バビロンの犬ってどんな犬??
心臓がギュッ!と縮まり、それが今度は破裂して、口の外へと飛び散るかと思った。
僕は手を高く上げ、大きく伸びをしたまま瞬間冷凍。
その状態で、男の声が再び聞こえた。
「何の用だ」
でも、言われた事が頭の奥まで到達しない。
窓の外の青い空が、緊張による目眩のせいか、遠くなったり近くなったりして見える。
そして背中が丸ごと耳になったみたいに、聴覚が全て後ろの男に注がれてる。
僕が声も出せずに、硬直したまま座っていると、いきなり革椅子の背もたれが、後ろにガクンッ!!と倒された。
「ひゃはぁっ!!」
口から変な声が出た。
そして不意に仰向けにされ、恐怖に引きつる僕の視界の右斜め上から、黒い縄状の、のれんみたいなモノがバサッと現れ、その中で、大きな二つのギョロ目が僕の事を睨んでいて……
「はゎゎゎゎ、、、」
で、そのギョロ目の威力と負けないくらい大きな鼻の、左の小鼻にキラリと光る細い輪っかが見え、茶色い粘土の塊りを雑に寄せ集めたみたいな、立体感あふれる顔を縁取る縄のれんが、いわゆる『ドレッド・ヘアー』と気付いた時、男の分厚い唇が開いた。
「何の用だって訊いてんだ、聞えないのか」
尋問されながら、レゲエかぶれのアイツの顔が頭をよぎる。
あの頃、アイツはスポーツ刈りだった。校則に従って。
大人になったら、きっとこんな見事なドレッドヘアーにするのだろう。
いっそのこと、この男がアイツだったらいいのに。
でも残念。アイツはもっと醤油顔だった。
それにどう見たってこの男は僕より十は年上だろう。
僕は歯医者の診察を受けるような格好で、目の前に急に現れた男を茫然と見上げていた。
写真以外で、こういった特殊な髪型の人を見たのは、生まれて始めてだった。
上げたままの両腕が、細かく震えるのは恐怖のせいか、それとも感動のせいなのか。
しかしそれを判別するのは、今は無理そう。
男が太い眉を寄せ、それから丸い目をひんむいて僕の顔を訝しげに見て言った。
「……アンタ、新入社員か?」
新入社員……?
何の事か分からないので黙っていると、ドレッド男はイラついたように舌打ちして、
「ボンボクラッ!!」
と、突然叫んだ。
と同時に、倒れていた革椅子の背もたれが、蹴られたような強烈な衝撃と共に元の位置に跳ね上がり、僕はその勢いでバネ仕掛けの人形みたいに、カウンターテーブルの上に前のめりに放り出された。
「あうわわわ……」
何が起きたのか良く分からないまま、テーブルに置いてあった自分の書類カバンを掴み、それを反射的に頭に掲げて防御の態勢を取る。
そうしながら男の方を振り向いて、
「すす、すいません、勝手に入ってひまい・・・すいません、すいません!!」
と、必死にぺこぺこ謝った。声が不様に裏返る。
そんな僕の情けない姿を見て、男は吐き捨てるように言った。
「ばびろんわこんどわなんだってこんなばてまんをよこしやがった」
へ……?
何か呪いのような言葉が、僕の頭の中を字幕のように横に流れていった。
けど、それは僕の知ってる日本語、古語、英語、その他の言語にも引っ掛からなかった。
「あたらしいさくせんか?」
男は腕を組みながら続けて言った。
多分今度は『新しい作戦か?』と言ったんだと思う。
だとしても意味不明。
僕はカバンの陰から、ゴリラのような男の顔色を伺った。
すると男は、大きな鼻に深いシワを寄せてから、ゆっくりとした調子で言った。
「カネは先月払った。足りない分は、来月って言っといたはずだ」
「……かね?」
「そうだ。集金に来たんだろ?」
「……集金?」
僕がポカンとして訊き返すと、ドレッド男は恥ずかしそうに呟いた。
「違うのか?……なら忘れてくれ」
そしてまた鼻にシワを寄せ、小鼻の銀色の輪っかをちまちまと弄りだし、それからハッと何かを思い出したように、大きな拳で手のひらをポンと叩いた。
「便所の件か。それなら去年とっくに設置した」
僕は返事のしようがなく、ただ黙って目をしばたかせた。
すると男は、得意気に両手を前にヌッと突き出して見せた。
「手も常に清潔にしている。髪は……一週間前に洗った」
便所?手??誰もそんなこと訊いて無いし。
ていうか、髪、洗ったって一週間前???
それ、僕よりひどいんですけど……
聞いた途端に、その長いドレッドヘアーから、ホンワリと懐かしい学校雑巾の臭いがして来た気がして、僕は顔をしかめ、頭を防御していたカバンを鼻の前にずらして男の顔をじっと見た。
すると男は、急におどおどし始めて、僕の顔だけでなく、書類カバンと、白いポロシャツとチノパンツ、それから車の運転のために履いてきた、足に慣れた高校の時の黒い革靴をジロジロと見た。
そう。それが僕の今日という日の決めの服装だった。
「……保健所じゃないの?」
「……違います」
僕は、キッパリ答えた。
「まさか……アレか?」
「あれ……?」
男は急に、声をひそめた。
「アレだろ?信じろ、一切、栽培してない。種、一粒として所持していない」
そして、天を仰ぐ真似をして、今度はバカみたいに大きな声で叫んだ。
「ラスタの神に誓って。ジャーノウッ!!!」
はい?なに言ってんだ……??
「栽培……て、何の話ですか??」
「……刑事じゃないの?」
「刑事!?!?、、、のワケ無いじゃないですか!!どう見たって違うでしょう、何で僕が、、、」
「ウソつけ!油断させようって魂胆か?!バビロンの犬め!そんな格好しやがって!!」
バビロンの犬
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問1)条件反射の実験は
答:パブロフの犬 正解
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問2)バビロン第1王朝を建設したセム系民族の名称は
答:アムル人 正解
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……て、犬もアムル人も、僕の格好と関係ないし!
や、まてよ確かBC1830、城壁の絵によるとあの装束は……って、ソレどうでもいいからっ!!
全く意味が分からない。
しかし、ドレッド男は僕のせいで苛立っていて、その理由は、勝手に小屋の中に入ったという事とは何か少し違うみたいだ。
どういう訳か、僕をどっかの役所の、使いっぱの一人と勘違いしているらしい。
なのでとにかく、誤解を解く事から始めなければと思った。
「勝手に入った事はスイマセン、、、あああの、けど、僕はアムル人ではないです」
「アムル?!何言ってんだ、当たり前だ!このバテマンッ!!」
バテマン
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問3)バテレン 『満ち足りております』 と言ったのは?
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「ザビエル!!」
突然、バテマンと、もの凄い勢いで怒鳴られて、恐怖に怯えた僕の頭が、勝手な答えを口走る。
すると男が、そのでたらめな問答に、急に目を光らせ反応した。
「……アンタ今、何て?ザイオン?ザイオンて言った??」
いや、言わないけど、、、ザイオン?
ザイオンてなんだっけ……ザイオン、ザイオン、、、
えーと、確か、確か、、、どっかで聞いた事がある…
あっ! それもアイツの得意語…… 『神の国』だっ!!
この非常時にそんな事を思い出し、なぜだか嬉しさが込み上げた。
そしてそれと同時に、アイツの言ってた色んな言葉が浮かんでくる。
ザイオン = Zion = 神の国
バテマン = Batty man = オカマ、腰抜け
ボンボクラ = Bumboclaat = ふざけんな
そうだ、思い出した、パトワ語!英語が訛ったジャマイカの言葉だ。
僕もドレッド男も、頭の引き出しに入ってる言葉が全然違う。
そのせいでお互いの言いたいことが一向に通じない。
けどこの場合、小屋に不法侵入した僕の方が、歩み寄るのが筋だろう。多分。
だからまずは、挨拶からやり直そう。彼ら流、ジャマイカン・スタイルで!
今ならこの男を、抱きしめてやれそうな気すらしてきた。
そう、これしかない。
アイツがいつも僕らとやりたがって、
無視されてたこと、第2弾!!
僕はニヤリと笑い、書類カバンを、カウンターテーブルの上に投げ捨てた。
「お?」
ドレッド男が、短く言って身構えた。
僕は構わず胸を張り、右の拳を握りしめ、それを宙に向かってひょいと突き出し声高に叫んだ。
「 や・ま————————————んっ♪♪ 」
その瞬間、僕の笑顔に男のパンチがめり込んでた。




