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時を刻む水時計  作者: るりまつ
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小さすぎるプライスカード


 そして八月も終わりに近い、厳しい残暑の日。


 僕は予備校から帰る途中、津田沼の駅近にあるファッションビル、PERIKOに寄り道をした。

いつもなら自転車で家に直帰するけど、まだ模試の結果も出て無くて、なんとなくソワソワ落ち着かず、本屋で立ち読みでもして気を紛らわそうと思ったのだ。


 自転車をPERIKOの裏手に停めてチェーンを掛ける。

 予備校から少し走っただけなのに、止まった途端に額から汗が流れ出す。

 僕はテキストと辞書の詰まった書類カバンから、白いフェイスタオルを取り出して額を拭った。

 けれど、後から後から噴き出す汗に面倒臭くなり、そのままそれをぐるりと頭に巻いた。


 これは初めてババさんの農作業を手伝った時に貰ったタオルで、薄手だけど良く使い込まれていて、一度ギュッと縛ればズレることなく、気持ち良いほど頭にフィットする。

 タオルの端には黒いマジックペンで「馬場」と書いてあり、ババさんの苗字が馬場なのは間違いないのだけど、なぜかアクセントを後ろのバにつけて普通に Baba' さんと呼ぶと、火が付いたように怒られるし、磯野さんもそうしているので、前アクセントでBa'baさんと呼ぶようにしている。

 何かパトワ語と関連するババさんなりのこだわりがあるのかもしれないけど、その辺りは余計な事を覚えたくないので、敢て触れない。


 鉢巻きをしたまま、黒い書類カバンを片手で肩に引っ掛け店内に入ると、エアコンの風が全身の汗を一瞬にして冷やす。

 このツンと乾いた冷たさが、以前は好きだった。

 けど最近は少し苦手。

 松本さんと海に行く時、海辺の道を車の窓を全開にして走る風の心地良さや、マテバシイの森の木陰の風の爽やかさを知ってしまったからかもしれない。

 

 そんなことをぼんやり思いながら、エスカレーターで上階に向かう。

 平日だったけど、夏のクリアランスセールの真っ最中で、

『50%〜70%オフ』

 という赤いPOPに誘われて、カラフルで刺激的なデザインの服を着た女の子達が、たくさん買い物に来ていた。

 それを横目でチラ見しながら本屋のある階を目指していると、途中、ヒップホップのリズムが流れる、一段と賑やかなフロアーがあり、そのエスカレーターの踊り場に、派手にディスプレーされた、水着を身に付け、サーフボードを携えた男女一組のマネキンが目に入った。

 

 そして僕は、無意識にその階でエスカレーターを降りてしまった。


 そこは横乗り系スポーツ、いわゆるサーフィンやスノーボード、スケートボードの用品と、ファッションアイテムの品揃えで有名な『マチムラスポーツ』が幅を利かせたフロアーで、僕と同じ年くらいの若い買い物客でごった返していた。

 露出度の高いタンクトップや超ミニスカート。

 そのくせ夏だと言うのに、ニットキャップを被っていたり、ブーツを履いていたりとメチャクチャな格好。

 男は何と言って良いのか、僕には全く表現不可能な服の着こなし。

 そして男女とも共通しているのは、土気色といっても良いような不自然な顔の黒さと艶の無い茶髪だ。

 僕がいつも松本さんをお連れする『Kanaloaサーフ』の連中も黒いは黒い。


 けど、何か違う。


 あそこにたむろってる奴らは、僕が野蛮人と名付けた通り、野生そのもの。

 日焼けした皮膚の下に血の気がみなぎり、ちょっとやそっとじゃ死にそうもない筋肉バカに見えたけど、この店にいる奴らはどうも必要以上に装飾品を付け過ぎだし、化粧も濃いし、なんだかケミカルで不健康そう。

 そう思いながら、僕は騒々しさに紛れてケミカル軍団の間を縫い、店の奥に見えたサーフボードの方へフラフラと進んで行った。


『Kanaloaサーフ』は僕のような、サーフィンに限らずスポーツと縁の無いような人間は決して入るべからず的な空気が漂っている。

 あれからあそこには計10回くらい通っているけど、いつも駐車場止まりで、未だに中に入った事が無い。

 最初のうちは、松本さんも行く度に「寄ってく?」と小首を傾げて誘ってくれたけど、そこに青シャツの姿(もちろん日によって白や赤を着てる事もある)を見つけると、僕は奴をチラリと見て、奴も僕をチラリと見て、それからお互いフン、と視線を外し、僕は僕でマテバシイの森へ向かう。

 一度、スケボ男と目が合った時があって、その時はコーラをくれたお礼に、僕も一応会釈はした。

 するとそいつは、相変わらず三日月みたいな細い目で、斜めに構え、キャップのツバに手を掛けて、口元でニヤッと笑い返してきた。

 けどその時、僕はなぜだかその表情に嫌な気分がしなかった。


 ……まあそれはいいとして、兎に角そんなわけだから、僕は毎週のようにサーファーという人種と接していながら、サーフショップという場所には入った事が無かったのだ。


 本当は興味があった。

 でも、気にしないようにしてた。

 いや、ワザと目を背けていると言って良いだろう。

 松本さんがすっかり夢中になってるサーフィン。

 いつも大事に抱えているサーフボード。

 いったい何がそんなに、彼女を魅了するのか。


 僕は挙動不審者のように辺りを見渡した。

 衣料品コーナーではケミカル軍団が商品を広げては棚に戻して、目ぼしい物を漁っていたけど、

 サーフボード用品のコーナーには僕以外、客は誰もいない。

 インチキ臭さなら、僕も他の客も同じようなもんだ。

 ここならどさくさに紛れて、僕のような場違いな人間でも、安心してサーフボードを間近でじっくり見る事ができる。

 尖った先を上にして、ラックに立たせるように並んだボード達。

 売り場の天井に届きそうなほど長い物もあって、それは先が円い。

 ババさんや磯野さんが持っているのと同じタイプだろうか。

 今までGOOD2GOでも、ババさんは野菜の話しかしないし、磯野さんは来てもすぐ寝てしまうから、サーフィンの話は聞いたことが無い。

 長さや形の違いは何なのか。

 象牙のようにツルリとしたその素材は何なのか。


 僕がそっと手を伸ばし、その中の一つに触れた時、



「それ良いっすよね。島村鉄彦のハンド・シェイプなんすよ」



 と、若い男の声がした。



 そこに『 168,000円 』と書かれた小さなプライスカードを発見したのは、その直後のことだった。







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