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第五話 八月

 俺は、手の中にあるチケットをジーっと見た。俺は一学期期末試験の特別賞受賞で、このチケットを手に入れた。そして、教員旅行にくっついて行ける。誰かもう一人を誘って。

 しかし、その誰かは柏葉の推しによって柏葉妹に決まってしまった。おかげで夏休みが始まってから二週間経った今でも、俺の家にチケットを譲ってくれないかと言いに来る輩がいる。いいからお前らは夏休みの宿題でもせっせとやってろ、って言いたいもんだ。あいつらがありなら俺はキリギリスだ。あいつらは高校も、その先の将来も行く宛てがある。しかし、俺は無い。だから、夏休みだろうが遊んでいて、あとは適当に親父にいいように進路を決められるだけだ。出家させられて高校生活三年はずっと修行、ってのも充分ありうる。しかし、それならこの一年だけは待ってほしい。せっかくみんながいる最後の年だ。最後まで楽しみたい。

 俺はそんなことを縁側で考えていた。俺が勝って以来、親父は毎日将棋で俺に挑んでくる。だが、毎回負ける。子供の頃から仏教一筋で、将棋は始めての癖に、町内会とかで強いように振舞うからボロが出ないように本当に強くなりたいらしいのだ。

 俺は親父が十回目の『待った』をして一生懸命考えている間、またチケットを見た。出発は八月四日。明後日だ。具体的には何も準備していない。草野先生によると、必要なものはほとんど無いらしい。財布と、着替えと、あと携帯電話とかカメラぐらい持っていけばいいと言っていた。機械音痴の親父を持つ俺の家に電子機器があるはずがない。どうやら俺は財布と着替えを持っていけば充分らしい。未だに畳を取り換えた時の出費が響いていて俺の財布はさびしいが。

 その次の日も、親父が俺に挑戦し続け、負け続けていた。すると、昼ごろ俺の家に柏葉がやってきた。柏葉が来たのを理由にして将棋をやめ、部屋に連れて行った。

 俺は座布団を二つ出して座った。

「何だ柏葉。何かお知らせでもあるのか?」

 柏葉はこの二週間も元気に陽気に遊んでいたのだろう。かなり日焼けしていた。おおかた、毎日女子に誘われて市民プールに行っていた、とかそんなもんだろう。

「さっすが京介。お見通しってわけか。明日の旅行、朝六時に駅前の広場に集合だってさ」

 俺はため息をついた。

「マジかよ、朝六時・・・・・・夏休みでそんな時間に起きるのはラジオ体操やってた小学生のとき以来だぜ。老人は起きるのが早いな」

「まあ、老人って言っても山門先生、草野先生、そして竹内先生ぐらいだぜ。数学の林先生は四十ぐらいだし、体育の桂谷先生は三十台、そして赤崎先生に至っては二十代だ」

「あれっ? 行くのはその六人だけか?」

「ああ、他の先生はやることがあるんだってさ」

「なるほど・・・・・・俺達は暇な先生共の暇つぶしに旅行に行くってわけか」

「まあまあ、無料でいけるんだし、いいじゃんいいじゃん」

「じゃあ、明日、六時に駅前集合だな?」

「ああ。それじゃ、俺連絡係だから、じゃあな!」

柏葉はそういい残して去った。

 縁側に行くと、親父はまた途中で居眠りしていた。お経の途中で居眠りしたりしないか心配だ。まあ、一応親父は仕事の時はビシッとしているらしい。

 それから数分すると、綾野が尋ねてきた。またずいぶんとおめかしをして、美しく魅せていた。

「あ、漆山君! 柏葉君来なかった?」

 ははーん、こいつも柏葉追っかけ隊か。俺は柏葉の去った方向を指差して答えた。

「柏葉なら、もう次の家に行ったぜ」

「あ、じゃありがと!」

綾野はそういい残して柏葉の行った方角に急いで歩いていった。そんなに一緒にいたいかね。

 俺はそう考えて沈黙した。・・・・・・一緒にいたいことは別に悪くは無いんじゃないか、引き止めてまでも一緒にいてもいいんじゃないか。そんな気持ちが頭をよぎったので、俺は取り払うように手を振って自分の部屋に戻った。


 朝だ。小鳥が鳴いている。眠いな、昨日はワクワクして眠れなかったからな。小学生のようだ。今は何時だ? 時計を見なければ・・・・・・。

「え? 六時二十分?」

 俺は飛び上がるように布団から起き上がった。そして、急いで服を着替えて、朝ごはんも食べずに廊下をだだだだだっと走って、玄関で急いで靴を履いて、家を飛び出した。

「しまった! 財布と着替えを忘れた!」

 何故独り言を言っているのかはわからなかったが、俺は急いで家の中に戻り、部屋に戻って適当なかばんに服を適当にばばばばばっと入れた。そして、財布をつかんでかばんの中に放り込んで、そしてまた玄関に行って靴を履いた。そして、家を飛び出して学校までの長い坂を下り、学校の校門で左に曲がって、走って走って走って走りまくって、歩道橋を上って下りて、じれったい信号を待って、やっと駅前に着いた。

 そこには誰もいなかった。しまった・・・・・・! 遅刻してしまったか! せっかくの夏休みの楽しみを・・・・・・!

「やっほー、京兄!」

と、聞きなれた声がすると、春子ちゃんが俺の背中を後ろから叩いた。

 振り向くと、そこのマクドナルドの中にみんながいた。俺はマクドナルドに入った。

「いや〜、しかしまた草野先生は自分で設定した集合時間に遅れてますね」

と、若き国語教師赤崎先生は言った。

「まあ、とにかく漆山君が来てくれてよかったですね」

と、数学の林先生が言った。

 春子ちゃんは俺の背中をぺしっと叩いて言った。

「そーだ! 京兄が来なければ、チケットがなくて春子も行けないところだったんだぞ!」

 よかった、みんないる・・・・・・草野先生の遅刻のおかげで俺は助かったと思った。

 俺はみんなが連れてきた人を見た。俺が招待したのは柏葉春子。柏葉は綾野を招待したみたいだった。綾野も招待されたときは死ぬほど嬉しかったに違いない。そして黒木が連れてきたのは・・・・・・。

 俺はぎょっとした。美奈子だ。黒木は美奈子を招待していた。美奈子は俺が見ているのを見て、ぷいっとあっちを向いた。

 とりあえず俺は座れといわれた。柏葉は俺を、美奈子の対面席に座らせた。おいおい、やめてくれ・・・・・・俺は・・・・・・今はまともに美奈子と向き合えないんだ。そう言いたかったが、いえるはずも無いので、俺は黙って下を向いていた。

「あっ、漆山君、何そのかばん〜!」

と、黒木が言った。

 俺は自分のかばんをみた。なんと、かばんのチャックが締め切っておらず、パンツが一つぶら下がっているではないか!

「あぁっ!!! 何だこれ! ははははは」

 俺は慌てて隠してごまかすように笑った。ごまかせてなかったのはわかっていたが。

 しかし、これを見て美奈子がちょっとクスッと笑った。俺はそれを見て少しほっとした。よかった。完全に嫌われたわけじゃなさそうだ。

 先生がドリンクを買ってきてくれた。俺は丁寧に礼を言って飲み始めた。

 すると、いつもの高級車がマクドナルドの前にいきなり止まった。あまりの急さに、俺は思わずドリンクにむせてしまった。高級車の中から、草野先生が出てきた。

 山門校長先生は言った。

「草野先生! 何でまた遅刻したんですか!」

 草野先生は余裕の笑顔で言った。

「ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉ。まあいいじゃないか。電車の始発もどうせ六時半まで来ないのであり、みんなもちょっと和むことが出来たようなので」

 山門校長先生を始め、竹内先生や林先生、桂谷先生、赤崎先生はみなため息をついた。俺も先生だったらこんな人に仕切られたくはない。でも一応、自己主張する年配のベテランには誰も勝てないのだ。

 俺達は荷物をまとめ、電車に乗った。電車で旅行って・・・・・・交通まで安上がりな旅行だ。一応誰もが私服だったので、それほど目立ちはしなかった。

 そして電車に揺られながら、途中で特急に乗り換え、特急の中で快適に過ごすこと六時間! 途中で草野先生が乗り換える特急電車を間違え、鹿児島の方に行ってしまった。やっと俺達は目的の場所に着いた。別府である。なんと、今回の旅行は別府で温泉だったのだ! 去年の『草野先生の手作り壷』とはずいぶん違う賞品である。もし試験で頑張れば結果的に柏葉兄妹と一緒に別府温泉に来れるなどということがわかったら、俺はおそらく特別賞を取れないぐらい、一学期の期末試験は白熱していたであろう。

 俺達は特急から降りると、延々、山奥の宿まで歩かされた。泊まる旅館に着く頃にはもう日は暮れかけていた。

「やっとついた〜」

と、綾野が口から漏らしていた。

 旅館はオンボロであった。誰もが『うわぁ・・・・・・』というコメントをもらさずにはいられないほど。温泉の町・別府にこんなボロな旅館があっていいのかと思うほど、オンボロな旅館であった。つるされた大きな看板には『草野温泉』と書いてあった。俺達はみんな、いやな予感がした。

「何なんだ、この旅館・・・・・・始めてみるのに嫌な予感が」

と、柏葉は言った。

 俺達が着くと、中から何歳だか知れない老婆が出てきた。その老婆は草野先生を見るなり、草野先生に抱きついて言った。

「源三! よく来たね!」

と、その老婆は言った。

 誰もがあっけに取られているのを見て、草野先生は言った。

「ふぉっふぉっふぉ。この人は私の姉ですよ」

「えええええええええ!?」

誰もが驚いた。長い間知られていなかった草野先生の本名が草野源三であること以上に驚きを受けた。何故草野先生の家族が別府で温泉をやっているのか、それは誰もわからなかった。

「さあ、さあ、中に入って」

 女将さん(であろう草野先生の姉)が俺達を部屋まで案内してくれた。

 部屋は、和風で、古風で、ついでに隙間風であった。俺達生徒のためには二部屋あった。『玄武の間』と『朱雀の間』だ。ちなみに先生達は『虎の間』と『龍の間』。男である以上柏葉と俺は玄武の部屋に入れられ、女子は朱雀の間で楽しく遊んでいた。

「なぁ・・・・・・」

と、柏葉は俺に言った。

「ん? 何だ?」

と、俺は返答した。

「温泉に入るか?」

「・・・・・・ああ。入る」

「じゃ、行こうぜ・・・・・・」

 しかし、どちらも動かなかった。俺も柏葉も疲れていたのだ。しかし、一応温泉には入ることにした。

 俺達が浴衣片手に部屋を出ると、ちょうど女子も部屋から出てきた。手には浴衣を持っていた。そして、その他シャンプーやリンス、ボディーウォッシュ、ヘアートリートメントまで。家からもってきたのだろうか。

「あ、お兄ちゃんと京兄もお風呂に入るの?」

と、春子ちゃんがひょこっとみんなの後ろから顔を出して言った。

 柏葉は答えた。

「ああ、俺も京介もな」

 春子ちゃんは言った。

「のぞかないでよ〜」

 柏葉は言った。

「ばーか、誰が春子のお風呂なんて覗くか」

 俺は思った。多分、うちの中学校にならそういう、春子ちゃんのお風呂を覗きたがってる春子ちゃんファンの変態男子はたくさんいると思った。

 俺達はみんなでぞろぞろお風呂のところまで行った。そして『男湯』『女湯』に別れた。

 脱衣室の中で着替えながら、柏葉は言った。

「いや〜、信用できる人たちだけできて、よかったよ。修学旅行とかだと俺は逆に覗かれたことがあるからな」

 確かに。世の中でも覗くのではなく覗かれる男子は少ないだろうが、柏葉は紛れもなく覗かれるほうだ。うちの学校は全ての学年が毎年それぞれ違うところに行くのだが、去年の修学旅行では柏葉が風呂に入ると、垣根の裏に女子がたくさん隠れているのが見つかった。それまで女子を覗く男子にだけ注意を向けていた先生達にとって、女子の中にだって熱狂的な追っかけファン(覗き魔、ストーカー)がいることが判明した修学旅行であった。

 覗きの話はとりあえず置いといて。オンボロの旅館の割には、とてもいい温泉であった。なるほど、それで潰れないのか、この旅館は。白い湯や、透き通った湯があって、どうい風に作っているのか、青い湯まであった。今日この旅館には客が少なく、俺と柏葉は貸しきり状態で楽しめることが出来た。

「漆山選手、行きます! 25メートルフリースタイル!」

と言って、俺は一番大きい温泉を端から端まで泳いだ。マナー違反だが、誰もいないんだ、それぐらいはいいだろう。

「ざっぱーん! 漆山選手、今ゴールしました! 不可能だといわれていた記録が破られ、今歴史に新しい名前が刻み込まれます!」

と、柏葉は言った。

 俺達は笑った。子供の頃にかえったようだった。

 すると、急に四人の男子が入ってきた。俺達は風呂の奥にいて、風呂からの湯煙でよく見えなかったが、影からして一人はデブで、一人は筋肉質で、一人はアフロであった。そいつらはしゃべっていた。

 筋肉質が言った。

「おい、寛ちゃん、本当にこの旅館でよかったのかよ?」

 その寛ちゃんは答えた。

「ばーか、お前もさっき見ただろ? むちゃくちゃ可愛い女子がここらへんを歩いていったの」

 アフロは言った。

「だからって寛ちゃん、この旅館に入って何が出来るんだ?」

 寛ちゃんは答えた。

「言っただろ? 俺が以前ここに旅行で来たとき、この風呂場から、女子風呂をのぞける穴を見つけたんだよ・・・・・・」

 筋肉質は言った。

「まじかよ! 早く見せろよ!」

 俺と柏葉はお互いを見て、うなずいた。

「黙って妹を覗かせるかってんだ・・・・・・友達もだ」

と、柏葉は珍しく本気で言った。

 俺だって、あんな変な奴らに黙って友達を覗かれるのは嫌だ。

 俺達はそーっと、あいつらが気をとられて壁のヒビを探している間、あいつらの近くまで温泉を移動していった。

 俺と柏葉は、一、二の三で、風呂場から勢い良く飛び出た。水しぶきで三人が振り向く時にはもう遅かった。

「うおおりゃあああああ!」

俺達は左右のアフロと筋肉質は取り押さえ、そいつらは頭を打って気絶したが、寛ちゃんという奴は脱衣所の方に逃げた。

「追うぞ柏葉!」

「おう!」

俺と柏葉はそいつを追った。そいつは脱衣所の出口の方でズボンをはいていたが、俺達は裸のままそいつにタックルした。勢い余ってそのまま脱衣所の外に出て、廊下に倒れこんだ。

「よっしゃ!」

俺がそう言って顔を上げると、なんとそこには女子が。

 そりゃそうだよなぁ・・・・・・あんなに長く遊んでいたんだから女子が出てきてもおかしくないよなぁ・・・・・・。

「な・・・・・・何やってんの?」

と、一番冷静な黒木が聞いた。

 俺と柏葉はなんていっていいのか分からなかった。とりあえず柏葉は、

「よっ、どうだった? 風呂」

と聞いた。しかし美奈子、綾野に春子ちゃんは固まったままであった。俺達はそーっとそのまま立ち上がらずにバックして脱衣所の中に戻った。ちなみにその寛ちゃんはズボンをはく途中にタックルされたので、半ケツのまま廊下にしばらく倒れていた。せめて俺達がタックルをしたあと仰向けに倒れなかっただけ、ありがたい。

 俺達は服を着て、『龍の間』(女性教員の部屋)に集まった女子や先生みんなにことを説明した。

「で、それで覗こうとしていたから俺と柏葉はそいつらを倒して、一人が逃げたんでそいつも取り押さえたんですよ」

と、俺は言い終えた。

 山門校長先生は言った。

「なるほど、それはよくやってくれましたね。手柄ですよ」

 数学の林先生はどこからか取り出したのか、竹刀をびしっと畳に叩き付けた。

「覗きなど言語道断! 赤の他人じゃなければ、この林鉄蔵が叩っ切ってやる所!」

 国語の赤崎先生は言った。

「しかし、先生達、気絶してる男子達は、今隣の『虎の間』に寝せてあるんですけど、どうも一人、見たことがあるんですよね」

 体育の桂谷先生は言った。

「そうですね。私はさっき気づきました。なぜか顔たちがすこし違いますけど、でもあれはうちの学年の瀧澤寛一です」

 俺と柏葉、それに女子達は驚いた。まさか二年生の瀧澤が俺達の旅行と同じ時に来ていたなんて、なんという偶然! いや、単なるストーカーか?

 他の二人の男子は、近所の高校に通う一年生であり、インターネットでうちの中学校の女子のファンクラブに入っていたらしい。瀧澤はそいつらの協力を得てここに来たらしい。

 瀧澤はそのまま父親の所に返された(強制送還?)。またの不祥事で、今度は瀧澤をどんな地獄が待ち受けているのだろうかと思うと、背筋が凍った。

 そんなこんなで、温泉の騒動はおさまった。


 俺達は全員食堂に呼ばれた。すると、食堂のテーブルには、なんと豪華絢爛な、明らかにこの旅館には不似合いなご馳走の数々が並べてあったのである! 刺身に寿司、馬刺しに焼肉・・・・・・しゃぶしゃぶもあって、茶碗蒸しや高級おひたし、その他郷土料理や定番の料理がたくさんあった。

 女将さんはふんと鼻で息をした。

「近所の旅館で、作って余っちゃった物も足したよ。中学生といえば、育ち盛り。これぐらいは食べるでしょ」

 俺達は喜んでがっついて食べた。俺達は一日の疲れもあって、あっという間にご馳走を平らげた。


 三十分後、食堂には、満腹で動けない集団がいた。なんとも情けない姿であろうか。女子は『太らないため、控えてる』などといっていたが、それにしてはずいぶんと食べていた。先生達もその情けない姿を堂々とさらしていた。

「う〜ん、う〜ん」

 みんなが苦しむ声しか聞こえなかった。

 そして、みんなやがて自分の寝室に戻る。俺は寝ようとしたが、何しろオンボロ旅館で隙間風が入る。そして、壁も薄いから隣の部屋の音が聞こえる。女子達の音だ。中学生らしく、さまざまな話題に花を咲かせている。柏葉妹と、黒木と、綾野の声がする。美奈子はもう眠ったのだろうか。俺は寝れないので、散歩にでも行こうと思った。

「お〜い、京介〜お前どこに行くんだ〜?」

と、俺が部屋を出ようとすると、だるそうな柏葉が俺に聞いた。

 俺は振り返って答えた。

「いや、ちょっと眠れねーから散歩にでも行こうかと・・・・・・」

「ふーん。先生達に許可はもらったのか?」

 俺は鼻で笑った。

「先生達なら、見ただろ、酒が入って一人残らずベロンベロンに酔ってるさ。今は部屋でゴーゴーいびきかいて眠ってるだろ」

「なるほど、そうか・・・・・・じゃ〜そのうち帰れよ〜」

と言って、柏葉はバタンと布団の上に倒れた。

 俺はそろりそろりと廊下を通り抜け、玄関から靴を履いて外に出た。外の夜風は気持ちよかった。山奥で町の中心から離れていても、さすが温泉町、別府。こんなに暗くなってもどこからかほのかにいいにおいがする。食べ物の香りだろうか?

 俺はもう一度旅館の名前と、あと通りの名前を確認した。それが分からなくては迷子になってしまう。俺はゆっくりと坂道を下り始めた。


 おかしい。迷ってしまった。ここはどこだろう? 地元の人にさえ会えれば、「草野旅館」への道順を聞けるのだが・・・・・・地元の人さえ見当たらない。やはりさっき曲がった道がだめだったか? それともその前か? もう自分が何の道にいて、さっきどう曲がったかさえわからなかった。

 俺は一生懸命探した。何度もいろんな道を行って、やっと人に会うことが出来た!

 その人は、いかにも温泉町の旅館を経営してそうな優しそうなひとだった。

「あ、あの・・・・・・『草野旅館』ってどこですか?」

と、俺が聞くと、その人はとても親切に分かりやすく、道を教えてくれた。俺は丁寧に礼を言って、道順をたどり始めた。

 すると、道に人だかりがあるではないか。誰かを囲んでいるようだった。みんな旅館の浴衣を着て鉢巻をしていたり、商売の半纏を着ていたり、地元のひとのようだった。

「けど、自分の泊まってる旅館がわからねえにはどうしようもないよなぁ」

と、立派な旅館の従業員、らしき若い男が言った。

「電話をしてもこの子の学校は夏休みで誰もいないし親もいないらしいしのう」

と、何か夜店を経営してそうな老人が言った。

 俺はなんだろうと思った。

「何ですか? 何かあったんですか?」

 若い男は答えた。

「いや、この子が迷子になっちゃってよ、それでどうにも連絡がとれないんだ」

 俺は人だかりの中心でしゃがんでいる子を見た。

 美奈子ではないか!

「美奈子!」

 俺がそういうと、美奈子は顔を上げた。

「京くん!」

 若い男は言った。

「何だ、アンタの知り合いか! ならよかった。この子を連れて帰れるな?」

 俺はうなずいた。人だかりはよかった、よかったといった感じで解散した。

 俺と美奈子は旅館に続く夜道を歩き始めた。

 美奈子は言った。

「ありがと・・・・・・また助けてもらっちゃったね」

「いや、別にこれぐらい・・・・・・」

「京くん、昔からよく私のこと助けてくれてたよね」

「ん? そうか?」

「私よく運動が出来なくていじめられてて、それで京くんがかばってくれたり、野良犬からも守ってくれたよね・・・・・・」

「ああ、あれか・・・・・・」


と、俺は遠い目で見た。ずいぶん昔のことだ。よく覚えていたなと感心する。あの時は近所の市会議員の息子の犬だったから、親父にいろいろ迷惑をかけたんだよな・・・。

 美奈子は続けた。

「いつも、私が困ってるときは助けてくれたよね、京くんは」

「・・・・・・まあ、別にいいんだけどよ、長い付き合いだから」

 しばらく沈黙が続いた。鈴虫の音と、どこかでふくろうがホーホー鳴いているのが聞こえた。

 美奈子が先にしゃべった。

「春になったらはなればなれになって、もう助けてもらえないのかぁ・・・・・・」

 美奈子の声は震えていた。俺はそれに気づいた。でも、何もいえなかった。少し涙ぐんできた。

「本当に、今までずっと、ずっと・・・・・・」

 美奈子は言葉が出ないようだった。

 その次に来る言葉はわかっていたので、俺は急に美奈子の肩をつかんで、じっと目を見た。

 美奈子は驚いた。

「な・・・何? 京くんどうした?」

 俺は息を深く吸い込んでから言った。

「ありがとうなんていうなよ・・・・・・」

 美奈子は涙ぐみながら言った。

「え? 何のこと・・・・・・」

「分かってるさ、俺がいつまでもいたら、美奈子の夢の邪魔になるって・・・・・・だからって! そんな、今まで『ありがとう』みたいな、縁を切るようなこと言うなよ!」

 美奈子は沈黙して、目をそらしていた。くちびるを少し噛んでいた。辛そうな顔をしていた。

 俺は構わず続けた。

「春になったら確かにお別れさ・・・・・・俺は美奈子のように、東京行って勉強するなんて立派なことは出来ねぇ・・・・・・だけどよ! 春までは一緒なんだぜ! それまでは・・・・・・それまでは・・・・・・」

俺は言葉が詰まったので、一度下を向いて目を閉じて、少しでも出続ける涙を振り切ろうとした。でも、無駄だった。

 俺は最後に言った。

「それまでは、・・・・・・一緒に・・・いさせてくれよ! 俺は・・・俺は・・・・・・。・・・・・・俺は、お前のことが・・・・・・・・・・・・好きなんだよ!」

 俺は美奈子にさっと顔を近づけ、唇を重ねた。そんな立派なものじゃない。今まで恋のこの字も知らなかった奴が、初めてしたキスだ。俺はもう涙ぼろぼろだった。

 涙はやむことなく、俺の顔から流れて浴衣の上に落ちた。わずかな街灯で照らされてる美奈子の顔も、涙が流れ落ちていた。

 俺は強く握りすぎていた美奈子の肩を離した。美奈子はうつむいていたが、泣いているのが見えた。俺は耐えられなくなり、背を向けた。

 突然、美奈子が後ろから俺を抱きしめた。美奈子は俺の背中で涙をぬぐうようにして顔をこすり付けた。それでも涙は止まらないようすだった。

「私・・・・・・ずっと待ってたんだ・・・・・・その言葉を・・・・・・いつか京くんが言ってくれるのを待って・・・・・・。・・・・・・ごめんね、臆病で自分から言えなくて・・・・・・」

 俺は振り向いて美奈子を強く抱きしめた。俺の目からも、涙があふれ出ていた。

「バカヤロウ・・・・・・気づくのにこんなにかかったじゃねえか! ・・・・・・美奈子なら知ってるだろ? 俺は・・・・・・俺は不器用なんだよ! だから・・・・・・こんな風にしか伝えられなくて・・・・・・」

 美奈子は首をかすかに振った。

「ううん、私は・・・・・・すごく満足・・・・・・」

 俺と美奈子はそのままお互いを抱きしめていた。暗い山道で、薄暗い街頭が静かに二人を照らしていた。鈴虫が鳴いていた。俺達も泣いていた。


 遠くで柏葉の声が聞こえた。

「お〜い! う〜る〜し〜や〜ま〜きょ〜う〜す〜け〜君! 迷子の迷子の京介や〜い!」

 俺と美奈子はお互いを見てパッと離れた。急にものすごく恥ずかしくなったのは何故だろう。俺は顔が猛烈に赤くなっていくのが感じられた。

 美奈子は俺に顔を向けていなかった。同様に赤くなっているのであろう。

 柏葉が現れた。

「おっ! 瀬戸ちゃん見つけてたのか、京介! 実は瀬戸ちゃん、散歩に行ったっきり帰ってこなかったらしくてさ。そしたら京介も帰ってこないから、先生たちまで心配して見に来てるぞ! あっちだ!」

 俺達は柏葉に先導されてみんなのもとへと戻った。俺達二人は先生達にこっぴどく説教された後、部屋に戻された。もう絶対に無断外出はなしで、俺と美奈子は自由時間も監視役の先生に付きまとわれることになった。

 柏葉は俺に、いいことあるさ、などと慰めていたけれど、俺にしてみればもう充分、最高の旅行だった。


 そしてあっという間に数日が過ぎて、俺達の温泉旅行は終わった。最後の日、別府の駅のプラットホームに電車が滑り込むように来ると、俺はなんだかこの町に別れを告げるのがさびしくなった。でも、この町での想い出は大切だけど、やっぱり俺は、今までずっといて、大切な人たちに出会い、これからもずっといるであろう久留米が恋しかった。この町には温泉もレジャーも何でもある。でも、俺には想い出がたくさん宿り、みんなと一緒に想い出を重ねることができる場所、俺の生まれ育った久留米が好きだ。

 電車のドアがぷしゅーと音を上げながら開いた。俺はもう一度空を見上げ、この町に感謝をした。


 電車のドアは閉まり、ゆっくりと、俺の町へと走り出した。

えー、どーも。最後まで読んでくれてありがとうございます。これも友達とやった小説で、お題は「恋愛」で、辞書から拾ったキーワードは「不世出」「出家」「久留米」の三つでした。書いてて割と楽しかったです。アドバイスとか感想、注意点とかあったらどうぞ。

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