ファースト・・
口が腫れてたせいもあったけど、僕と松本さんは帰りの道中、ほとんどしゃべらなかった。
松本さんの行きつけのサーフショップなのに、僕のせいで気まずい去り方をしてしまったからでもある。
けれど本当の理由は、それとは全く別に起こった。
松本さんは、スケボー男に貰った冷たいコーラを、運転する僕の左頬に当ててくれていた。
正直、ブレーキを踏むたびに、その缶がぐりっと頬に押しつけられて、逆に痛かったりしたんだけど、その間、松本さんが心配そうに僕の方に身を乗り出し、見ていてくれるのが秘かに嬉しくて、僕は黙って松本さんのするようにされていた。
何だかんだで30分くらいそうして貰っていたのだろうか。
そのうち松本さんの手の温度と、缶の温度が変わらなくなった頃、車は広いT字路の、赤信号で停止した。
青い道路標識は直進すると『片貝・銚子』
左折すると『八街・四街道』に行く事を示していた。
僕らはここで左折する。
朝、来た時と同じ道。
御宿という文字を見て、妙にワクワクしたあのT字路だ。
ここを曲がって、あとはもう家に帰るだけ。
今日はいったい、僕にとってどういう日だったのだろう。
馬鹿にされたり殴られたり……やたら感情を刺激され、疲れただけに思える。
実りの無い一日。
貴重な勉強時間を無駄にしてしまった。
僕は深くため息をつき、その信号が青に変わるのを待っていた。
多分、頭の中は、さっきのサーフショップの事や、マテバシイの森で出会ったあの二人の事とか、色んな事を考えていたはず。
すると、腫れた左の頬に、
なにか缶とは違う、柔らかいものが触れた。
そして離れた。
その柔らかさに、僕の今までの経験が思い当たらず、
反射的に横を向くと、すぐ間近に、松本さんの顔があった。
小さくて可愛い顔。
僕が「何?」と訊こうと口を開きかけた時、
今度はそこに、松本さんの唇が近づくのを見て、
そしてそれが、そっと押し当てられるのを感じた。
不思議な音がした。
それは初めて聞く音だった。
つまり僕は、キスされたのだ。
松本さんの方から。
そしてすぐに助手席に身を引いた彼女の大きな瞳と、
そのピンク色の唇を、ぼくは間抜けな顔して交互に見ていたと思う。
すると、
「信号、青に変ったよ」
と、松本さんが言って、ニコッと、まるで普通のことみたいに笑ったので、僕は慌てて前を向いてブレーキをアクセルに踏み変えて急発進。
それきり僕は、松本さんの方を向く事も出来ず、その柔らかい感触については、運転中は一切考えないようにして、船橋の家に帰り着くまで、お互い一言も話さなかった。
僕のファーストキス。
それは幸運な事に、大好きな松本さんと、ささやかに成し遂げられた。
けれどあの時、どうして彼女はキスをしたのか。どんな意味があったのか。
その後、色んな事がある中で、僕はいつか訊こうと思っていたけれど、
それは結局、確かめられないままだった。
引き続き、『時を刻む水時計2』をお楽しみください




