1話 出会いの夜風
「じゃあ、俺は異世界に来ちまったってのか?」
「そう考えてよい。魔法がない世界と言うのは、わらわには想像もつかんが……そなたにとっては、こちらの方が不自然なのであろう? 同一の世界で理が違うはずもない。ならば、異なる世界から来たということになる。信じがたいことではあるが」
石造りの寺院は、夜の空気が僅かながらも冷たく流れ込む。話によれば、この文明は扉というものを持ち合わせていないらしい。
ここアルディラ大陸の大気は、地球のものよりも随分と冷酷に感じる。
「で」
焚火を囲むのは、俺の他に二人。
やたら偉そうな態度をとる童女――アイラ・リリアーナ=ノーランドは、ポニテにまとめたストロベリーブロンドの長髪がまばゆく、整った優美な顔立ちは、年齢にそぐわぬ色気すら纏っている。三日月のような鼻梁に浮かぶ気品は、彼女の出自が凡百のそれでないことを物語っていた。
あと数年もすれば、誰もが目を離せない絶世の美女になることは間違いないだろう。
一方、貞淑な乙女――ナーシア・べスは童女の付き人であるらしく、主人に対して隷属的な態度を見せる。
何より真っ先に目につくのは、野干《ジャッカル》のような耳が、頭部からぴょこんと生えている点だ。ロングスカートのふくらみは、尻尾も有しているのだと、明確に教えてくれる。
実った小麦を思わせる髪はふわふわと柔らかく、彼女のもつ柔和な雰囲気によく似合っている。
細面の美人でありながら、美女特有の超然とした気色はなく、非常に有効的な態度であった。
あと、おっぱいがでかい(重要)。
二人とも、服装は質素なものだ。質素ではあるが、布の質は上質である。
「とりあえず名前は教え合ったけどさ。まだ、君たちの素性がよくわからないんだ。遺跡の調査って言ってたけど……学者さん?」
「学問は道楽じゃ。無暗に情報が多いとお主を混乱させると思って言わずにおったが――よし。改めて名乗ろうぞ。わらわはこのノーランド王国の王女、アイラ・ノーランドである」
「お、おう、王族?」
「そう畏まるでない。気楽な態度の方が好ましい。わらわは、王族とはいえ王位継承権は3番目じゃからの……こんな道楽にかまけていられるのも、立場の軽さ故というわけじゃ」
どこか自嘲的な物言い。そう語る彼女の表情には、いかなる感情も読み取れない。
彼女は――感情を読み取れないよう、表情を操る術を知っているのだ。
それもまた、王族ゆえなのか。
どう反応したものかと迷っているうちに、隣のナーシアさんが口を開いた。
「私は――使用人や護衛といった諸々の役目を兼ねていますので、大雑把な表現ではありますが、従者……あるいは付き人とだけ自称することにしております。アイラ様の身の回りの一切を委ねられていると、そう考えていただければ」
「なるほど。でも、ただの従者じゃなくて、護衛も兼ねてるってことは……」
「強いぞ。そうは見えずともな」
本人でないアイラが妙に嬉しそうだった。
親しい人の凄さが周知されることの歓びは、わからなくもないが。
と、声を押し殺すように笑っていたアイラが、不意に俺を向く。
「それで。お主はどうなのだ。ええと――」
「龍一郎。蓮杖龍一郎」
「る……るーいち、ろ」
「言いづらければ、レンでいいよ。昔の友達はそう呼んでた」
今は友達なんていなくなったけどな――とは言わなかった。
さすがに、そんなことを言っても空気を悪くするだけだということはわかる。
「ならそう呼ぼう。レンよ。お主は何を生業としている人間なのだ?」
「漫画家――と言ってわかるかな」
「いや、わからん。どのような職業なのだ。画家の類か?」
「うーん。言葉で説明するのは難しいな。見せた方が早いか」
俺といっしょに鞄も召喚されていたようで、幸いというべきなのかどうなのか――漫画の原稿と、ハードカバーの書籍が一冊手元にある。
初期装備としてはあまりに頼りない気もするが、漫画は名刺代わりに使えるかもしれない。
「はい、これ」
文字は俺が翻訳しながら読めばいいか、なんて考えながら手渡すと、アイラが雷に打たれたように固まった。「アイラ様?」と覗き込んだナーシアもまた、同様に目を丸くする。
「こ、これは……っ! なんと革新的な表現なのだ!」
「は?」
「この大きな目――まさか、このような目をもつ種族がお主の世界に居る訳ではあるまい。現実と違った風貌――目を巨大に描くことで、感情を強く表現しておるのか!」
「いや、あの」
「それに、色彩を排除し、線の強弱をうまく使って描き出す手法も斬新と言えよう! 加え、積み重ね、複雑にするのは誰にでもできるが――これほどまでに情報を簡略化しつつ絵画として成り立っておるとは、天才の所業に他ならぬ! ナーシアもそう思うであろう?」
「は、はい! 美術に疎い私ですら、感動を覚えます! レン様は、さぞ高名な画家だったのでしょうね……宮廷画家のような立場だったのでしょうか?」
「宮廷画家だなんて、そんな。俺は底辺も底辺だよ」
底辺という言葉に、再び二人は唖然とした。
どうも勘違いが甚だしい様子である。あたふたと、こういった表現は大量生産のために簡略化されたものだ、と説明した。そして、大量生産とは、絵をたくさん配置ことで物語をの流れを描き、娯楽として成立させることを指すのだと。
論より証拠、と表紙絵をめくり、右上から順番に呼んでいくのだと教える。
ファンタジーの設定で描いていたのが幸いだった。俺が世界観をそれほど長々と説明する必要もなく、音読していくうちに、二人は目を輝かせていった。
はじめは饒舌に「これは○○なのか?」「ふむ、なるほど」などと呟いていたアイラも、次第に引き込まれたように黙り込む。薄暗い焚火の光のもとで読んでいるという状況も、神秘的な雰囲気を醸し出し、二人の感情に強く作用しているのかもしれない。
読み終わる頃になると、さすがに俺も恥ずかしくなり、最後は尻すぼみな読み方になってしまった。
二人は初めて親に怒られた子供のように呆然としていたが、やがてアイラがぽつりと言った。
「……何ということだ。こんなものが、お主の世界にはありふれているのか」
「少なくとも、俺の国では」
「素晴らしい。絵画であると同時に演劇だ。我が国には、このようなものは存在しない」
褒められることには慣れていない。新人賞でさんざんな言われようだった我が著作を絶賛するあたり、二人は、初めてみる文化に感動するあまり、ストーリーの粗雑さなど気にも留めていないのだろう。
好意的に思われることは、そりゃ嫌なはずもないが――困ってしまうのも、また事実だった。
俺に原稿を返しながら、アイラは真剣な表情で呟く。
予想だにしない言葉が飛び出したので、困り果てていた俺は、さらに強烈な一撃に脳を揺さぶられることになった。
「欲しいな」
「え?」
「わらわはお主が欲しい」
ずずい、と顔を近づけられ、思わず後ずさりそうになる。
アイラの情熱的なアプローチが俺を陥落させるのに、さほど時間はかからなかった。
「うむ。うむ。そうじゃ。決めたぞ。これは我ながら良き思い付きじゃ! 宮廷画家としてわらわに仕えてみぬか、レン!」
それは。
漫画というエンターテインメントだけではなく、俺という個人を認める言葉で。
新人賞を獲るよりも、ずっとずっと喜ばしいことだった。
どうでもいい類の疑問なんですが、漫画やアニメのキャラはどうして名乗る時にファーストネームを述べてからフルネームを言い直すんでしょうね。




