懐かしの ダンキンドーナツで待ってます。
午後三時半。
僕はPERIKOの1階、西日の当たるダンキンドーナツのテーブル席に、銀縁眼鏡の女の子と向かい合わせに座っていた。
僕の前には、グラスに水滴の付いたアイスコーヒー。
そして彼女の前には、アイスティーとドーナツが5個、皿いっぱいに盛られていた。
……事の成り行きはこうだ。
「お久しぶり」と、大人しげな見かけによらず、大胆にも声を掛けて来た彼女。
けどよくよく見ても、僕は彼女の顔に見覚えが無かった。
大体からして見覚えがあったなら、彼女のレジに並ぶわけがない。
身に着けた熊笹書店のエプロンには、マチスポの力石店員と同じく、PERIKO共通の名札が、きっちりと留められている。
『 スタッフ・佐藤 』
佐藤、佐藤、佐藤……
僕はこれまでの18年間で、何人の佐藤さんと接してきただろう。
ある意味、変装とも取れるほどの無個性な容姿に、このありふれた苗字ときては……
僕が頭の中で小、中、高の卒業アルバムをハイスピードでめくっている間に、彼女はポスレジの脇に置いてあるメモ用紙に、ボールペンでスラスラと何かを書いて、それを素早く雑誌と共に薄茶色の紙袋に入れると、
「ありがとうございました」
と言って、にっこり微笑んだ。
けど、その笑顔も厚みある眼鏡のレンズに遠く阻まれ、人物特定の役には立たない。
「あ、あのー…」
誰?
思わず口に出かかった時、彼女が、
「お次の方、どうぞ」
と、接客口調に戻って後ろの客に呼び掛けたので、僕は仕方なく彼女から紙袋を素直に受け取り、そのまま熊笹書店を去った。
そしてそれからすぐ、通路の片隅でメモ用紙を確認した。
そこにはこう記されていた。
『3時にバイトが終わります。1Fのダンキンで待ってて下さい
佐藤 美由紀 』
団子虫を転がしたような小さな丸文字。
それを見て、僕はようやく一つの記憶に思い当たった。
中三の時、教室の机の中のノートの間に、そっと挟まれていたあの手紙。
『今度の日曜、高根図書館の歴史A−2の本棚の前で待ってます』
その封筒の裏に、佐藤美由紀と書かれていたのだ。
そしてその当時、僕の通っていた中学に、佐藤美由紀は5人位はいたと思う。
鈴木由美子に至っては、三年間で最高7人。
その中で、かなり可愛いい鈴木由美子が三人いて、男子の間では、勝手に人気投票なんかされて騒がれてた。
けど、同じくらい複数いる佐藤美由紀の中の誰かが、何らかの学校行事において話題に上る事は一度も無かった。
ただその名前が、校内にわりと広く分布している事は、生徒の誰もが、なんとなく認識はしていた。
総生徒数1000人近いマンモス校で育った僕ら。
同じ学年でも、クラブや部活、委員会なんかに入らなければ、他のクラスの奴らと接点なんて全く無い。
僕は書道部の部長を一応はやっていたけど、元々他人に関心が薄かったので、名前と顔の一致する奴なんて、
ほんの一握りだった。
全校集会でよくぶっ倒れる子とか、大声出すとか、違う意味で目立つ奴は、一応認知してたけど。
そして僕は、手紙をよこした佐藤美由紀が、複数いる中のどの子なのか、あえて突き止めようとはしなかった。
理由は前にも言ったけど、女の子にまだそこまで興味無かったのと、その名前で、可愛いと評判の立つような子なんていなかったから。
それより同じクラスでもない子に、勝手に机の中身をいじられたかと思うと、正直ちょっと気味悪かった。
また、こうも考えた。
『僕の成績を妬む、暇なバカによる巧妙な罠なのでは?』
今思うと、そんな事を考える僕の方が、よっぽどの自惚れバカなんだけど、実際、学校ではそういう類のイタズラが流行ってたのだ。
よそのクラスの、僕と同じ高校に行った奴は、机の中に、無修正のエロ本を入れられた事があり、それが女子に見つかり、先生に没収されて一悶着あった時は、本当に成績がガタ落ちしてしまった。
「あの時は軽蔑のまなざしと嘲笑の中、教室に居るのが勉強よりも辛かった」
と、高二で同じクラスになった時、そいつは悔しそうに語ってくれた。
僕としては、今ならそういう罠は大歓迎だけど。
……とにかくそんな訳で、うっかり真に受けると、大恥をかかされる危険性もあったので、学校内に点在する佐藤美由紀をこっそり探して、どの子なのか確かめようともしなかったし、結局手紙も捨てて、無視を決め込んだのだ。
彼女が、あの時の……?
僕は知りたい。
残念ながら、僕の好みのタイプではない。
ただ気になったのは、彼女の一言もらした、
「あのウワサ」
の事だった。
僕のことを、どこで誰が、どんなウワサをしているのか。
それがどうにも気になった。
で、僕は今、その『 佐藤美由紀 』を目の前に、何を話していいのか分からず、取りあえずストローの刺さったコーヒーを、ブラックのまま一口飲んだ。
「春田君はコーヒー、ブラックなんだ」
現時点で、まだ正体不明の彼女は、わりとフレンドリーな口調でそう言った。
そして僕のトレーに置かれた、未開封のミルクとガムシロップを見つけると、
「それ貰っても良い?」
と訊いてきた。
甘党なのか?
「どうぞ」
僕はそう言って、彼女の既に味付け済みの、白濁したアイスティーをチラリと見た。
彼女は嬉しそうに肩をすぼめて「うふ」と言うと、素早く僕のトレーに手を伸ばし、ガムシロップとミルクを掴んで、封を切らずにそのまま自分のトートバックの中に入れた。
使わないのかよ。
その行動の意味を測りかね、彼女の顔をじっと見詰める。
彼女は中学時代から今に至るまで、いつもだか、たまにだかは知らないけれど、僕のことを思い出しては、誰かとウワサしてたわけだろう?
……けどやっぱり僕の方の記憶には、彼女の『 顔 』は無いのだ。
「その目付き、こわー」
「え?」
気が付くと、難解な問題集を解く時みたいに、眉間にものすごい力が入っていた。
僕は慌てて、寄せられた眉と眉の間を二本の指で擦った。
「でも、そこがとっても好きなんだけど」
佐藤美由紀はそう言って、
むっちりした指先でドーナツをひとつ摘まむと、その穴から僕を覗いてクスクス笑った。
……マジで、誰?




