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時を刻む水時計  作者: るりまつ
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地図上で触れた指先



 帰宅した途端、母さんに言われた事に過剰反応し、僕は初めて、母さんに言うべきではない事を言ってしまった。


 すぐに後悔した。

 けど、口から出てしまったものは仕方ない。


 今さら反抗期?浪人のストレス?八つ当たり?

 違う……。

 僕は苦い思いを飲み込み、それ以上余計な事を口にするのを避けるため、何か言いかけた母さんを廊下に残して、そのまま二階に駆け上がった。


 あれから、松本さんが海から上がって来たのが10時くらい。

 そしてウェットスーツを着たままの松本さんと、砂の付いたサーフボードをオデッセイの荷室に乗せて国道に戻り、松本さんの希望に従って、こっそり水道の使えそうな広いコンビニを探していると、驚いた事に、駐車場の片隅にコインシャワーの設備のあるコンビニを見つけた。


 それから、彼女が1分100円の温水シャワーを浴びている間に、僕は公衆電話から家に電話を掛けた。

 その日、母さんは仕事が休みだったので、まだ午前中だし、当然家に居るだろうと思った。

 けれど長い呼び出し音の後、電話は留守電に切り替わった。仕方ないので取りあえず、


『朝、コンビニに行ったら友達にばったり会ったので、そのまま成り行きでドライブに出てしまった』


 と、適当な伝言を残して電話を切った。

 それから少し考えて、財布に残っていた6枚ほどの10円玉を、全て集めて公衆電話に投入すると、母さんの携帯にも電話した。

 しかしこちらも出る気配がなく、留守番電話に繋がった。

 そしてその途端、入れた10円がストストと音を立てて緑色の電話の中に落ち始めた。

 僕は早口で「あいま友だちといて夕方にかえるから心配し…」

 と大体言ったところで、全てのコインが落ちて通話が切れた。


 しばらく受話器を手にしたまま考えた。

 もしかして、僕が行方不明になったとか、事故にあったんじゃないかと心配してるだろうか。

 でも、母さんは出掛けてる。

 もし僕の事を心配しているとしたら家にいるだろうし、携帯にだって一目散にでるだろう。


 出掛けて、電話には出られない理由が、あの人にもあるのだ。


 僕は深く考えるのはやめて、シャワーを終えてスッキリした顔で戻ってきた松本さんと、店に入ってジュースとおにぎりを買い、それから再び車に乗って下道でゆっくりと船橋を目指した。


 松本さんは僕のツナマヨおにぎりの包装を外してくれて、まだ片手運転に自信の無い僕の口元に、そのおにぎりを運んでくれた。

 僕としてはそんな事される方がずっと慣れていないわけで、逆に緊張で口が渇いてしまい、海苔が上あごに張り付くし、飯粒は喉につかえるしでもう大変な状態。

 そうすると松本さんはケラケラと笑いながら、『なっちゃん』のペットボトルの蓋を開けて、

「はいっ♪」

 と両手で可愛く渡してくれたりなんかして……


 そのクセ、僕の気をワザと散らそうとして、つまらないギャグを飛ばし、僕が全然その意味が分からなくても、お構いなしに一人ウケして笑ってる。

 それで案の定、僕はまた似たような景色の続く畑道で迷子になり、仕方なくサツマ芋畑の脇にオデッセイを停めてロードマップを広げると、松本さんが「ちょっと私にも見せて」と言って、助手席から身を乗り出してきたから、僕は運転席と助手席の間にその地図を見やすいように広げて置いた。


 まだ濡れた長い髪を左手で抑えながら、


「今どこ?」


 と言って小首をかしげる。


「えっと…『板橋』ってとこらしいんだけど……」


 と、僕は畑の横に立つ電信柱に書かれた地名を言い、聞いたこともないその場所を、地図上に人差し指で探した。

 すると松本さんは、


「ああ、板橋?なんだ、もう『年少』の近くぢゃん!」


 と言ってさらに僕の方に顔を寄せてきた。


「年少?」


 僕が思わず問い返して顔を上げると、松本さんは地図を見ながら、


「そう、少年院」


 と言って、クスッと笑った。


 笑った時、唇の端が、日焼けして赤くなったほっぺたにキュッと食い込み、きれいな前歯がのぞいた。


 ドキッとしてその口元から目を逸らすと、身を乗り出した水色のTシャツの、ゆったりとたわんだ衿ぐりから、小麦色の鎖骨と、それよりもう少し下の、白いままの左の胸のふくらみに、小さな黒いホクロがあるのが見えた。


 僕の目は、不覚にもそのホクロに釘付けになってしまった。


「あった!」


 突然、松本さんの指が、地図の上で止まったままの僕の人差し指の前にある『板』という文字を押さえた。


 その時、指先と指先が触れあって、僕は咄嗟に自分の人差し指を丸めて手の中に隠した。

 すると『橋』という字が現れて、そこが『板橋』という地名だと判明した。


 思わず覗き見してしまった胸元と、触れてしまった指先に、僕の顔は熱くなる。

 けれど彼女は、そんな僕の動揺には全く気付いてない様子で、あっけらかんと、


「板ショー。うちの高校のわりと近くにあるんだ。ウケるでしょ?」


 と言って、また笑った。

 何がウケるのか分からなかったけど、取りあえず心を落ち着かせ、その少年院の近くまで地図の通りに行った後は、もう松本さんとしては勝手知ったる道だったらしく、彼女の言うとおりに進んで行くと、四街道市に入り、佐倉市を抜け、八千代市を通り、僕も良く知る地名が出てきて、無事に船橋市に戻って来れた。


 そして松本土木興業の前に着き、サーフボードを降ろし、朝と同じく半分閉じたままのシャッターの中に彼女が消えるのを見届けた。

 それから僕は、すっかり用済みの3本のエロビデオを返却しにもう一度車を発進させ、予定よりだいぶ早く、三時過ぎにはなんとか帰宅できたのだ。


 誰もいないと思って鍵を開け、無言で玄関に入ると、母さんの、普段は履かないハイヒールが雑に脱いであり、洗面所から水音が聞えてきた。





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