ヘイトスピーチと商業作品
某「なろう」発の作品に於いて、ヘイトスピーチと取られる記述があり、またその作者が過去にTwitterで同様の発言をしていたとして、アニメ化が中止、出版停止になるという騒ぎが起きている。
この事件を聞いた時、最初に思い浮かんだのは。某ラノベ作家が、所謂「ネット右翼」的な描写を作中で表現しようとした時、担当編集者さんに「その表現で、一体誰が幸せになるんだい?」と言われ、その部分を修正した、というエピソードだった。
今回問題になった作品に関しても、そう考えると担当編集者さんの脇の甘さが原因の一つと思えてならない。
昔のラノベ作家や漫画家は、デビューと同時に担当編集者さんから「ネット禁止令」が出たそうだ。それは、「作者の耳に入る雑音を遮断する」という意味と、「揚げ足を取られかねない言説の発信を遮断する」という意味、その二つがあったという。
ところが、現在の編集者は積極的に「ネットでの発信」を勧める。「Twitterなどは宣伝効果が大きい」と、そのやり方を具体的に説明する人もいるようだ。それでいながら、その発言内容を監視することもしない。
さて、今回の問題。まず本文中に、主人公が前世で、日中戦争に於いて中国大陸で大虐殺(と取れる内容)をしていたという記述。これは、「中国」や「日中戦争」と特定する必要はなかったはずだ。また、作者の過去のTwitterの発言に関しては、担当編集者がその危険性を訴えて、当該発言ログを非公開乃至は削除するという処置を、書籍化の段階でしておけばよかった話だ。これは、どちらも編集サイドの問題である。
例えば、拙作「転生者は魔法学者!?」(n7789da)には、「大勢の意思」と書いて「ロウソクデモ」とルビの振られた箇所がある。また、「日本が嘗て侵略し征服した某国の国土の其処彼処に、日本人はこの杭を打ち込んだ。征服された国の民は、彼らの民族精気を断ち切る為に打ち込まれた呪いの杭だと恐怖し、祖国解放が成った後、国民総出でこの杭を抜いて回ったという記録がある」という記述もある。
前者は、もし拙作が書籍化されることがあったら、当然修正の対象になるだろう。何故ならここでは、「大勢の意思」=「衆愚政治」=「ロウソクデモ」と紐付けている意図が明白であり、同時に「ロウソクデモ」が某国の流行語にもなりまたその結果を誇っているという現実から、その「某国」に対する誹謗と解釈出来るからだ。
一方、後者は修正の必要はないだろう。「日本が侵略したという事実はない」と主張する人もいるだろうが、このあたりは見解の相違の一言でしかないし、「呪いの杭」の説話は、某国に於いて〝そう言われていること〟が事実であり、同時にそれを否定する為には「呪い」の実在性(或いはそれが測量の為の杭であることの否定)を証明する必要があるからだ。
それがヘイトに類するか否かの問題ではない。他者を貶める表現で金銭を得る。それは、近代社会に於いては恥ずべきことのはずだからである。
私は、今回の問題が「ヘイト」か否かは、問題ではないと思う。ただ、それを読んだ相手が不愉快に思う内容を、商業作品に、或いはTwitterというツールを使い公衆に向けて無思慮に公開した(過去に公開したものに対して対処しなかったこと)こと。これが問題だろう。
だから、「あいつがやったら許されるのに、俺がやったら許されない」という意見は、筋が違う。
問うべきは、作者の羞恥心。そして、編集者の怠慢だ。
現実の、特定の個人や団体を貶めなければ作品が成立しないというのなら。何故『異世界』がこれほど持て囃される? 誰を否定する必要もなく、誰を批判する必要もなく、純粋に理想を描くことが出来る。それが「異世界ファンタジー」の最大のメリットではないだろうか?
現実ではあり得ないご都合主義も、現実ではあり得ない周りの人間の善良さも。
それは、現実ではあり得ない、特定の誰かを批判することなく否定することなく、けれどそれを写し取ってその間違いを指摘出来る。それが、『異世界』の良い所ではないだろうか?
「ファンタジーとは、最も純粋に現実を確認する方法だ」と述べたのは、誰だったろう?
にもかかわらず、あまりに明け透けに「現実」を移し、そして特定の「誰か」を誹謗した。
そして、それが「作中の演出」ではないと、わざわざTwitterで補強までして見せた。
同時に、それを担当編集者は止めなかった。
なら、この一件は批判されて当然だ。
『ライトノベル』は『エッセイ』とは違い、作者の思想信条を主張する場ではないのだから。
(1,864文字:2018/06/08初稿)