プロローグ~Side:Al di là~
「むぅ」
アイラ・ノーランドは謎の四角形を前に首を傾げた。
王国の北西部にひっそりと佇むバロウル山岳遺跡。その調査に取り掛かって四日が経つ。
現代の文明とは言語体系が大きく異なる古代寺院の壁画は、数年前の研究により解読され、地下室の存在が示唆されている。今回の調査では、その地下室を探り当てる予定だった――のだが。
「まさか隠し部屋がもう一つあるとは思いませんでしたね」
「……地下空間の存在をほのめかすことで、本命を隠した……?」
「囮に使ったということですか? となると、地下には罠という可能性も」
「ある」
護衛役である付き人、ナーシア・べスは、安堵したように、それでいて恐怖を滲ませた表情でアイラを見下した。
古代寺院の一角に見つけた隠し部屋には、雑多な器物が並んでいる。大きな四角い板が壁に取り付けられており、その手前には、数多の小さな四角が並んだ板。小さい方の板を埋め尽くす一つ一つの四角には、古代バロウル文字が一つ一つ刻まれており、指で押せば凹む構造になっている。
その二つを中心に、左右には大きな円柱状の構造体。これらは、中央の二つと、植物の蔦のようなもので結ばれており、何らかの関係性が見て取られた。
周囲に転がる宝物は、ひとつひとつが高価なものと思われたが、アイラは興味を持てなかった。
本能が告げているのだ。この中央の器物こそが、この寺院の『本質』なのだと。
「あの。私、そろそろ夕食の準備をして参りますね」
ナーシアの申し出を受諾し、アイラは考え込んだ。
おそらく、手元の板は何かを指定するための装置なのだ。壁に取り付けられた方の板は、手元の板によって指示を出すことで、何かの反応を見せるに違いない。
問題は、何をするための道具なのか――という点だ。
古代魔法文明――バロウル。
その伝説についてまとめた手帳を、懐から取り出し、ある一節に目を通す。
『 災禍の章 六節
邪なる神 人の栄へるに愈々《いよいよ》怒りて 火焔纏う流星遣わす
里 灼熱の魔界と化し 邪竜山麓に居を構えり
邪竜 人里に降り美しき娘を攫ふこと頻《しき》りて 里人耐え忍ぶこと永く 天つ神 見かねて秘法を授けたまふ
ある娘 寺院にて秘法を為せば 異界より男現れり
男 携へしきめうなる剣を振るひ 邪竜を退け里を救う』
バロウルの壁画に刻まれた伝説を、十数年前の学者が解読したものだ。
解釈に間違いがなければ、邪竜が暴れたというこの地に、異世界から奇妙な剣を携えた男がやってきて、人々を救ったという。
目の前の道具は、この伝説に何か関係があるのだろうか。
たしか、この伝説が描かれた壁画には、目の前の道具によく似たものが描かれていたはずだが。
――何気なく、近くにあった棒のようなものに手をかけたときだった。
ガコン、という音とともに、棒が倒れる。
それと同時、二枚の板に桃色の光が灯り、ブゥゥンと奇妙な音が響いた。
「な、こ、これは……」
まずいものを触ってしまったのでは、という怯懦。いったい何が見られるのか、という期待。
そして。
「きゃぁぁあああああっ!」
「っ……ナーシア!」
付き人の悲鳴に顔を上げ、アイラは駆けた。
幸い、拠点として使っている部屋はそう遠くない。
息を切らしながら辿り付くと、驚いたことに、部屋の床は崩落していた。穴の底からは、僅かながら桃色の光が届く。それで、さきほどの装置が起動してしまったことと、何らかの関連があるのだと理解できた。
「ナーシア!」
「大丈夫です! 怪我はありません! ただ――」
ただ? と。
問い返すアイラの耳に、半ば予感していた言葉が返って来た。
「殿方が一人倒れています! 東洋風の青年が!」
ぞくり、と何かが背筋を這うのを感じ、アイラは身を強張らせた。
それが運命――あるいは宿命と呼ばれる類のものであることには、本能的に気づきつつも、彼女はあえて考えぬことにし、二人を助け上げるため、近くの里から縄を借りて来ることにした。