番外編 親の心子知らず
マリアンナの母親のお話です。
マリアンナはとにかくよく動く子供だった。
赤ん坊の頃、まだ歩けもしないのに、ちょっとでも目を離せばその姿は消え、肝を冷やすことが何回もあった。
オリヴィアともノアとも違う、あの子からは、とても小さな頃から自分の意志というものを感じさせられていた。
主人にそのことを話しても、主人は特に動じることもなく、「好きにさせてやればいい」と答えた。
そして、「好きにさせてやった」結果、あの子は、とても貴族の令嬢らしくはなくなってしまった。
例え話をすると、ノアから「ねえさまがむしをてづかみしてました」と聞いた時は本当に倒れるかと思った。貴族の前に女の子であるというのに、マリアンナは一体どうして虫などに興味を持っているのでしょうか。誰がそんなことを教えたのでしょうか。謎は尽きません。
それだけではなく、庭で元気に走り回っていたり、躊躇いなく地面に座ったり、私の目を盗んで(結局失敗していたけれど)お菓子を大量に食べていたり...何故マリアンナはそんなことを嬉々としてするのだろうか。一体あの子は何を見てきたのだろうか。
育て方を間違えたのか、と苦悩することもあった。オリヴィア、ノアと分け隔てなく、大事に大事に育てたというのに。何故マリアンナだけがあんなに、自由でいるのだろう。
オリヴィアは王太子の婚約者として、ノアはルーシム家の跡継ぎとして、日々勉強に励んでいるというのに...。
お腹を痛めて産んだ私の子供であるというのに、私は、マリアンナを理解することは出来ないでいた。
しかし、可愛くないという訳では決してない。当たり前だ。大切な娘、私と主人の子供なのだから。私はマリアンナに何度も説教をしてきたけれど、マリアンナが憎いからそうするのではない。マリアンナが将来立派な淑女になってほしいから、そうするのだ。
しかし、マリアンナが七歳程の時、マリアンナも早く婚約者を決めねば、と言いながらも、私は半ば、あの子が普通の貴族の令嬢のように、どこかのご子息と婚約し、将来を約束することは出来ないと思っていた。どんなに優しく、心の広い方でも、予測不能なあの子を受け入れることはないだろうと。
それに対して主人は笑いながら、「じゃあずっと一緒にいてもらおうか。あんなに可愛い娘をどこかにくれてやる必要もない」と言った。ちょっとだけ、はたこうかと思いました。
けれど、奇跡は起こった。
侯爵家の三男が、あの子と婚約を希望してきたのだ。
その子供の名前は、ケイン・ウィリアクト。第二王子エイデン様の側近だった。
驚くべきことに、彼はマリアンナに無理矢理命令されたという訳でもなく、自らマリアンナを望んでくれた。
一体何故、あの優秀と噂される子がマリアンナを選んだのか、マリアンナのどこを気に入ったというのか。分からなかったが、彼を逃したらマリアンナはもう結婚出来ないと悟った私は、全力で賛成した。主人もやや寂しそうではあったが、マリアンナもそれを望んでいたので、了承した。
そうして、マリアンナは無事に婚約者を得た。
後はあの子が何かしでかして、愛想をつかされて婚約を破棄されないことを祈るばかりだ。
しかし私の不安をよそに、彼はマリアンナと良い仲を育んでいるようだった。家に、彼と、エイデン様、その右腕と呼ばれている平民のマーク、そしてマリアンナと友達になってくれたエリザベスが訪ねてくれるようになるのもすぐだった。
かつて主人は言った。オリヴィアが王太子と婚約し、ノアも跡継ぎとして努力している。だからマリアンナに期待することはない。
私はそれに対してうっかり「あんなに可愛い娘に何て言い方するんですか!」と本音を言ってしまったけれど、その時の私に大丈夫だと言いたい。マリアンナのことを理解してくれる人達が現れるから、大丈夫だと。
後に、「ほら、マリアンナは期待以上のことをしてくれましたよ」と主人に言ったら、「君は本当に可愛いな」と笑われた。解せない。
とにかく、マリアンナはケインと出会って、変わった...と言いたいところだが、マリアンナは変わらなかった。流石に私が見ている前では走ったりしなくなったけれど、マリアンナは根本的には何も変わっていない。
婚約者が決まってからも、マリアンナは貴族として有り得ないことをよくして、私から説教をされることとなった。私だって好んで説教している訳ではない。反省しているマリアンナが可愛いなんて少ししか思ってない。
やがて、マリアンナが学園に行く日がやって来た。
あの子が学園でちゃんとやっていけるか心配な私は、ノアが時折学園に行くという話に、内心飛びはねていた。婚約者のケインや友達のエリザベスはいるけれど、やはりノアがいるならマリアンナは安心だ。ノアはしっかり者だから、きっとマリアンナを危機から救ってくれるだろう。
そういえば新人の使用人から、ノアの部屋から大量のオリヴィアとマリアンナの写真があったという報告があったけれど、そんなもの至って普通だ。主人の部屋には私達家族の写真が、私の部屋には主人に撮ってもらった子供達の写真があるのだから。むしろない方がおかしいのだ。
私も主人も、家族が大事で、大好きだ。私と主人の結婚の理由も、公爵の主人の家族と侯爵の私の家族が話をつけてお見合いを用意してくれて、折角家族が用意してくれたものだからと互いにあっさりと決定したのだ。
私と主人は、似た者同士なのだ。
昔よく知り合いから「愛が重い」と言われたけれど、深い、の間違いだと思う。ちなみに主人もよく同じことを言われていたそうだ。
まあ馴れ初めはさておき。
マリアンナは、ノアからの話によると楽しい生活を送っているらしい。とても安心した。
マリアンナは表面は貴族の令嬢らしく振舞っているそうだ。また、女の子に優しいので女の子から人気もあるそう。
流石、若い頃幾多もの女の子に黄色い声を上げさせていた主人の血を引いているだけはある。
幼い頃は、この子はどうなってしまうのだろうかと葛藤していたけれど、きっともう大丈夫。マリアンナには、頼れる婚約者も、友達もいるのだから。
そして、今。
私はマリアンナが学園の食堂で見事な食べっぷりを披露しているということをノアから聞き、長期休暇で帰って来たマリアンナに質問という名の説教をしている。
「どういうことかしら、マリアンナ?」
「いえ、あの...お母様、事実無根ですわ。一体どなたがそのような噂を?」
「ノア、入ってきなさい」
「はい、母様」
「ブルータスよお前もか!」
待ち構えていたノアが堂々と入室する。それに対してマリアンナが勢い良く叫んだ。まあ、声を荒らげるなんて、淑女としてしてはならないことでしょうに。
「え?姉さん今何て...?」
「いえ、何でもありませんわ。...つまり、ノアが言ったのですか、私がそのようなはしたないことをしていると?」
「ええ、そうよ」
「でしたら!」
マリアンナはとてつもなく可愛らしい笑みを浮かべる。これは自信満々の時の顔だ。
「それは真っ赤な嘘ですわ!だって私はノアと共に食堂で食事をしたことはありませんもの!」
「ボクはアリスさんに聞いたんだけどね?」
「えっ...」
「姉さんはアリスさんが嘘つきだって言うの?アリスさんが貴族であるボクに嘘を吐いたっていうのは、結構まずいことだよ?」
「あっ...ぐ、ぐうう...ノア、何て卑劣な手をっ...!」
「ふう...我慢してアリスさんに話しかけた甲斐があったよ」
マリアンナはぷるぷると震え、ノアは余裕の笑みを見せている。どちらもとても可愛い。私の娘と息子、可愛い。
可愛いけれど、叱らなければならない。この子が将来、他人から心無いことを言われない為に。無駄に傷付かないように。
「...マリアンナ。これは一体どういうことなのかしら?」
「ご、ごめんなさいお母様ぁー!」




