売られたケンカと缶コーラ
僕のちぐはぐな格好を、訝しげに見る松本さん。
仕方ないので頭を掻きながら言い訳する。
なるべく口の右側だけを使って。
「や、実は鼻血レちゃって……着替ぇたンら」
「着替えたって……どっかで買ったの?ソレ」
「やー……貸して貰って、、、」
「誰に?」
「えとー……近くにいた人、、、」
「近くにいた人?その人がそれ貸してくれたの?ショートパンツまで??」
松本さんの矢継ぎ早の質問に滑舌悪く答えながら、僕はババさんが、野菜を刻みながら言ってた事を思い浮かべた。
ここは店と言えば店だ。
けど集団で押し掛けて来て騒いだり、煩しい事を言ってくる奴はお断りなんだ。
深い森の奥に、ひときわ大きく伸びた一本のドングリの木。
その木と一体化した不思議な小屋。そこにいるゴリラとライオン。
それについて話したら、松本さんはどんな反応を示すだろう。
きっと『行きたい、行きたい!」と大はしゃぎするに違いない……。
僕が説明しようかどうか迷っていたら、
「おい梨花、早く弁当食わせろよ!オトモダチ、帰って来たからもう良いだろ??」
と、焦れたように青いTシャツの男が叫ぶのが聞えた。
「ちょっと待ってよぉ!」
振り返り、大きな声で答える松本さん。
良く見ると、ウッドデッキのテーブルの上に、ペットボトルや飲み物の缶の他に、いくつか皿が置いてあり、盛られているのは、どうやら松本さんが作ってきた弁当のようだ。
松本さんは『戻って来たら、一緒にお弁当食べようね』と言っていた。
重そうなバックパックの中には、僕と彼女の二人分だけでなく、親切にサーフィン仲間達の分もたっぷり入っていたわけだ。
「ね、春田、とにかくさ、お昼食べようよ。みんなと一緒に。みんな待っててくれたんだよ、春田の事。ちゃんと紹介するから。ね。ねね?」
ね、を繰り返すたび、小首を傾げて僕の腕を軽く揺さぶる。
これはきっと彼女のクセ。
中学の頃は知らなかった。
だって触れられるほど体が接近した事なんて、まず無かったから。
僕は腫れた顔で引きつり笑い。みんなと一緒にお昼食べよう?紹介するから??
午前中、この駐車場で受けた屈辱感が再び甦る。
ババさんと磯野さんと出会った事で、僕は今まで自分の中には無かった、『人種』の違う奴らとも話をする必要性と、それによって打ち解けられる場合もある、という事を頭の中では理解しかけていた。
けれど今日はもう無理。
これから彼らとランチタイムを過ごすのは相当な苦痛に思える。
僕一人なら、からかわれたり馬鹿にされるのも我慢できそうだけど、できれば松本さんの前では、勘弁してもらいたかった。
だから僕は、なるべく顔をしかめ、辛そうな表情を作って言った。
「ごめん……実は口の中も切れれれ、とても食べれれそうになくて……それにちょっとアタマ痛いから、弁当、みんなれ食べれ来れ。終わるまれ、僕は車の中れ寝てるかららい丈夫」
それを聞いて、松本さんは悲しげな表情で、僕の左頬をじっと見た。
それから僕の腕をギュッと握って大きく頷くと、
「分かった。じゃあ春田、もう今日は帰ろう!可哀そう……そんな顔になっちゃって!!」
と言うなり、僕の返事も聞かないままウッドデッキに駆けて行き、お昼ご飯のお預けを喰らっていた野蛮人どもに何かを告げ、同時に、男達の「え——っ!!」という非難の声が上がり、その中で青Tシャツの男が不満を露わに、
「んだよ、さんざん待たせて、、、だったら一人で帰らせろよぉ!オマエは俺が家まで送ってやるからさぁ」
と言うのが聞えた。
他からもブーイングが飛び交っていたけれど、僕は聞えないふりをして、明後日の方を向いて立っていた。
やっぱりこいつらと一緒にいる気にはなれない。
ただでさえ殴られた顔がズキズキするのに、この馬鹿どもに、これ以上プライドまで傷つけられたとしたら耐えられない。
松本さんが残ると言うなら、僕は一人で帰るさ。
そして二度と、こんな場違いなところには来ない。
僕は右手で、黄色いランニングのもみじみたいな葉っぱを握りしめ、それを隠すように左手で覆った。
『 ……また来い 』
ババさんの声が、再び耳に響いた。
けれど僕は、それに対して首をそっと横に振る。
松本さんが、長い髪を揺らしながらペコペコと彼らに謝っているのが見えた。
そしてバックパックを肩に掛けると、店の壁に立て掛けてあった自分のサーフボードを抱え、
「すいません、すいません、お先でーす」
と言ってまた頭を下げた。
それに対して何人かの男と、例のカミナリ様みたいな女の人が手を上げて笑顔で応え、それから青Tシャツがおもむろに立ち上がり、デッキの外にツバを吐いた。
そして松本さんの後に大股で付いて行き、彼女のサーフボードを奪うように取り上げて、僕の方に向かってズカズカ歩いてきた。
僕はそいつから目を逸らし、オデッセイの後部にまわって荷室の扉を開けた。
「さ、帰ろ、帰ろー」
明るく言う松本さん。
青Tシャツは、僕の前に立ちはだかると、サーフボードの先を突き付けるようにして差し出した。
僕は目を合わせないままアゴだけで会釈して、それを受け取り、荷室の中へ置こうとした。
その時ボードの先が、奥に押し込めてあったスチールのデッキチェアーに当たって、『コツン』と鳴った。
大したこと無い小さな音。
けれどそれを聞いて、そいつが一言、口を出した。
「おい、もっと丁寧に扱えよ、サーフボードってのは割れやすいんだぜ」
僕の中で、サーフボードより頭蓋骨がカチンと音を立てて割れそうになった。
そしてそいつの方を向き直ると、大きく息を吸い込み、その目を初めて、自分のほうからガッチリ見据えた。
額の奥から、何か強烈な力がギューッと湧き起こる。第三の目とか言うけど、もしそんなものがあるとしたら、今まさにカッと開きそうな気がした。
それは今だかつて僕が感じた事のない程の『怒り』の感覚だった。
ガンを飛ばす。
恐らくそれを、今僕は、生まれて初めてこの男に対してやっているのだろう。
「何だよその目は。なんか文句あるか?この、アシ野郎」
「アンタらって、たらの荷物持ちらろ?」
僕の意志では無く、眉間に集中したエネルギーが勝手に男に言葉を返す。
松本さんが息を飲むのが聞えた。
「んだとぉ?」
青Tシャツの顔色が変わった。
「ちょ、ちょっとやだ、二人ともぉ、、、ねえどうしたの春田、そんな怖い顔してぇ」
松本さんが僕の前に周り込み、胸を押しながら青Tシャツから僕を引き離そうとした。
「梨花、邪魔。あっち行っとけ」
青Tシャツが表情も無く言う。
その意味を理解して、僕は、僕を庇おうとしている松本さんを後ろに追いやり前へ出た。
また殴られたって構わない。ババさんの強烈なパンチに比べたら、こんなカス野郎に殴られたって、屁でもない気がした。
それどころか今なら根拠は無いけど、コイツをぶっ飛ばせそうに思える。
けれどその時、タイミング悪く、いや、結果的には実にタイミング良く、睨みあう僕と青Tシャツの間に、例のキャップを被ったスケボー男が割って入った。
スケートボードの後ろの部分を、アスファルトに擦り付けるように急停止。
その『ズガッ!!』という、歯に響くような不快音が、青Tシャツと僕を正気に戻した。
スケボー男は、ヘラヘラと笑いながら、
「もーさぁ、つまんない事やってないで、早く食おうぜぇ。梨花ちゃん、また来週ね。今度は一緒にスケートやろうね〜」
と、のんびりした口調で言い、青Tシャツの首に腕を回して後ろを向かせ、ポンポンと背中を叩いて歩くように促した。
それから右手に持っていた物を、こちらに向かってヌーッ、と長い腕で差し出してきた。
「お友達に。その顔、良く冷やさないとヤバいよ〜」
それは水滴の浮いた缶コーラ。
そして僕の腫れあがった顔を見ながら、帽子の下でコッソリ笑った。
もしかしたら単なる見間違いかもしれないけれど、その表情に、朝見た時ほどの冷たさは感じられなかった。
張り詰めた空気が緩んで行き、ホッとため息をついた松本さんが、僕の代わりに「ありがとう」と言って、差し出されたコーラを受け取った。
青Tシャツは「けっ」と言って、またツバを吐き棄て、スケボー男は青Tシャツの肩に手を置き、その歩きに合わせてスケートボードを滑らせながら、ウッドデッキの方へ引き上げて行った。
それで僕と松本さんも、Kanaloa Surfを出発した。
後味が悪かった。
何故かと言うと多分。
常に悪意を持って接していたのは、彼らでは無く、僕の方だったから。




