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第三話 六月

美奈子のコンクール出品のために時間を捧げてきた京介。六月に入って彼が巻き込まれるさまざまな出来事とは・・・?

 六月になった。梅雨もだんだん弱くなってきて、それと同時に学校のみんなの心も晴れ始めた。長いジメジメした季節を終え、ようやく久留米はあるべき姿へと戻りつつあった。そろそろ暑くなってきた。もう夏なのだろうか。

 美奈子の作品は、完成に近づくにつれてどんどん素晴らしいものになっていった。俺は見るたび心を打たれた。次々と生徒が作品を見に来るので、俺は窓のカーテンを二重にしてがっちりと閉め、使われていないときは部屋の鍵を二重に閉めるまでする羽目になった。草野先生によると、『最後までなるべく秘密にしておかなければ』だめだそうだ。それで俺は部屋と作品の管理という、面倒な仕事を任された。

 ついでに、草野先生は俺を画材管理・購入係に任命した(何が『ついで』なのかわからないが)。

 俺はこの作品のコンクール出展に関して、何か大切なことを見落としている気がした。しかし、思いつかないので、別に大切でもないんだろうと思った。

 しかし、俺は次の日気づいた。

 人気によりいつの間にか学級委員的な役を回されていた柏葉は、いまや実質的なクラス委員長になっていた。その選挙はまだだというのに、やはり人気がものを言うのか。柏葉はいつも乗り気なので、スピーチや実行委員など軽く引き受けてしまったらしい。

 柏葉は朝のホームルーム、教室の前の教壇に立った。同時に、ほとんどの女子の集中が一気に向けられた。統率力なら柏葉が一番なはずだ。少なくとも、女子と、あと人気のおこぼれを狙う男子などの間なら。もちろん、柏葉は好かれる性格のため、普通の友達の数も半端ないが。

「よ〜し、みんな、六月六日の運動会のクラス対抗種目では、頑張って他のクラスを倒すぞ! 一組が勝つ!」

と、柏葉は宣言した。同時に、ものすごい勢いで女子から「キャー! 素敵!」などの声援があがった。教室がゆれるほどの声だった。他のクラスから何だ何だと先生が見に来るほどであった。

 俺ははっとした。そうか、運動会か! 六月六日は運動会だ! 一応体を馴らしておかないと活躍できないから、そうしたいんだけど、六月六日は作品のコンクール出品の日でもあるじゃないか! これじゃ運動会に向け特訓が出来ない・・・・・・なるほど、これを見落としていたのか。まあ、俺なら負けないがな、という自信はあったが、一応トレーニングはしたかった。

 仕方がないので、次の日からボディーガードをしながらトレーニングも始めた。手始めに片手で腕立て伏せをやった。

「すごーい、京くん!」

と、美奈子は筆を置き、喜んだ。

「何? そんなにすごいか?」

俺はちょっといい気になって、逆立ちをし、そのまま腕立て伏せをはじめた。

 美奈子はまた驚いた。

「すごーい! これなら運動会も楽勝だね!」

 さっきから自分も見ていた草野先生は、ハッと気づいた。

「漆山君、瀬戸君の仕事の邪魔してどうするんだね」

 俺もハッとした。草野先生だって見ていたくせに。

「すみませんでした」

 仕方がないので、俺は部屋の外に出て、外の鉄棒などを使ってトレーニングを始めた。それはとても人目を引いた。授業中なのに生徒は窓を開け、「すごーい!」などの声が俺に向けられた。俺は無反応だった。授業の途中だったのに生徒が集中できなかったと、後で先生たちに怒られた。

 数日後、絵は完成間際であり、運動会も刻々と近づいてきていた。

 気がつくと、いつの間にか柏葉兄妹も作品作りに参加していた。どこまでも乗り気な兄妹だ。柏葉兄は画材やいろいろ運ぶのを手伝ってくれたりした。柏葉妹はただ見ていただけだが、一度『春子ファンクラブ』に見回りをさせたら、人数が多いから効き目があった。

 俺は画材屋さんから絵の具のバケツを何十個と、絵筆を百本ほどを買わされ、学校まで担いでいた。重いとは思ったが、美奈子のためなら、と思うとそう苦でもなかった。まあ、じゃんけんで柏葉に負けたのだが。そのとき、急に俺の後ろで車のクラクションが鳴った。

 後ろを振り返ると、漆黒の高級車が六月の暑い日差しの中、狭い道を走っていた。その道のど真ん中にとんでもない荷物を担いだ俺がいたのだ。

 中から、金髪の、青い目の少年が出てきた。

 俺は『外人? やべえぞ、俺英語は1だぞ!』と思ったが、平静を装った。

 金髪の少年は流暢な日本語でしゃべった。外国人にしてはすごい、というより、よく見ると顔はまんま日本人の、ただ特別美形な方であった。そして、青い目はカラーコンタクトであった。

「ここらへんに西久留米市立南部中学校とかいうのがある。どこだか知らないか?」

 俺はほっとした。なーんだ、日本語か・・・・・・。そして、はっとした。そんなことを考えている場合ではない。

「何だ、何の用で行くんだ?」

と、俺は睨むようにして聞いた。

 金髪の少年は答えた。

「おやおや、穏やかじゃないね。ちょっと、今度全国コンクール優勝本命の娘の作品があるって聞いたんでね・・・・・・ちょっとそれを見せてもらうかな、なんて」

 俺は荷物を置き、睨んだ。

「なんだと・・・・・・どうするつもりだ」

 金髪の少年は怪しく笑った。

「どうするって・・・・・・持っていくしかないでしょ」

 俺はぞくっとした。この少年の見せた怪しい笑顔は、紛れもない『悪』だ。こいつはよく漫画とかに出てくる、『目標達成のためには手段を選ばない』人間だ。実在する人種ではないと思っていたのだが・・・・・・。もしかしてこいつは、日本経済を牛耳る親を持つ、ライバルをつぶして回る画家志望、とかじゃないだろうな・・・・・・。

 俺がそんなことを考えていると、黒い高級車からとんでもなく体がでかいプロレスラーのような人間が出てきた。レスラー用のパンツ一丁であった。俺は思った。おいおい、中学生がプロレスラーに勝てるわけないだろ・・・・・・しかもこんなパンツ一丁の変態に。力がいる奴が必要だってことは、やっぱり有望な画家をつぶして回ったりしてるのか?

 しかし、そのとき救世主がやってきたのだ! 柏葉が、やっぱり荷物は大変だろうって思ってやってきた。そして、プロレスラーを見ておどけた。

「おいおい、何だよ京介この危険な空気は・・・・・・」

と、柏葉は言った。

 金髪の少年は俺が一人じゃなくなったことを見て、舌打ちをして車に乗った。そして、窓を開けてプロレスラーに言った。

「あいつら邪魔だ。始末しろ」

 そういって、車はそっとバックしながら細い道を戻っていった。かっこつかない去り方である。

 俺は思った。おいおい、始末しろって・・・・・・漫画じゃねーんだから。もっと現実的で平和的な手段もあっただろうに。

 俺たちは身構えた。

 一瞬にして、プロレスラーは飛び掛ってきた。柏葉と俺は片手ずつ受け止めた。しかし、こいつの力はすごく、少しずつ俺らは押され始めた。

「グッ・・・・・・・・・!」

 くそっ、このままやられたらあの金髪少年が・・・・・・美奈子の作品を・・・・・・!

 そのとき、柏葉妹がどこからか急に現れた。春子ちゃんはこの状況を見て、いきなりプロレスラーの間合いに入り込んで、思いっきり渾身の蹴りを、プロレスラーの股間に入れた。

 そのプロレスラーのそのときの顔は、この世のものとは思えない痛々しさを表していた。そして、そのプロレスラーは叫ぼうとしたのだろうが、声にならない痛みなだけに、声はでてこなかった。ただでさえ柏葉家は力も強く、運動神経もいいのだ。渾身の蹴りが、股間に命中したのだ。しかも動きやすいパンツが仇になり、ダメージはおそらく倍増。プロレスラーは泡を吹いて倒れた。おそらくこのプロレスラーは二度とかかってこないだろう。可愛そうに・・・・・・。

 春子ちゃんは言った。

「お兄ちゃん、それと京兄も、美奈子ちゃんの作品がたった今、出来上がったって!」

 俺と柏葉は驚いた。

「何だって!」

 俺たちは先に行く春子ちゃんを、まず気絶したままのプロレスラーを交番に届けてから、画材を担ぎながら追った。

 学校の美術室に戻ると、草野先生と美奈子が作品の両側に立っていた。作品の上には、大きな布が掛かっていた。

 草野先生は言った。

「柏葉君達も、あと何よりも漆山君! 君達のおかげで瀬戸君の作品はかんせいしたよ! ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉ!」

 美奈子は言った。

「一応、題名は『別れ』なんだけど・・・・・・」

 そして、布は取られた。俺と柏葉兄妹はその迫力に口を開いたままだった。

 あの日、絵のスケッチを見たときからずっとずっと忘れられなかった切なさが、今大きな波になってやってきた。その感情の波は俺も柏葉も春子ちゃんをも飲み込んで、もう俺達は涙ぼろぼろだった。出兵の前に、最後の最後まで愛を誓い合う若い男女。さまざまな絵筆で描かれた繊細な線は、見る人に衝撃を与えた。色使いも、全体的に切ない色使いであった。切ない色使いがどんなのであるかなんて、聞かれたって答えられないが。とにかく、言葉では表しきれないほど素晴らしかったのだ。

 男は泣くな、と硬派のハゲ住職の親父に育てられた俺でさえ、号泣してしまった。完成した喜びもあったのだろうが、ものすごい絵だ。俺のそばにずっとこんな素晴らしい絵を描ける人がいたなんて、何故もっと早く気づかなかったのか、悔しくもなった。

 草野先生は言った。

「しかしおかしい。コンクール協会から作品を受け取りに誰かが来るはずなんだがのう。漆山君に柏葉君、君達真っ黒の高級車に乗った金髪の少年を見なかったかね? 今年はその少年が受け取りをやっているんだ」

 俺と柏葉はまさか・・・・・・という風にお互いを見た。

「ちょっと探してきます!」

俺と柏葉はそう言って、美術の部屋から飛び出した。


 結局その少年は改めて作品を取りに来た。俺と柏葉は隠れていた。ちなみに、その少年は、柏葉妹に一目ぼれして、『春子ファンクラブ』のスポンサーになってしまったのである。部下を再起不能にした女子だとは知らずに・・・・・・。

 いろいろあって、作品はコンクールに出品されたのである。


 それから二日後。ついにこの日がやってきた。この土曜日は、俺が一年のうち、もっとも活躍し得る、戦場の場! 第百七回西久留米市立南部中学校運動会が、始まろうとしていた。俺は靴を履き、勢いよく家を飛び出した。今日は運動会だ。例によって、柏葉と俺は違うチームに分けられた。俺達二人が一つの組にいたら、結果があまりにもわかりきっている、との学校全体の要望で俺と柏葉は別の組に入れられた。

 結果は、俺のいた赤組が小さな差で勝った。最後のリレーで、俺と柏葉が競り合い、俺が何とか競り勝った。柏葉め、しばらく見ないうちに走るのが速くなってやがった。ちなみに、学校新記録が出たらしい。俺と柏葉の白熱のしようといったらすごかったらしい。美奈子によると、『コースの上を土ぼこりの塊が二つ、猛スピードでギュンギュン飛びまわっていた』らしい。

 しかし、午後のクラス対抗部門は、当たり前のように俺と柏葉がタッグを組んで勝った。リレーも、男子部門は俺と柏葉がアンカーとして楽勝し、女子部門は柏葉がクラスの女子を奮起させ、それはもうすざましい頑張りを見ることができた。

 クラス対抗の最後の競技として、球技が入れられた。男子混同で、バレーボールだった。うちのクラスの男子は基本的に柏葉の人気と女子の頑張りようを見ていじけていたので、使い物にならなかった。しかし、バレーボールは俺、柏葉、黒木、綾野、野球部部長の坊主頭のナイスガイ水戸、それにその他女子三人で実力の違いを見せ付けた。三年のほかの組のバレーボール部の奴らにさえ勝ち、俺らはいい気分だった。

「クラス対抗バレーボール! 決勝は、三年一組と一年一組で行います!」

「あれ? 一年一組って確か・・・・・・」

と、俺は言いかけた。

 俺達がバレーボールコートに出ると、相手チームが出てきた。俺達は一瞬気迫負けした。

 一年一組のチームは、柏葉春子以外は全員男子であり、鉢巻に『春子ちゃんのために勝つ!』と書いてあった。胸には『春子ファンクラブ』のバッジが。春子ちゃんはもともと競争好きで、そして男子の目にはラブ・ファイヤーが燃えたぎっていた。その気迫の暑苦しさといったらすごかった。みんな、勝てば春子ちゃんに褒められると思い、それだけのために全身全霊をかけて臨んでいるようだった。

 春子ちゃんはふうとため息をついて言った。

「あ〜あ、春子のど渇いちゃったな〜」

 もう春子ちゃんが『のど渇い』ぐらいまで言うと、観戦をしていた一年生の男子共がたくさん、一気に新品の冷やした、この瞬間のためだけに持ってきて飲まずにもっていましたとでも言うような水筒を春子ちゃんに捧げた。春子ちゃんはその中から一つ選び、ちょっと飲んだ。その選ばれた男子は気絶しそうになり、春子ちゃんが返した水筒をまるで宝のように大事に大事に持っていた。ここまでくるともはや哀れであった。春子ちゃんは完全に一年生男子を手なずけているようだった。

 春子ちゃんは号令をかけた。

「絶対勝つわよ〜!」

 男子は全員、一気に『オー!!!!』と見事な団結力の掛け声を放った。そして、一年生の男子は死ぬ覚悟で身構えた。

 春子ちゃんが最初のトスを上げた・・・・・・。


 あり得ないほど白熱した試合は、俺にとっての中学校入学以来のスポーツでの負けとなった。ものすごく近いゲームであり、観戦した誰もが『一生の思い出となるものを見た』と言っていた。最後の方は一年生男子は俺と柏葉に力負けしそうで、それでも恋のために、それだけのために顔でスライディングしていたりして超々ファインプレーを連続していた。ひざをすりむこうがひじをすりむこうが汗びっしょりになろうが、果敢に俺達のチームに向かってきた。敵ながらあっぱれであった。ちなみに、終わったら春子ちゃんは嬉しさと感謝を込めてみんなをハグしていた。された男子は恍惚の笑顔のまま失神した。

 長い運動会を終え、俺の創作活動の援助も終わり、俺はまた普通の学校生活に戻った。

 かのように思えた。


 その次の月曜日は運動会があった土曜日の代わりに休みだった。しっかりと休養をとって、火曜日にみな登校した。六月九日であった。

 若き国語の先生、赤崎先生は言った。

「え〜、六月二十五日から二十七日まではなんだか知ってますか?」

 俺は考えた。何かの祝日か? 違うな。何かの週間か? にしては短すぎる。何かの記念か? それにしても・・・・・・。

 などと俺が考えていると、黒木が言った。

「はい、先生、期末試験ですね」

 俺は驚きのあまり机を叩いて立ち上がった。

「なぬーっ!?」

 赤崎先生はにっこり笑った。

「さすが黒木さん。そうです、皆さん、六月二十五日から二十七日までは期末試験ですね。一応僕が君達のホームルームの教師だから言っておくけどね。毎年のように結果は点数順に張り出されて、確か総合のトップ二人、男子一人女子一人は草野先生から賞品が贈られるらしいよ。漆山君、もう座っていいよ」

 最後のひとことにクラスがどっと湧き上がった。そして、みんなは今年の賞品が気になった。毎年変なものが贈られるからだ。去年は怪しげな壷だったし、一昨年は一世代前のゲーム一式であった。

 俺はそれどころではなかった。別に美奈子のボディーガードをしている間の成績が落ちたわけでもない。その間は成績もしっかり草野先生に保障されてたからな。しかし、期末試験だったら、どう考えてもその保証の中に入っていない。俺はもともと頭はそれほどよくないが、更に授業も半分受けていなかった期間が二週間あまりもあるのだ! これはやばいぞと思った。

 俺は柏葉にすがった。

「なぁ〜、柏葉ぁ〜、俺はど〜すればい〜んだよ〜。このままじゃ成績がぁ〜」

声まで絶望的になってる。

 柏葉はいつもの明るさで答えた。

「なら、試験前四、五日ぐらいは勉強会やろうぜ。俺と、あと瀬戸ちゃんとかも助けてくれるだろ。あと、黒木や綾野も」

 俺はそれが名案のように思えた。俺は決めた。

「よし、俺の家でやろうぜ」

 クラス中の女子がこの会話をピックアップしたのは言うまでもない。そういう点では柏葉はケアレスだ。みんな来てわいわいやったほうが楽しいと思ってるからな。

 一瞬にして急に俺に親しく振舞う女子が増えた。もちろん、誰もが結局は勉強会に参加させてくれというのだ。俺は、自分の家でやることにしてよかったと思って、全て丁寧に断った。あんな人数を連れ込んだら期末試験の前に親父に出家させられるってんだ。

 結局、勉強会は六月二十日から毎日、夜やることになった。ちょうどその週間は、昼から夕方にかけて、寺で葬式やら法事やらやる予定でびっしりだったので、夜には残り物の食べ物とかも期待できた。

 それまでの時間は、俺は家に帰るなりすぐ勉強を始めることにした。

 そして、あっという間に二十日になった。勉強会のメンバーは集まった。俺、柏葉、美奈子、黒木、綾野、そしてなぜか柏葉妹・春子ちゃんと、野球部部長・水戸もいた。水戸は純粋に助けが必要なのであって、またあのクラスでは珍しく柏葉をただのいい奴と思っている男子だったので参加を許可した。ちなみに、春子ちゃんがいる理由は、

「だって春子暇なんだもーん」

だそうだ。家にいても、妹は小学生でちょっと遊べないし単純だし、親は仕事で疲れて寝ちゃうしで暇なんだと。

 俺の呼ぶメンバーの算段がよかったのか、勉強会は四日間波乱なしで行われた。ただ、綾野は毎日柏葉を見るために来ているような点もあった。褒められるために勉強しているような点もあったが。

 そして、俺の命運を決める日が来た。別に命がかかってるってわけでもないけど、成績が悪かったら間違いなく親父に悪い印象を与えてしまい、ちょっとしたことで寺に出家させられそうだから、この試験で上手くやる必要があるんだ。

 試験前。誰もが謙遜して、自分は全く準備をしていず、今回は捨てたなどと言っている。そんなはずもないのに。また、試験の『山』の予想を言い合う。そんな空気の中、俺は黙々と精神統一をしていた。

 考えてみれば、あれは贅沢な勉強会だった。男子では柏葉に教えてもらい、女子では黒木や美奈子に教えてもらった。みんな学年トップクラスの秀才だ。

 先生が、みんなが机の上に何も置いていないかを入念に確認し、試験用紙を配り始めた。そして、時計を見ながら、ぴったりの時間ではじめるようにして、

「始め!」

と告げた。

 闘いは始まった。教室の窓の外はもうすっかり夏だった。


 そして、また俺はまた一つ、修羅場を潜り抜けた。生き抜いた、というほうが自然かもしれない。とりあえず試験を途中でサボって抜け出すなんてことをしなかっただけ、例年よりはましだろう。試験が終わると、例によって生徒達は寄って集って「駄目でした宣言」をやっていた。

「いや〜、もう駄目だった。もう終わりだ」

「もうどうにでもなれ!」

 そんな声が教室中に轟いていた。

 そんな日が三日も続いた。試験が終わる頃には、もう誰もが夏を待ちわびていて、夏休みを待ちわびているようだった。


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