番外編 彼女の人生は幸せだった
智秋視点です。
番外編というより蛇足です。智秋(潤もかもしれません)のイメージを壊したくない方はご遠慮ください。シリアスです。
幸せな人生だった。
私は、五人家族で暮らしていた。
お父さんは無口な人だったけど、優しくて。
お母さんはお洒落が好きで、お喋りで。
弟はよく失敗することが多くて、捻くれたりしてたけど、思いやりが強くて。
妹はあまり積極的ではないけど、好きな物に対しては情熱的で、一途で。
好きだった、大好きだった。いや、今も大好きだ。
だからこそ。
日常が壊れるなんて、想像していなかった。想像したくもなかったんだ。
日常が壊れるのは、簡単だった。
久しぶりに互いの休みが重なったから、幼馴染みの潤を伴って、遊びに出掛けた。
そしたら、事故に遭って死んだ。それだけの話。
それだけの話だけど、受け入れられる訳がなかった。
甲高い女の人の悲鳴が鮮烈に聞こえた。
びっくりして前を見れば、目の前にはトラック。
大声を上げる間もなく、私は凄い衝撃を受けて、地面に転がった。
薄れていく意識の中で、ひたすらに、家族の名前を、友達の名前を呼んで。
それが最後だった。
最後だと、思っていた。
目が、覚めた。
有り得ないと思った。でも、良かったとも激しく思った。
私は生きていた、生き延びていた。事故に遭ったのに、生きていた。
ああ、良かった。死ななくて済んだ。治療費はかかるけど、でも私が死んで家族を悲しませるよりは、マシだ。
良かった、良かった...。
上手く声を出せないのと、上手く体を動かせないのに気付いたのはその直後だった。
後遺症だろうか、とんでもないことになってしまった。こんな体じゃ普通の生活を送れない。
どのくらいお金がかかるんだろう。今年は弟の、睦月の受験も控えてるのに、どうしよう。
悩む私に、声をかける人がいた。
「さあ坊ちゃま、ミルクのお時間ですよ」
...は?
優しい笑顔の女の人は、私を軽く抱き上げると、授乳を始めた。
私の体は抵抗しなかった。
けれど、内心では凄まじく混乱していた。
何これ、どういうこと!?何何何、意味分かんない!意味分かんない!どうなってんの!?はあ!?
その間に、女の人は授乳を終えると、私の背中を優しく叩いてきた。体はすんなりとげっぷをして、女の人は優しく笑うと、また私を寝かせた。
少なくともこれは、怪我してる高校生に対する治療なんかじゃない。
豪華な部屋が、目につく。
病院じゃない、勿論私の家でもない。
まるで、ゲームの中のような...。
私の脳裏に、友達から聞いた言葉が浮かんだ。
異世界転生。
それを理解した瞬間に、私は悲鳴を上げた。
死にたくなかった、死にたくなんてなかった!まだまだしたいことはいっぱいあった!未練なんてない訳ない!
...うん、落ち着いて。私が、森崎智秋が死んだことは、頑張って受け入れるよ、でも、でもさ、
ふざけんなよ!!
何で異世界転生なんかしなきゃいけないんだ、何で記憶があるんだ!!
死ぬならそれっきりが良かった、記憶なんて持ち越したくなかった!
だって、ここが異世界なら、もう二度と家族にも、友達にも会えないんだ。
それを、どうしようもなく思い知ることになるんだ。
それなら記憶なんて、いらなかった!!
私は、神様なんてあんまり信じてないけど、友達から聞いた話によると、異世界転生って、神様が決めてるんでしょ?
異世界転生する時には、神様と直々に会って、何か貰えるんでしょ?
そんなのいらないから、私から記憶を消してよ!!
家族との記憶は大切だ、でも、二度と会えない世界でなんて、そんなの、いらない...辛い、だけじゃん。
酷い、酷いよ、何で、何で、何で?私が何したって言うの!?
犯罪とか、悪いことなんてしてないのに、どうしてこんな目に遭わせるの!?ふざけんなよ!!
顔も知らない神様への呪詛は、止まらなかった。
受け入れたくなかった。
信じたくなかった。
私が私でないことを、理解したくなかった。
私の名前は、ケイン・ウィリアクト。
驚くべきことに、妹、薫が勧めてくれてハマった乙女ゲーム『僕の恋を叶えて』に出てくる奴と、同じ名前だ。
ああ、乙女ゲー転生ね、よく友達から聞いたことあるよ。聞いたのは悪役令嬢転生ものだったけどさ。
性転換してしまったよ、やったね。
もうどうでもよかった。ケイン・ウィリアクトがどんな人生を送ろうが、もう私の知り合いには会えない。確定。はい終わり。
何回も前世を思い出しては、泣いた。私は見た目は小さい子供だったから、すぐ泣いても何もおかしくなんてないよね。
ケインにはゲーム通り二人の兄がいた。
長男は私に全く興味がなかった。私としても他人を兄なんて思えないし、有り難かった。
ただ、次男は度々私に関わろうとしてきた。
初めて二人の兄と会った時も(私が赤ちゃんの時だね)長男が冷めた目で作り笑いしてたのとは対照的に、次男は真っ赤になって、「は、はじめまして、ケイン!おれは、あ、あにうえだぞ!」と恐る恐る私に触って、私の顔を覗きこみ、何だか嬉しそうに笑った。私にとってはどうでもよくて、「私は森崎智秋だっつの」って思ってたけどさ。
次男は、赤ちゃんから成長した幼い私を連れ出して、屋敷を案内したりした。私はただひたすら面倒だったから、ほとんど馬鹿丁寧に接したけど。
...その時に気付いていれば、何か変わったのかもしれない。
おにいちゃんはやさしいなあ、という思考に。
そいつが何度も失敗して、ぺこぺこしてる姿に、既視感を覚えた。
そう、そいつは、私の本当の弟の小さい頃に、睦月に似ていた。勿論外見はまるで違う。でも、行動は同じだった。
そいつの名前はコーディだったけど、「睦月」と呼びたくて仕方なかった。この世界に生まれて初めて、信用出来る人に出会えた気がした。
私はそいつに依存した。
いつもそいつを側に置き、そいつが何をしでかそうが、全力で庇った。絶対に離す気はなかった。
その頃になると次男も、可愛げのない私を嫌っていたから、私は誰にも邪魔されることなく、そいつと過ごすことが出来た。
ある日、そいつは躊躇いながら私に言った。
「坊っちゃんは、自分に...誰を重ねているんですか?」
衝撃を受けた。何でこいつがそんなこと知ってるんだ。
「自分は、使用人としては出来損ないです。こんな自分を、坊っちゃんだけが受け入れて、庇ってくださいました。自分は決して坊っちゃんを裏切りません。だから...ですから、坊っちゃんが自分を通して誰を見ていたとしても、構いません。ですが、その...教えては、いただけないでしょうか」
そんなの、言えない。前世の記憶があるなんて言って、こいつに見放されたら、私は今度こそ、一人になる。
でも、睦月なら...優しいこいつなら、受け入れてくれるかもしれない。
私は意を決して、口を開いた。
「何言ってるんだコーディ。そんな訳ないだろ。ただ、コーディと似てる人が昔いただけで、投影なんかしてないよ」
...は。
何、言ってるんだ、私。
違う、私が今言いたかったのは、前世の記憶があるってこと。誤魔化しなんかじゃない。
《あーひやひやした。たしかに、ときどきむつきにかさなってみえたけど、コーディとむつきはにてるだけだし、べつにきおくのことはいわなくていいよねー》
何、これ?
体が、自由に動かせない。
急に、意識だけ他人の体に放り込まれたみたい。どうなってんの?
その時を境に、私は体の所有権を失った。
私は、声を出すことも、体も動かすことも叶わずに、ただ、彼の生活を眺めていた。
体を動かしてるのは、ケイン・ウィリアクト。本物。前世の記憶の影響を大きく受けているけど、それでも間違いなくケインとして芽生えた、体と一緒に生まれた人格。
何これ、つまり二重人格ってやつなの?笑えねー。
ケインは、無気力だった私と違い、積極的に人々と関わった。ケインを嫌ってる次男に対しても、本当の兄弟として接した。
長男も、変化した私に興味を示し始めた。
そういやこのケイン、どっかで見たことある性格の奴だと思ったら、前世の私じゃん。
転生というものを実際には知らなかった、あの世界で生きていた、この世界に絶望する前の私。
...止めてよ、智秋は私なんだから。 私が智秋なんだから。
どうやら私にはケインの思考は聞こえるけど、ケインには私の思考は聞こえないみたい。というか私の存在すら知らないようだ。私が今までしてきた行動を全て、自分の意思でしたものだと勘違いしてる。
何かむかつくなあ。本当の家族のことを少しでも忘れる時があるなんて。所詮智秋ではないということか。
でもイライラするから、時々ケインが寝てる時強く家族や友達のことを思ったら、ケインの夢の中に出てきたらしい。飛び起きていた。
でも、ケインは決して悪人じゃなかった。
ただ、私が一方的にもやもやしてるだけで、本当に良い子なのだ。
「貴方には、前世の記憶がありますか?私には、あります」
そう、言われた時、私は歓喜した。
一人じゃなかった。私の他にも、同じような思いをしてる人がいたのだ。
それが悪役令嬢マリアンナって、これがテンプレってやつなんだっけ?
何でもいい。とにかく、彼女と話したい。
ケインにも私の感情の余波が伝わったらしく、子供らしく泣いていた。そうだよ、あんた私と違って本当に子供なんだから素直になりゃいいんだよ。
マリアンナと話して、驚愕した。
こいつは、潤だった。
お嬢様みたいな喋り方してるけど、中身はちっとも変わってない。
ああ、そうだ。
こいつに期待しても無駄だ。こいつには私の繊細な乙女心なんか理解出来る筈がない。
どうせこいつは受け入れてんだろう。自分はマリアンナで、潤は前世であるということを。
下手すれば目が覚めて一日目で受け入れてる可能性もある。
確かに、前世でこいつは家族仲が良くなかった。潤は若い共働きの親御さんの一人っ子で、ちょっとネグレクトに近い扱いを受けてて、え?家族?別にどうでもいい。いてもいなくてもそんな変わんねえし、とか、家族よりお前と過ごす時間の方が長え、とか言ってたし、あまり家族に思い入れがないのかもしれない。本当にそうなのかは分かんないけど。
とにかく、潤は私の存在に気付かないだろう、仕方ない。
その後、ケインは潤...いや、マリアンナと婚約して、他の攻略対象共とも仲を深めた。
次男に殴られた時は、私もうっかり睦月に百科辞典を投げられた時を思い出してしまったよ。あれはやばかった。もうちょっとで顔に当たるとこだった。次の日に遠回しに謝ってくれたけどね。反抗期ってやっぱ大変だね。
とはいえ、無事にケインは捻くれることもなく十六歳になり、ゲームの舞台となる学園に入学した。
乙女ゲーのヒロインって本当に可愛いんだね。何がどこにでもいる普通の女の子だ。
まあアリスで言うと頭も良いんだけどさ。
そのアリスにケインが洗脳された時は、流石にびびった。
《女の子は皆可愛いけど、アリスだけは特別...私がこんなことを思うなんてね》
とかいう思考が普通に流れてきたんだから。本当にゲームのケインになってんじゃん。
まあローレンっていう美魔女のおかげでいつものケインが帰って来たけど。
その後、アリスも転生してたことがはっきりした。
ああ、羨ましいなあ。アリスくらい成長してる状態で記憶が戻ったら、もう仕方ないって割りきれるもんね。
アリスの一件が収まったと思ったら、隠しキャラが出てきて、ケインが魔法にかけられた。
ケインは眠りについたけど、何故か私もケインの心の中に放り込まれた。解せない。
隅で見守っていたら、ケインが見た夢は、全部この世界で出会った人の夢だった。
...分かってた、分かってたけどさ。
ケインには、もう前世に執着する心は必要ないって、そんなのもう分かってたよ。
森崎智秋はもう死んだんだから、私だって、前世の記憶の残骸だって、消えるべきなんだって、そんなのとっくに知ってるよ。
でも、私が消えたら、どうなるんだろう。私とケインの魂は同じだから、ケインも消えるのかな。そんな訳ないよね。きっと私だけが、私の心だけが消えてなくなるんだ。
ああ、怖い、嫌だ。
助けてよ、ケイン。
でも、覚悟を決めなきゃ。
「やー、元気ー?こうして会うのは初めてかな?よろしくね」
私は、出来る限りかつての智秋に見えるように、声を張り上げた。
「...そだね。私は、この世界で生きてくよ」
ああ、決めた。決めたんだね。
今この瞬間、ケインの中から、私の中から迷いが消えた。
前世への醜い執着がようやくなくなった。
それはつまり、私が消えるってことだ。
もう私は見守ってやれないけどさ、つか、あんたは悪くないのに時々イライラしてごめんね。上手くやんなよ。私なら大丈夫だと思うけど。
「じゃ、頑張って楽しんで生きようね、私」
さよなら。
お父さん、お母さん、睦月、薫。美奈、静香、麻友、明音、汐里、文香、比奈、真理亜、理穂、胡桃、菜々美、柾、颯太、宏介...潤。
数え切れない程、家族と、友達の名前を呼ぶ。
もう二度と会えない人達。
会えて良かった人達。
私は、幸せだった。
あなた達と会えて、森崎智秋の人生は幸せだった。




