『童貞を捨てたかったら御宿に行け』
見渡す限り田んぼだらけの、のどかな風景。
その中を真っ直ぐ、歌う松本さんを乗せて走る白いオデッセイ。
前をのろのろ走る車も、後ろから煽る車もいない。
陰りの無い青空の下を、ただひたすら走るだけで良い。
開け放した運転席の窓枠に右肘を乗せて、左の片手でハンドルを握る。
たったそれだけの事なのに、カッコ良く運転できてるような気がして、なんだか僕まで、松本さんと一緒に歌いたくなってきた。
心が解放されていく。やっぱり出掛けて良かった。
松本さんが海に入っている間、時間を潰すためにと思い、僕は数冊のテキストブックと、短編小説を持ってきた。
それから家の物置に仕舞いっぱなしになっていた、軽いスチール製のリクライニング・チェアーも二つ持ってきた。
僕と彼女のために。
そのリクライニングチェアーを砂浜に置いて、僕は潮風に吹かれながら例えば英単語を覚える。
それこそ歌のように口ずさんでみたりして。
頭がいっぱいになって来たら、サーフィンを楽しむ松本さんの姿を眺める。
そこにいる僕は、げっそりと顔色が悪く、頭にオウムの冠羽のような寝癖をつけた僕では無く、こんがりと日焼けし、爽やかな笑みを浮かべながらCMのように冷たいポカリを飲んでいる。
そしてひとしきり勉強した後は、そのままウトウトうたた寝し、しばらくすると、そこへ海から上がった松本さんが駆けてきて、僕の名前を呼んでキスを……
「春田!」
単調な一本道で、うっかりそんな妄想にふけっていると、本当に名前を呼ばれてギョッとした。
「なにボーっとしてんのぉ?もうすぐ右折だからね、しっかりしてよ?」
そう言われて見てみると、どこまでも続くかのように思えた道の先に、信号機が見えてきた。
ゆるやかに速度を落とし、停止線できっちり止まると、松本さんはフロントガラスの方に大げさに身を乗り出し、
信号機の上に掲げられた青い道路標識と、膝の上に乗せて開いたロードマップを見比べながら
「128号、間違いなーし!」
と、指差し確認しながら満足げに言った。
そこは見通しの良いT字路で、標識は、左折すると『片貝、銚子方面』
そして右折すると『御宿、鴨川方面』へ行かれる事を示していた。
サーフィンをしない僕でも、その地名くらいは知っている。
千葉県民なら、いや千葉じゃなくても、関東に住んでいて海が好きな人なら、一度くらいは訪れた事がある場所なんじゃないかと思うくらい、どちらも有名な場所だ。
銚子は犬吠崎にそびえ立つ、すっきりと白い大きな燈台で知られていて、醤油の産地。
昔、NHKのドラマの舞台にもなった事のある観光地。
一方、御宿は海水浴場として有名だ。
エメラルドグリーンの海と、長い白い砂浜には、『月の砂漠』の歌碑と、ラクダに乗った王子様とお姫様のブロンズ像がある。
それと共に、僕が個人的に思い出すのは、高二の夏休み中に、
『童貞を捨てたかったら御宿に行け』
という言葉と共に語られた、クラスメイトの武勇伝だ。
僕らは夜、そいつの家に集まって、自動販売機で買った甘い缶チューハイなんか飲みながら、鼻の穴とズボンの前を膨らませながら、その体験談に聞き入った。
けれど、のちにエロビデオを見るようになって思ったけれど、そいつの話の2/3くらいは、作り話だった気がしてならない。
それでも、御宿がナンパのメッカだと言うのは本当らしく、最後の一線までいけるかどうかはともかくとして、
可愛い女の子と出会えることが多いのは確からしい。
実際、僕らの裏参考書、『プレイボーイ』や『ホットドッグプレス』なんかでも、ナンパ成功率の高い海水浴場として紹介されていた事もある。
電車でもアクセスの良い場所なので、車が無くても簡単に行かれるから、高校生にとっては、湘南に次ぐ、憧れのビーチの一つだった。
そして後日、友人達はすぐに真似して御宿に行ったけれど、僕は根っからのインドア派だったので行かなかった。
というわけで、未だに僕だけ童貞だというウワサ。
そんなどうでも良い記憶を辿っているうちに信号は青になり、僕は松本さんの指示通り、そのT字路を右に。
すなわち御宿方面へと向かった。




