心の気流の乱れる予感
不意打ちの「好き」という言葉は、高校生になってようやく男子の春を謳歌しようと思っていた矢先に、女子から全く相手にされなくなってしまった僕の心に、ボディーブローのようにじわじわと効いてきた。
顔が徐々に熱くなり、返す言葉が浮かばない。
いかん。こんなコ前にして赤くなるなよ。
僕は動揺していることを、彼女に気付かれたくなかった。
それは何というか、過去に多少なりともモテた気でいる僕のプライド。
そのプライドを守るため、僕は僕と同じくらい冴えないわりには、どこか大胆不敵な佐藤美由紀から、会話の主導権を取らなくてはと思った。
「あのさ……中3の時、手紙くれた佐藤さんだよね?」
僕がクールを装い話しかけると、ドーナツの穴の奥にある、更にメガネの奥の小さな瞳がパッと輝いた。
「わ、覚えててくれたんだ?嬉しい!!」
そしてドーナツを両手で口元に持って行き、そのまま上半身をメトロノームのように左右に大きく揺らし始めた。
食べないのかよ。
その動きの意味も掴めない。
「覚えてると言ってもその……君自身の事は、実は全然知らなくて……」
「え」
揺れる彼女の身体と表情が、右に傾いたまま一瞬、固まる。
「あ、つまりその……学校に佐藤美由紀さんて大勢いたし……」
慌てる僕の言い訳に被せるように、彼女は意外にも朗らかな調子で言った。
「そうだったんだ!じゃあ私のことを知っててキライだから、図書館来てくれなかったワケじゃないんだ?知らなかっただけなんだ?良かったー」
……あんまり前向に捉えられるのも困るんだけど、まあここで
『君に興味が無かったから行かなかっただけ』
と、とどめを刺す事も無いだろう。
そう思って、僕は静かに一口、コーヒーを啜った。
「そうだったんだー。良かったー」
佐藤美由紀は、心底ホッとしたように同じ事を繰り返すと、指先にちょこんと摘まんだドーナツをようやく齧り、伏し目がちにモグモグと咀嚼し始めた。
そのスピードはかなり早い。
噛む度、彼女の鼻の下がリスのようにちまちま動く。
それに合わせて徐々にメガネが下がってくる。
僕はそれを観察している。
指はやはり太い。
なぜだろう。
彼女がドーナツを食べている。
リスのように食べている。
ただそれだけの事に、僕はなんだかイライラしてくる。
心の気流が乱れる予感。
やっぱり来るべきじゃなかった。
訊きたいことだけサッサと訊いて、早くこの場を切り上げよう。
彼女が食べ終えるのを見計らい、僕は軽く咳払いしてから単刀直入に訊ねた。
「あの、佐藤さん……ところでさ、さっきレジで言ってたウワサって何?」
すると佐藤美由紀は鼻の下を動かしながら、小さな瞳をキョロッと上げた。
そして自分のグラスに手を伸ばし、唇をすぼめてアイスティーをストローでちゅうちゅう音を立てて吸い上げ、口の中の物をコクリと喉へ流しこみ、胸をトントン叩いて呼吸を整える仕草をしてから、
「うふ。気になる?」
と言って、僕に微笑みかけた。
動作のいちいちが芝居掛かっている気がして、それがどうにも受け付けない。
「いやそれはまあ、そんな事言われたら気になるよね普通」
「うふ。そうだよね。じゃ教えてあげる」
いいから、もったいつけてないで早く言ってくれ。
「あのね」
「うん」
「春田君がね」
「うん」
「サーフィン始めたって聞いたの」
「はい?」
「びっくりしちゃった」
「誰が?」
「私」
「佐藤さんが?」
「そう」
「サーフィンを?」
「違うって、春田君が。びっくりしたのが私」
「僕がサーフィンを?」
「そう」
……びっくりした。
そりゃびっくりしたのは君じゃなくて僕だ。
「僕はサーフィンなんてやってない」
「うそ」
「嘘じゃない」
「そんなこと言って、内緒にしようとしちゃってー」
指をピストルみたいにして僕をうりうりと指差す。
「な、内緒になんてしてないよ。だってやってないんだから。誰がそんなこと言ってるのさ?」
「私の友達」
「君の友達?中学の時の??」
「そう。うふ」
佐藤美由紀は短く笑った。
その単なる相槌のような無意味な笑いが、何だか薄気味悪くなってきた。
「佐藤さん。僕が今、浪人中なのは……」
「もちろん知ってる。そこの佐ゼミ通いだしたでしょ。英語の単科だよね、7月6日の月曜から」
僕は無言になった。
顔が引きつる。
そして彼女は話し続ける。
「うふ。もっといっぱい知ってる」
この子は……
「松本梨花と、海行ってるでしょ」
なんで……
「でも、あいつと関わらない方が良いよ」
僕の事を……
「あのヤリまん女」




