時代遅れの歌謡曲とおもちゃインストラクターという仕事
松本さんの通う短大は、高校のあった八街市ではなく、その隣の四街道市にあるという事を、僕はその日初めて知った。
彼女と約束した木曜日、僕らは、ゆっくりめの朝9時に家を出た。
父さんはとっくに『新浦安に新しく出来た支店』とやらに出勤してしまった後で、母さんはパートに出る前で、家にまだいたけれど、洗濯やらなんやらが忙しいみたいで、「気をつけてね」と言われただけで、わざわざ見送りには出て来なかった。
松本さんちの誰かが、シャッターの下から顔をのぞかせる事も特に無かった。
そして、朝の渋滞とは逆方向に、わりと的確な松本さんのナビゲーションに従って、裏道を選んで進んで行くと、四街道市の住宅地から駅前へと続く広い二車線の国道に出た。
イチョウ並木の見通しの良い道を、少しスピードを上げて走っていると、松本さんが不意に助手席から手を出して、左前方を指した。
「ここ、あたしの短大」
「え?」
指された方に目を向けると、高い木に囲まれた公園みたいな場所に、尖った塔のような教会らしき建物がチラリと見えたけど、それはすぐ後方へと去って、見えなくなってしまった。
そう言われてみれば、四街道駅の方から青々と葉を茂らせた並木の歩道を、田舎にしては、それなりにオシャレをした女の子達が、ちらほらと歩いている事に気がついた。
彼女達とは逆方向に進むオデッセイの助手席で、松本さんは前を向き、全開の窓に肘を付き、ラジオから流れる、少し時代遅れの歌謡曲に合わせて鼻歌を歌ってる。
短大の授業のスケジュールというのが、一体どういうふうに組まれているのか。
そんな事、僕にはさっぱり分からない。
けれど、一年生になったばかりの、平日の木曜日。
丸一日サボってしまって大丈夫なのだろうか。
今さらながら気になって、僕がその事を訊ねると、松本さんはいつもの呑気な調子で
「だいじょ—ぶ—」と答えた。
……まあ、本人が大丈夫と言うのなら、それは別に構わないのだけど。
それから一応、「何科なの?」と訊いてみると、松本さんは
「ふくし—!」と答えてくれたので、
「何の福祉?」と訊くと、
「こども—♪」と、朗らかに言った。
僕は黙って、しばらくスピーカーから恨み節のように聞こえてくる、女性ヴォーカルの苦悩の声に耳を傾け、それから念のためもう一つ訊いてみた。
「卒業したら、松本さんは保育園の先生かなんかになりたいわけ?」
すると彼女は、形の整えられたスッキリした眉をギュッと寄せて、
「う—————ん、、、」と唸った後、
「それか、おもちゃインストラクター」と答えた。
僕はその突拍子もない答えに、前を見ながら、目を二、三度しばたかせた。
なんだか、鼻クソの粒の付いたCDが、前触れもなくツッと音飛びしたような気がした。
彼女としては恐らく『それか』と言う前に、唸りながら色々考え、言おうとした事があったけど、まあ、それを省いたのだろう。
それより僕は、
「おもちゃインストラクター」
という、その時初めて聞いた言葉を、確認するように口に出して言ってみた。
「そう。資格とれるんだって」
「ふーん……」
僕はそういう資格があるという事に、非常に興味をそそられた。
それがどういう内容で、どういう目的のもので、何の役に立つのか知りたいと思った。
けれど多分、松本さんに訊くと、その答えが微妙にずれた方に向かって行って、ついには自分が最初に何を知りたかったのか、分からなくなってしまいそうな気がしたので、もし僕が本当に知りたいと思っているなら、取りあえず帰宅してから自分で調べる事にして、
「なんだか夢がありそうな資格だね」
とだけ答えて、あとは松本さんの鼻歌に耳を傾けつつ、運転に集中するようにした。
それから、もう短大に関する事柄は、彼女の方から言ってこない限り、僕からは質問しないようにした。
もし彼女が『児童福祉』という事に対して、真剣に取り組んでいるのだとしたら、授業をまるごとサボってサーフィンなんて行かないだろうし、それに田舎の短大とは言え、キャンパスライフを満喫しているのなら、松本さんの性格なら、嬉々としてその一部始終を僕に語り聞かせてくれるだろう。
けれど彼女は、昨日買ったばかりのピンク色の携帯電話を、白いパーカーのポケットから出してチラリと見ただけで、あとは八街市の丸い大きな葉をしたサトイモ畑に挟まれた農道に入るまで、何も語らず、ただラジオに合わせて退屈そうに鼻歌を歌い続けていた。
それでも、景色がサツマイモ畑から丈の低いピーナッツ畑に変わり、瑞々しい稲の植えられた田んぼ道に変わっていくにつれ、その表情も、次第に生き生きとしてきて、
「早く着かないかなー」
と、窓から顔を出し、風に長い髪を散らしながら、待ち遠しそうに呟いた。
それ以外は拍子抜けするほど大人しく、無言で座っている事の方が多く、この前、一緒に海に行った時みたいに、ダジャレ連発のテンションも無く、サーフィンのことについて、得意の宇宙語で熱く語られる事も無かった。
ただ時折、携帯と一緒に彼女の脇に置かれた、ピンク色の長財布を取り出して、中を開いては、何かを眺めているようだった。




