草が伸びている。
「この奥に、奴らが……」
コウイチはそう言って、歩を止めた。僕はスマホのアプリで周囲を照らす。
「心の準備は良いかしら。コウイチ君」
「ちょっと怖いかな」
「引き返す?」
「……いや」
静かだが確かな口調でそう答えると、彼は奥へと進み始めた。
工場の建物は造りが大きく、遠くまで見通すことが出来る。僕らのいる場所から近くはない場所に、薄明かりと数名の人影が見えていた。
「奴らです。隠れながら近づいてみましょう」
コウイチの言葉に、ユマは口を開く。
「こそこそする必要は無いわ。堂々と行きましょう。あなたは何も悪く無いのだから」
あと少し、というところで鋭い怒声が響いた。
「誰だ!……ああ、オメーか」
いかにもな身なりの少年が三人。何かに腰掛けて膝を並べている。声を上げていたのは真ん中の男だった。
「またイジって欲しいのか、この陰キャ!」
両隣りの男たちがニヤニヤと笑う。
僕らは無言で近づいていく。
「アア、シカトこいてんじゃねーぞ、ゴラァ!」
三人は立ち上がり、こちらに近づいてくる。
「嫌な顔をしているわ」
ユマがぼそっと呟く。
「ヤンノカ、アアー⁉︎」
「うるさい、黙れよ」
それはコウイチの声だった。
「ああ、今なんつった、陰
キャ?」
「黙れ、と言ったんだ、チンピラ」
「×××××」
よく聞き取れない唸り声をあげながら、男がコウイチの顔を殴った。
「イキッてんじゃねえよ、この陰……」
言い終わらぬうちに、今度はコウイチが殴りつける。いかにもおぼつかない、腰の入っていないパンチ。だが、男は後方に吹っ飛び、床に這いつくばった。何が起こったのか?空間が凍りつく。
「静かになった」
コウイチが言う、
「ざけんな×××××」
「テメー×××××××」
口々に叫びながら、残りの二人がコウイチに躍りかかる。コウイチは両手で二人の首を掴み、制止した。
「はは、両手がふさがって……」
頼りなげな口調とは裏腹に、男たちの足が地面から離れて行くのが見えた。
「すごい力だ」
僕は呆けたように呟く。
「後のない者の底力よ。今、肉が裂け骨が砕けても構わない、という」
男たちは痙攣し、どうやら気を失ったらしい。コウイチが、二人の体を無造作に放り投げるのを、僕はぼんやりと見ていた。
「別に命まで取ろうとは思ってないんだ。ただ、謝って欲しいんだ」
床に転がる三人に、コウイチは穏やかな口調で言った。
「そうしたら大人しく逝くよ」
最初に殴られた男がよろよろと立ち上がると、目を剥いて叫んだ。
「調子乗んな、陰キャ!」
そのままコウイチに体ごとぶつかっていった。
「さ、刺された……」
コウイチの脇腹に、ナイフが刺さっていた。
「どーせ俺ら、捕まっても大したことねーし!」
少年法のことを言っているんだろうか?
「ついでにお前の家族もブッ殺す!妹も犯ってやっかんな!」
「なんだと……」
「お前の親の目の前で、犯りまくる……」
コウイチが、思いきり股間を蹴り上げた。
「やっぱり、生かしちゃおけないみたいだ」
僕は、泡を吹いて気絶する人間を始めて見た。
「これは返すよ……あと、僕の名前は『コウイチ』っていうんだ」
そう言ってナイフを腹から引き抜いた。
「ち、ちょっと、これヤバいんじゃ……」
僕は慌てていた。このままだと……
「止めないで。コウイチ君には権利があるわ」
「権利?」
「自分の仇を討つ権利。だって彼は殺されたのだから」
「でも、やり過ぎのような」
「いえ、徹底的にやるの。中途半端はダメ。これは……破壊と再生の儀式なのだから」
よくわからない。彼女は、何者なのだろう……?
気絶した男にナイフを放り投げると、倒れた三人の男の頭を順に、まるでサッカーボールのように蹴った。
「さっきは、こうやって僕を『イジって』くれたよね。お返しだよ」
男たちの首があらぬ方向を向いている。僕は目を背けた。
「見なくていいわ」
ユマが言った。
誰も動かなくなった。コウイチは膝をつき、うなだれる。
「これで終わりかな」
「ええ、これで終わり」
ユマは柔らかな口調で言った。
「家族を守れたかな」
「大丈夫よ」
コウイチの顔に笑みが浮かぶ。その時……
「奴らの体が⁉︎」
僕は驚いて口走る。
倒れた三人の体が、きれいさっぱり無くなっていた。
視線をコウイチに戻す。いない。
「奴らは?コウイチ君は……」
「失われたわ。そしてその命を供物として、この世界は書き換えられるの。少しだけマシに……」
夜明けが近いのだろうか、工場の高い窓越しに、うっすらと白む空が見えた。
「さあ、私たちも行きましょう……」
僕はどこにでもいる普通の高校生。いつも通り学校に来て、自分の席に座る。
「よお、おはよう!聞いたか?転校生の噂?」
友人の光一が言う。朝から騒がしい奴だ。
「いや、知らないけど」
「女の子らしい」
そう言われてみると、教室全体がどこか浮ついたような騒がしさに包まれている。
「あとさ、隣のクラスのヤンキー三人、停学になったって」
「へえ、そうなんだ」
厄介ごとには関わりたくないものだ。毎日平穏に……
何故か空席の隣の机を眺めながら、僕はそんな事を思った。